元信のお母さんはどこの出身か………
※画像の二次利用はご遠慮ください🙇 |
分かりましたか?
正解は…
②朝鮮半島
でした!
前回に引き続き3点目は、先ほど載せた「朝鮮貴族姉妹像」
これは、元信のお父さん景親が 慶長の役(1597~1598)で朝鮮半島に出陣した際、李王朝からもらった姉妹の姫と伝わる肖像画です。
姉が景親の側室に、妹が水沼という家臣の妻になったと伝わっています。
上の写真は、周防大島の村上家の墓地にある景親の側室のお墓。
正面には、側室に仕えたという垣生家のお墓が向き合うように建っています。
村上海賊ミュージアムには、景親が参戦した文禄・慶長の役に関係する古文書や持ち帰ったと伝わる資料も所蔵しています。
虎蹲砲(こそんほう) 景親が文禄・慶長の役で持ち帰ったと伝わる大筒。 虎が前脚を立てたような台座に載せられていたことが名前の由来とされています。 |
そして4点目。
「朝鮮貴族像」 |
こちらも景親が慶長の役の際、李王朝からもらった姫の一人と伝わる肖像画です。
さっきは姉妹でしたが、村上家の伝承によると、景親の側室(元信のお母さん)の方といわれています。
村上海賊が漁もしていたということは№2こたえや№3こたえでもお話ししましたが、夫人の方の肖像画もお魚を持っているのがさすがですね!!
【おまけ】
№6で、元信のお兄さん・八助は11歳の若さで早世したと書きましたが、八助のお母さんは正室。
景親の正室は、河野氏の重臣・平岡氏の女性です。
武吉のお母さん(景親祖母)も平岡氏の女性と伝えられています。
伊予国の中でも重要な位置を占めていた平岡氏と、能島村上氏は婚姻を通じて結びつきを強めていたのでしょう。
肖像画の複製や虎蹲砲は、「村上家記念室」(常設展示最後の部屋)で展示しています。
お越しの際は、ぜひご覧ください!
明日から開館再開のため、「おうちで村上海賊」は今回で最終回です😢
しかし、村上海賊情報は今後もガンガン流していきます💪
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№1~10+番外まで、おつきあいいただき、ありがとうございました!!!
M
PS ( 'ノω')< 前回(№10)短かったのでちょっとだけ追記しました。