2017年12月26日火曜日

村上通康、没後450年

常設展示室映像コーナーのフリースペースに、
「特集 村上通康、没後450年」コーナーを設置しました。

450年前、ある武将が病のためこの世を去りました。
旧暦10月23日(新暦だと11月下旬になります)。49歳で亡くなったそうです。
その武将の名は、村上通康。村上海賊三家のうち来島村上氏の当主。
末裔である久留島家では、通康を初代と位置付けています。

湯築城の河野氏の重臣として活躍をし、河野通直の跡継ぎ候補になるほどの存在感。
息子の通総は、通康の跡を継ぎ、秀吉の大名へ。その兄の通幸は得居家を継ぎますが、通総と同じく秀吉の大名となり、二人は「来島兄弟」などと秀吉に呼ばれました。
知る人ぞ知る、この二人の弟の義清という武将は、紀州徳川家の家老になるほどの人物でした。

じつは能島村上氏の村上武吉の妻も通康の娘。

村上通康の死から19年後の1586年には、能島村上氏と「日本最大」の座を競い合った海賊として、ルイスフロイスの「日本史」に来島村上氏が登場します。その基礎を築いた人物こそ、通康であるといっても過言ではないでしょう。

残念ながら村上水軍博物館は、村上通康に関する資料を保管していませんが、
肖像画の写真や通康に関連する古文書の写真パネル、本拠の城であった来島城の出土品などを展示する小コーナーを常設展示内に設置しました。

ささやかですが、没後450年の節目を迎えた村上通康を顕彰したいと思います。
新しい年を迎えるまえに。

K

2017年12月7日木曜日

企画展「伊予国府を考える」12月9日(土)開幕!

企画展「伊予国府を考える―今治平野の古代遺跡、その分析と国府発見への試み―」が12月9日(土)午前9時に開幕します。


今治市・今治市教育委員会・公益財団法人愛媛県埋蔵文化財センターが共同で開催する巡回展。朝倉ふるさと美術古墳館からやってきました。本会場が最終です。

「古代」とは、おおむね飛鳥時代、奈良時代、平安時代の頃を指します。展示されている出土品の年代は7世紀後半から10世紀。約400点の実物資料が、所せましと並んでいます。


「国府」とは、中央が地方を支配する拠点。
伊予の国府は「越智郡」にあったと平安時代の史料には書かれており、「国分寺」があることや、地名などの検討から今治平野が有力視されています。しかし、いまだそのエリアは特定されていません。

今治平野内であるならば、考古学的にはどの地域が有力地となるのか。
みなさんも、遺跡の解説や出土品をご覧いただき、ぜひ一緒にお考えください。

なお展示解説パンフレット(無料)を用意しておりますが、部数に限りがあります。
お一人様一冊に限り、2階受付にてお渡しさせていただきます。お早めにお求めください。