2021年12月28日火曜日

年末年始の休館日とイオンモール今治新都市でのパネル展

 村上海賊ミュージアムは、

2021年12月29日(水)2022年1月3日(月)

の間、休館日となります。

2022年1月4日から通常営業いたします。

2021年もご愛顧いただき、

誠にありがとうございました。

2022年も何卒よろしくお願いいたします。


さて、

イオンモール今治新都市にて

イベント開催のお知らせ!

この度、

日本遺産「村上海賊」に関する様々な取り組みを行う

団体「村上海賊魅力発信推進協議会」が、

スポーツ文化ツーリズムアワード2021

「文化ツーリズム賞」を受賞しました!

この受賞を記念して

―よみがえる村上海賊の記憶―記念パネル展

を開催しています。


◆日 程◆

2021年12月28日(火)~2022年1月5日(水)


◆時 間◆

10:00~21:00


◆場 所◆

イオンモール今治新都市1階

Green Parks topic隣


村上海賊魅力発信推進協議会の

これまでの取り組みや、

日本遺産に認定された村上海賊ストーリーを、

パネルや映像で紹介しています。

年末年始のお買い物の際に

ぜひお立ち寄りください。



2021年10月8日金曜日

企画展「村上家のおもてなし」いよいよ明日から!

 企画展「村上家のおもてなし」

いよいよ明日からです!!



今回は、「村上海賊」時代のその後、江戸時代の村上家です。


「海賊停止令」で滅びたと思われがちな村上海賊。

海賊時代のその後はあまり知られていません。


江戸時代の村上家は、萩藩の海担当「御船手組」として、お殿様の参勤交代や朝鮮通信使の船の警護をしたり、外国からの漂流船が来た際に対応するなど、海に関する仕事で活躍し続けています。


そんな御船手組が住んでいたのは、現在の山口県防府市にある「三田尻」。

今回の展示の舞台は、この三田尻の村上家屋敷です。(今治じゃないよ)


タイトルの「おもてなし」。

これはこの資料からきています。



「重就公三田尻御住居被遊候内当家江被遊御成候節之控」

しげたかこうみたじりごじゅうきょあそばされそうろううち

とうけへおなりあそばされそうろうせつのひかえ


めっちゃ長いので、展示担当Mが毎度早口でフルネーム言おうとしてまわりに「もうええ!」って言われていました笑


萩藩7代藩主「毛利重就」は、隠居地を「三田尻」に定めて、亡くなるまで三田尻で暮らしています。

この「重就公」が「三田尻」に「御住居」している間に、「当家(村上家)」に「御成(いらっしゃった)」ときの記録がこの資料です。


つまり、村上家の元藩主への接待記録!

「村上家のおもてなし」です。


今回は図録を販売しますが、この資料の翻刻(崩し字を活字化したもの)を全文掲載しているので、気になる方はぜひご購入ください!


36ページ 300円


初出し資料もたっくさんあるので

ぜひ見に来てくださいね!



Mがおねだりして作ってもらった
おもてなしバリィさん
もお出迎えしてくれます

(あまりにもかわいい😂)


M

2021年9月13日月曜日

明日から再開!日本遺産巡回展「村上海賊と塩の荘園」開幕!

  8月14日から新型コロナウィルス感染拡大に伴い休館をしておりましたが、明日9月14日(火)から、再開することになりました。


 ただし、再開にあたっては、ご来館のお客様に次のことへのご協力をお願いします。


 ★入館時に検温と連絡先ご記入のご協力をお願いします。


 ★咳や発熱などの症状がある方は、観覧、施設利用をご遠慮ください。


 ★受付での手の消毒、マスクの着用(咳エチケットなど)をお願いします。


 ★密閉・密集・密接の状況にならないよう、各自で注意して施設を利用するようお願いします。

 

★感染拡大地域からお越しのお客様につきましては、入館の自粛にご協力くださいますようお願いします。


 なお、展示ガイド、甲冑・小袖の試着、触ることができる展示、映像コーナーは感染拡大防止の観点から中止しております。そのほかにも施設の利用にさまざまな制限がございますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



 さて、9月4日から開催予定だった日本遺産村上海賊尾道・今治巡回展「村上海賊と塩の荘園」は、再開に伴い明日から開催いたします!

 


 見どころは、国指定史跡になることが決定した「弓削島荘遺跡」の出土品や、塩田の「剥ぎ取り土層」、そして村上海賊が歴史上に姿を現すずっと前、古墳時代の塩づくりに使われた土器などです。この巡回展では、芸予諸島の塩づくりの歴史も学ぶことができます。

 会期は、10月3日までの3週間弱です。次はおのみち歴史博物館会場となりますが、今治市民の方はぜひ村上海賊ミュージアム会場でご覧ください。


K


<お詫び>

 前回の企画展「平成30年7月豪雨と能島城」の展示紹介をこのブログで行っていましたが、8月13日以降、降り続いた大雨により、再び能島城跡で斜面崩落が発生いたしました。その対応なども重なり、ブログの更新ができず、大変申し訳ございませんでした。

 平成30年7月豪雨の復旧工事に伴う発掘調査成果につきましては、またの機会に紹介させていただきます。また遺物レスキューにつきましては、チラシ裏面に文章で記載しておりますので、もしよろしければご一読ください。



2021年8月19日木曜日

◇企画展紹介◇「平成30年7月豪雨と能島城」③なぜ斜面崩落がおきたのか#おうちで村上海賊

 改めて、昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した表を紹介します。

   
 少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であることを、前回のブログで紹介しました。

 さて、平成25年度以降、能島城は台風時の倒木や樹木の根による遺構の破壊の防止、また史跡としての景観整備の観点から、専門家の指導を受けながら、斜面部の高木の伐採を行ってきました。

 しかし、その伐採が斜面崩落を誘発したのではないか、という意見を聞くことがあります。確かに、能島城跡の被災状況だけを見ると、その可能性を考えてしまいます。それを検証するためには、そこで近隣の島々の海際斜面の被災状況を確認することにしました。

伯方島の被災状況
同じく伯方島

 すると、上の写真のように、樹木が繁茂している斜面でも、大規模な斜面崩落が発生していることがわかります。能島城跡においても、斜面に樹木があった鯛崎島でも崩落が生じていることから、斜面部の樹木伐採と被災との因果関係を積極的に認めることはできませんでした。
 
 また、能島城跡の地盤は脆い花崗岩の岩盤およびその風化層で、その上に比較的浅く表土が堆積している状態であることが過去の発掘調査で確認されていました。
 岩盤を削ったり、一部に盛土をして城を形作っています。戦国時代には樹木はほとんどなく、岩盤や地山がむき出しの場所も多い状態だったと推測されます。「切岸」に加えて、城特有の地盤も斜面崩落の一つの要因になったと考えられます。

 さらに、郭(城の平坦面)の現状は、水平ではなく、中央が高く縁辺が低い地形になっています。郭Ⅰ斜面と鯛崎島、そして船だまり斜面の一部(下図の①)は顕著な谷(凹地形)となっており、そこに雨が集まります。また、浸透できず飽和状態となった雨水も地表面を流れ、これらの凹地形に集水されます。その証拠に、表面の雑草が同じ方向に倒れていました。
 
斜面側(右)に倒れる雑草。表面を雨水が流れたのでしょう。

 じつは、顕著な凹地形ではないところも崩落しています。
 よく観察すると、縁辺には樹木(ソメイヨシノ)が立ち並んでおり、その根元が盛り上がることによって、樹木間が谷状になっています。表面を流出した雨水も、この谷部分に集まったと考えられます。
 
被災箇所の地形と、樹木の位置から雨水の流れを想定しました
『史跡能島城跡―平成30年度災害復旧事業報告書ー』より

 このように、許容量を超える雨水が分散されずに特定の場所に集中してしまった結果、大規模な斜面崩落が引き起こされたと考えられています。

(以上、展示パネルより)


 現在は応急措置として、郭(くるわ)の縁辺に土のうを並べて(もちろん、瀬戸内海国立公園特別地域なので環境省の許可を得ています)、雨水が集中して斜面部に流出しないようにコントロールしています。


次回は、復旧工事の前に実施した発掘調査について紹介します。

2021年8月17日火曜日

◆企画展紹介◆「平成30年7月豪雨と能島城」②豪雨の爪痕#おうちで村上海賊

 8月13日で突如終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城ーかけらが語る災害の記憶―」 。見学できなかったお客さまへ企画展の内容を紹介します。第2回の今回は「豪雨の爪痕」と「なぜ斜面崩落が起きたのか」。

 

 平成30年7月豪雨において、能島城跡は4か所6地点で斜面崩落が確認されました。

 最も広範囲に被災したのは、能島北側の「船だまり」に面した斜面です。斜面の上部はオーバーハング状(下の土が流れ落ちて、地表面だけ残った地形)になり、中ほどでは表土が流出し、多くの部分で地山が露出していました。また往時の通路の土留めとして築かれた石積は、その一部が崩落、あるいは土砂で覆われています。

能島城跡船だまり 被災前
被災後

 そのほか、郭Ⅰ(本丸)西側斜面、郭Ⅲ(三之丸)南側斜面が崩落し、土砂で通路が覆われてしまいました。

郭Ⅰ(本丸)西側斜面

郭Ⅲ(三之丸)南側斜面

 さらに鯛崎島北側斜面の崩落は深刻で、表土とともに地山が大きく崩落し、岩盤面が露出。通路の一部が崩落し、登城が不可能になりました。

鯛崎島北側

 この平成30年7月には崩落を免れた部分においても、その見えない傷跡は深く残り、同年9月の台風24号、そして令和2年7月の豪雨による、新たな斜面崩落を引き起こしたと考えられています。

 ところで、大規模な崩落が起きた場所には共通点があります。それは、いずれも戦国時代に敵の侵入を防ぐために設けられた「切岸」と呼ばれる急斜面、あるいは同じ役割を果たした天然の崖であるという点でした。

能島城の守り模式図
(松野町教育委員会提供)※二次利用不可

 そして、斜面崩落の最大の原因は、言うまでもなく、総雨量400mmを超える長雨です。

 昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した下の表をご覧ください。

 
 例えば、能島城跡に近い大三島のデータを見ると、平成30年7月豪雨では、日最大雨量が1.3倍、総雨量は7月5日~7日の約3日間で、年間平均の約1/3に達していることがわかります。

 少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であると言えるでしょう。

(つづく)

K

2021年8月15日日曜日

★企画展紹介★「平成30年7月豪雨と能島城」①#おうちで村上海賊

突如、一昨日で終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城―かけらが語る災害の記憶―」( ノД`)シクシク…

今回、ご覧いただけなかったお客様のために、このブログで展示の内容をご紹介いたします。ぜひご覧ください。


まずはご挨拶パネル。


 さて、今日は企画展冒頭のパネルに掲載した能島城の概要を紹介しましょう。

 能島城は、大島沖(今治市)にある能島と鯛崎島に立地します。能島の周囲は約八五〇㍍、鯛崎島は約二五〇㍍で、この二つの小島全体を城郭化した、全国的にも珍しい形態の城で、「海城」などと呼ばれています。

能島城跡を北側上空から望む

 標高約二五㍍の能島は、全体を三段に削って平らにしており、上から本丸(郭Ⅰ)、二之丸(郭Ⅱ)、三之丸(郭Ⅲ)があります。そして東側と南側に張り出した鼻にも出郭があります。

 能島城には、防御性の高い山城に見られるような複雑な虎口(郭への出入口)、土塁、堀切、竪堀などは発見されておらず、切岸と急峻な崖に囲まれただけの簡素な縄張り(防御構造)です。

郭Ⅲ(三之丸)から郭Ⅰ(本丸)方向を見ています
土塁や堀切は確認できませんが、急斜面が「切岸」のようになっています

 海面や激しい潮流によって守られた「天然の要塞」とも言われていますが、約六時間おきの潮止まりや潮流の穏やかな小潮もあるため、常に完璧な守りだったとは言えません。

大潮の最強時

同じ場所の大潮時の干潮、潮止まり

 一方、海岸部には船を繋ぐための設備があり、発着の利便性を高めています。海に対して開放的な構造から、戦への備えはもちろんのこと、それ以上に、海を舞台とした海賊たちの日常活動の拠点であったと考えられます。


常時潮の流れが穏やかな、能島北側の船だまり
船の発着場と考えらえます

岩礁ピット。
使用法の一つとして、船を繋ぐための柱を立てていたと考えられます。

 その証拠に、何度も建て替えられた掘立柱建物の痕跡や、膨大でバリエーション豊かなくらしの道具が発見されています。

郭Ⅱ(ニ之丸)の発掘調査では、無数の柱穴跡が発見されました。
住居や倉庫が何度も建て替えられたのでしょう。
出土品あれこれ

出土した網のおもり。
能島城で暮らした村上海賊は、漁もしていたんですね。

 能島城は、海賊たちのナワバリの象徴として、最長で二百年あまりの間、存在感を放ち続けました。

(以上が、企画展冒頭の能島城跡紹介パネルの内容です。少し写真を追加しました^^)


 能島城跡は、昭和28年に国指定史跡になりました。地域の、国の宝である能島城跡を現代に生かしながら良好な状態で未来へ受け継ぐため、さまざまな取り組みをしています。


その最中、平成30年7月豪雨によって、能島城跡は大きな被害を受けることになります。次回は、どのような被害があったのか、またその原因などについて紹介します。

まさに今、大雨が降り続いています。地盤も緩くなっています。みなさまくれぐれもお気をつけください。


K

2021年8月14日土曜日

本日(8月14日)~当面の間、臨時休館いたします

 新型コロナウィルス感染拡大による愛媛県の警戒レベルが最大の「感染対策期」になりました。それに伴い、村上海賊ミュージアムは、本日(8月14日)から当面の間、臨時休館となりました。


なお、臨時休館中は、村上海賊ミュージアムおよび宮窪公民館(月曜休館日のみ)に設置している「続日本100名城能島城スタンプ」は、押印できません。


来館をご予定されていたお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、感染拡大防止のための対応でございますので、何卒ご理解のほどよろしくお願いします。






2021年8月13日金曜日

8月14日から臨時休館となりましたので、「企画展 平成30年7月豪雨と能島城」は本日最終日となります

愛媛県の新型コロナウィルス感染拡大レベルが最大の「感染対策期」となりました。これに伴い村上海賊ミュージアムは、8月14日(土)から当面の間、臨時休館となります。ご来館を予定されていた皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。


臨時休館に伴い、8月22日(日)までの開催を予定していた「企画展 平成30年7月豪雨と能島城」は、本日が最終日となります。


現在、感染拡大地域からのご来館の自粛をお願いしておりますが、近隣の市民の方で、明日以降にこの企画展を見学される予定だったお客様は、本日17:00まで(入館は16:30)の開館となっておりますので、何卒よろしくお願いします。なお、ご来館の際は、受付で検温と連絡先等のご記入にご協力ください。



現在、村上海賊ミュージアムのあたりは大雨が降り続いており、濃霧で視界が悪くなっております。ご来館のお客様はくれぐれもお気をつけください。

ご見学いただけなかったお客様のために、今後、企画展の内容をこのブログなどで紹介してきたいと考えています。


K

2021年7月28日水曜日

今年もイオンモールで「村上海賊で夏休みの宿題をしよう!」開催!

今年も

イオンモール今治新都市

村上海賊で夏休みの宿題をしよう!

を開催します!




村上海賊ミュージアムの学芸員が、
小・中学生の夏休みの宿題のお手伝いをします!

今年の夏の自由研究は
「村上海賊」をテーマにしてみませんか??




そして今年も
なつやすみしゅくだい
おうえん

始めました!

(冷やし中華風)



村上海賊ミュージアムにて、
小・中学生を対象に、ご希望の方に配布中!
無料です✨

※数に限りがあります。お早めに💦

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
郵送の配布についても相談に応じます。
お気軽にお電話ください。
(☎0897-74-1065)

2021年7月20日火曜日

ミュージアムキャラクターアワード2021に今年も「かげちかくん」が参戦!

 

ミュージアムのキャラクター日本一を決める
 
「ミュージアムキャラクターアワード2021」
 
今年も我らが村上海賊ミュージアムのミュージアムキャラクター

「かげちかくん」

がエントリーしました✨




7月27日(火)~9月9日(木)

の投票期間中

1日1人1回投票することができます!!




なんと、昨年度は

9位入賞!!



「日本最大の海賊」

とよばれた村上海賊は

「日本一のミュージアムキャラクター」

目指してがんばります!!


応援よろしくお願いします!!!

2021年6月18日金曜日

今治市観光PR動画「きゃりーぱみゅぱみゅが巡る 歴史”海道”今治」公開✨

きゃりーぱみゅぱみゅさんが今治市内の様々な場所を巡る観光PR動画
「きゃりーぱみゅぱみゅが巡る 歴史”海道”今治」
が公開されました✨




国宝・重要文化財の宝庫「大山祇神社」や、築城の名手藤堂高虎が築いた「今治城」など、今治が誇る歴史スポットから、サイクリング、今治タオル、今治焼き鳥などまで、様々な今治の魅力を体験!!

もちろん 村上海賊ミュージアム も登場しています!

能島村上家伝来「猩々陣羽織」を見るきゃりーぱみゅぱみゅさん

この陣羽織のレプリカを着用したきゃりーぱみゅぱみゅさん&バリィさんのステキなツーショットも見られますよ😻

ぜひご覧ください!!

ところで、なぜきゃりーぱみゅぱみゅさんなのか…🤔?

それには昨年開催した「日本遺産フェスティバルin今治」が関わっています。



きゃりーぱみゅぱみゅさんは、「日本遺産大使」の一人!
そこで、フェス開催に合わせてお招きし、今治城でスペシャルライブをしていただく予定だったのですが、新型コロナウイルス感染拡大により中止に……😢

上の画像は、きゃりーぱみゅぱみゅさんが書いてくださったもの。

日本遺産「村上海賊」の歴史や文化、そして美しい瀬戸内海やしまなみ海道の魅力を世界の皆さんに伝えていくお手伝いができれば嬉しいです。

それが、この動画によって実現しました!!!

またいつか、今治でライブをしてくださいね😊

M





2021年6月4日金曜日

企画展「平成30年7月豪雨と能島城―「かけら」が語る災害の記憶ー」明日開幕です

 村上海賊ミュージアムは、6月1日(火)から開館を再開しています。

そして6月5日(土)から企画展「平成30年7月豪雨と能島城―「かけら」が語る災害の記憶―」を開催します。詳しくは「お知らせ」のページをご覧ください。



平成30年7月豪雨から、まもなく3年を迎えます。

豪雨の影響により被災した史跡能島城跡は、昨年度末の「災害復旧工事報告書」の刊行をもって、災害復旧事業を終えました。今後は『史跡能島城跡保存活用計画』『史跡能島城跡整備基本計画』に基づき、本格的な保存整備と利活用という新たなスタートを切ります。

今回の企画展では、能島城跡の被災の状況とその原因。復旧に向けた発掘調査と災害復旧工事について、写真記録などを用いて紹介します。

また、土砂とともに海岸へ流出した遺物(村上海賊時代の土器や陶磁器など)のレスキュー活動についても紹介するとともに、レスキューした3000点以上の「かけら」のなかから、とくに残存状況の良いものや珍しいもの約40点を展示します。

現在村上海賊ミュージアムでは、感染拡大地域からの来館自粛へのご協力をお願いしております。8月22日(日)まで開催しておりますので、会期中に状況が改善に向かい、少しでも多くの方にご覧いただけることを願っております。

2021年5月20日木曜日

「#おうちでバリミュ」復元小早船で能島城へ!

市内のミュージアムや収蔵品の魅力を紹介する # おうちでバリミュ 

本日からは、各館が公式ブログや日本遺産「村上海賊」公式Twitterで、不規則・不定期で情報を発信していきます!


今日は少し短い文章ですが、とても貴重な動画をお届けします。


この動画じつは1月に放送された超有名番組のリハーサルの映像です。

リハなので某有名タレントさんは映っておりません。


復元された「小早船」※を能島城跡の船だまりに着岸させるという、超貴重映像。

※水軍レース実行委員会が保管しているもので、村上海賊時代の小型の和船を復元し、毎年レース大会を行っています。

小早船

私が知る限り、このような試みは行ったことがなく、学術的にも意義のあるものになりました。

この時間帯、周囲は潮の流れが速く、沖へ出ると流されてしまいますが、この船だまりに入ると穏やかで一直線で砂浜に向かってきます。


能島城跡の船だまり


海賊たちの日常の風景だったのでしょう。その再現ができ、感激しました。


(ちなみに「チョーサー」という掛け声は、この地域の「秋祭り」の掛け声なので、村上海賊時代から伝わるものではありません。漕ぎ手を盛り上げるために私の上司がアドリブで^^この後、ほうろく玉で攻撃してすいません。)


この光景を見ていて、東国(関東)の海賊たちの戦い方を思い出しました。


「敵船と出会い、勝利を得、風(富)津浦へ追い上げる

「佐貫前で房州海賊と掛け合い、佐貫浜陸地へ押し上げ

(『越前史料所収山本文書』)


どうやら戦国時代の海賊の戦法は、西と東で違いがあるようです。

村上海賊は「ほうろく火矢」などを用いた海上での戦法を得意としました。


ほうろく玉を用いた海戦
香川元太郎画

※動画や画像は転載しないでくださいね


 一方、東国(関東)の海賊は、砂浜へ敵を追い上げて(押し上げて)、最終的には陸地で決着をつけていたということがわかります。状況は違うかもしれませんが、砂浜へ和船が着岸する姿は、まさにこの動画のようなものだったのでしょう。


ちなみに、この「砂浜への着岸」のことを「ビーチング」と呼ぶということを、この超有名番組で共演させていただいた先生から教えていただきました。ただ、この「ビーチング」に相当する日本語の単語がなかなか無いそうです。


さすがに戦国時代の人たちは「ビーチング」とは言わないでしょうから(笑)実際は、どのように表現していたのでしょう。押し上げ?乗り上げ?のような感じでしょうか(想像)。古文書でわかると面白いですね。探してみよう。


ちなみにこの映像は私が撮影したものです。

この1本の映像からどんどん話題が広がりますね。

「ブラタモリ」と地元漁協のみなさんに感謝です。


2021年5月15日土曜日

「#おうちでバリミュ⑳」 「古文書」を楽しもう!(4)本文を読んでみよう!

今回は、ついに本文を見ていきます!





前回いつ」「誰が」「誰にという部分を見ました。


八月十三日」に「毛利輝元」から「村上勝太郎(元武)」と「村上三郎兵衛(景親)」に出されたお手紙であることが分かりましたね。


今回は、何を伝えようとしていたのかを見ていきます。


くずし字を活字化(翻刻)してみると、




原文には句読点がつけられていないので、漢字の羅列になっています😱

そのため、まずは文章の区切れを考えてみましょう。



①読点をうってみる!

ここでポイントになるのが

今でいうです・ますにあたる「候」が語尾につくことが多いので、このような手紙に使われる文章のことを「候文」とも言います。

「候」を頼りに区切ってみると…




このような感じになります。

〇をつけたは、いろいろな使い方がありますが、ここでは
「~のじょう」と読んで「~なので」の意味。

「候条(そうろうのじょう)」=「~ですので」


これで文章の区切りが分かりました。

しかし、このままの順番では読めません。

日本語ではありますが、漢文のように返って読みます。




②返り点をつけてみる!

古文の授業で習ったレ点・一二点をつけてみましょう。





為(~のため・~として)」「以(~をもって)」「従(~より)のような、下の言葉を受ける文字や

※他にも、「於(~において)」「就(~につき)」「任(~にまかせ)」「至(~にいたり)」などなど

(べし)」「(ず)」「(る・らる)」「(しむ)のような助動詞

が来たら、返りそうだな~と目星をつけます。
(慣れると②の作業なしに③の作業ができるようになります😅)




③書き下し(読み下し)てみる!

漢字だらけの文章も、読んでみると日本語だということが分かります。




この読み方も慣れが必要😢

読めなくても全然大丈夫です!

あの漢文はこんな感じで読むんだなぁ~程度に思ってください。


そして、聞きなれない単語がたくさん😱

分からない単語は辞書で調べてみましょう📖!

(例えば『日本国語大辞典』)




そうした作業を経て、


③現代語訳を考えてみる!

原文のニュアンスをなるべく崩さないように現代語訳していくのはとても難しいのですが、大体以下のような意味になります。




山口県周防大島の「安下崎」というところで悪さをしている「賊船」の調査に関する内容のお手紙だったことが分かりましたね。

この件に関して、差出人の毛利輝元は「一大事」だと考えているようです。


これはいつ頃書かれたものなのでしょう🤔?


前回「いつ」書かれたものなのか確認しましたが、「八月十三日」としか書かれていませんでしたね😅


古文書は、後に証拠書類となるような大切な内容のものには年号が書かれますが、その時限りの内容のものには年号は書かれません。


今回の内容も、連絡をしているだけの内容のため、年号が書かれていないのです。


では、どうやって判断するのか……?


それはまた次回。

もっと詳しく内容を見ていこうと思います😊



※「#おうちでバリミュ」⑦で、M担当回は全4回と言いましたが、臨時休館が5月31日まで延長してしまったので、まだまだ続けます😅



今回のブログの内容もまとめています。

コピーされる方はご利用ください😊








M