四阪島といっても実は「家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島の5つの島」で構成されており、
今治市宮窪町友浦地区の沖合、南東へ約10kmに浮かぶ島です。
行政区域は今治市宮窪町友浦になりますが、明治38年、住友(現在の(株)住友金属鉱山)が島全体を買い上げ、全島同社の管理下に置かれる私有地です。
1691年(元禄4年)新居浜市の山中に、足尾・日立・小坂など日本四大銅山の一つと言われた別子銅山が開抗しました。
銅を精錬する際には、有害な亜硫酸ガスが発生します。それは人体や環境に深刻な被害をあたえるため、銅精錬所は山から平地へと移動を繰り返しています。
やがて公害問題が深刻となり、無人島(四阪島)へと時代とともに移転して行きました。
無人島であった四阪島は、最盛期(大正時代)には、人口は5500人を越えています。島と島を埋め立てたり、専用の社宅を作ったり、商店が立ち並び、私立学校までも設立され、海底ケーブルが通り電気も使用開始。
その時煙害の克服に向けて多額の費用をかけて完成したのが、今回ご紹介する「大煙突」(直径10.5メートル、高さ64.2メートル)です。大正13年(1924)に建設され第3世代目。
但し、公害(煙害)はかえって広範囲に広がってしまうというという皮肉な結果を招いてしまったようです。大煙突から吐き出される硫酸ガスが止まったのは、第2次大戦前の昭和14年のことで、近代技術を注ぎ込んだ硫酸処理装置が、ようやく煙害問題を克服しました。
その後、「大煙突」の役割も終えましたが、地元漁師の方の目印や、東予地域の海の灯台??としての役割も持っていました。
私Dの通勤途中、ある場所から天気が良ければ、よく見えていました。
別の場所、来島海峡SAから撮った写真がこちらです。
デジタルズームの携帯カメラなので、見えにくいですが、ちょうど写真の真ん中あたりに僅かに見えます。6月20日現在で1/3以上解体されている状況です。
が、今年の2月に解体が決定され、以前のような面影は見られなくなりました。
http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2013/04/10ehime_shisakajima/
今では目印がなく、どの島なのか場所によっては他の島と間違えます。芸予諸島は島が多すぎ重なって見えることから、目印の必要性を感じた次第です。
四阪島は1977年(昭和52年)4月には一部の工場関係者を除いて島を離れ、それから36年以上の月日が流れています。かつては繁栄を誇った四阪島ですが、工場の一部は今も稼働中で、50人ほどの社員が会社所有船で新居浜市から通っているようで、事実上現在の人口はゼロ。
この島は全島企業所有地であり、関係者以外の方の入島は固く禁止されています。
ですが、今治市村上水軍博物館の2階では、その面影を少しでも感じることができる空間がございます。
昔懐かしい??四阪島での昭和の風景など多くの写真が閲覧できます。
「大煙突」はなくなってしまいますが、博物館にその匂いを少し感じに来てみませんか。
また当館3階では、四阪島上空やしまなみ周辺の上空をグーグルマップのように見て回れることが可能です。
ご来館お待ちしています。(D)