常設展示室映像コーナーのフリースペースに、 「特集 村上通康、没後450年」コーナーを設置しました。 |
450年前、ある武将が病のためこの世を去りました。
旧暦10月23日(新暦だと11月下旬になります)。49歳で亡くなったそうです。
その武将の名は、村上通康。村上海賊三家のうち来島村上氏の当主。
末裔である久留島家では、通康を初代と位置付けています。
息子の通総は、通康の跡を継ぎ、秀吉の大名へ。その兄の通幸は得居家を継ぎますが、通総と同じく秀吉の大名となり、二人は「来島兄弟」などと秀吉に呼ばれました。
知る人ぞ知る、この二人の弟の義清という武将は、紀州徳川家の家老になるほどの人物でした。
じつは能島村上氏の村上武吉の妻も通康の娘。
村上通康の死から19年後の1586年には、能島村上氏と「日本最大」の座を競い合った海賊として、ルイスフロイスの「日本史」に来島村上氏が登場します。その基礎を築いた人物こそ、通康であるといっても過言ではないでしょう。
残念ながら村上水軍博物館は、村上通康に関する資料を保管していませんが、
肖像画の写真や通康に関連する古文書の写真パネル、本拠の城であった来島城の出土品などを展示する小コーナーを常設展示内に設置しました。
ささやかですが、没後450年の節目を迎えた村上通康を顕彰したいと思います。
新しい年を迎えるまえに。
K