今年度も村上水軍博物館を暖かく見守ってくださり、
誠に有難うございました^^
村上海賊の娘の本屋大賞受賞のおかげもあってか、
昨年は入館者が例年の2倍以上になるというプチバブル。
昨年ほどではありませんが、
今年度もたくさんのお客様にご来館いただきました。
本当に有難うございます!
さて、村上水軍博物館の年末年始の休館日のご案内です。
今年度村上水軍博物館は
12月28日(月)~1月4日(月)
を年末年始のお休みとさせていただきます。
なお、1月5日(火)からは通常営業致します。
皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
2016年も村上水軍博物館をよろしくお願いいたします!!
2015年12月25日金曜日
2015年12月24日木曜日
冬にぴったりな講座を開催します!
みなさん、相変わらず冬ですね!
我が家にはカーボンヒーターが導入されました!暖かい!
先日のブログでも紹介しました通り、
現在博物館では冬にピッタリな
企画展「海の城と山の城~今治の中世城郭~」
を開催しております!
そしてこの度、博物館ではこちらの企画展に連動した講座を開催することになりました。
それがこちら!
水軍講座:海の城と山の城~今治の中世城郭~
日時:平成28年2月7日(日)午後1時30分~
聴講料:無料!
定員:60名程度(申し込み不要!)
会場:今治市村上水軍博物館1階講座室
報告① 古文書からみた今治の中世城郭(約50分)
報告者 O
報告② 発掘調査からみた今治の中世城郭(約50分)
報告者 K
当館学芸員が文献史学・考古学というそれぞれの専門からみた今治のお城について、説明させていただきます。
私Oは、「古文書からみた今治の中世城郭」ということで、今治のお城が出てくる古文書を、みなさんと一緒に読んでいきたいと考えております。
みなさんに楽しんでいただけますよう準備中です!
私の先輩でもありますKは、「発掘調査からみた今治の中世城郭」ということで、城跡から出てきた出土品などから今治のお城を説き明かします!私も楽しみです!
講座を聴いていただくことで、企画展をより一層楽しんでいただけるのではないかと思います!
みなさまのお越しをお待ちしております!
チラシはコチラをご覧下さい!
http://www.city.imabari.ehime.jp/bunka/suigun/topics/071/kouza.pdf
学芸員O
2015年12月14日月曜日
冬にピッタリな企画展が始まりました!!
みなさん冬ですね!!私は毎日温かい鍋を食しております、、、
そんな冬と言えば、そう!!
山城の季節です!!
世のお城マニアたちは、草木が枯れる冬場に山のお城を歩きまわると言います。
ここ村上水軍博物館でも、山城歩きの季節・冬にピッタリな展示が始まっております!
それがこちら!
企画展「海の城と山の城~今治の中世城郭~」
戦国時代に海賊が活躍していた今治市域のお城と言うと、能島城などの「海城」が思い浮かびますが、実は「山城」、山に築かれたお城もあります。今回の企画展では、今治市域の海城・山城を、発掘調査で見つかった出土品を中心に紹介します。
今回の企画展では出土品、つまり考古学の成果が主に展示されていますが、私の専門である古文書から分かることも色々とあります。本日は、企画展で紹介しているお城について、古文書から分かることを少し紹介します。
まずは、海の城・甘崎城!
大三島の対岸に位置する、現在では古城島と呼ばれる島全体を城郭化したお城です。
戦国時代には海賊の城として使われたこのお城は、江戸時代には、藤堂氏によって改修され、その時の石垣が現在も残っていて、現在では大潮の干潮時に大三島から歩いて渡ることができるという激アツな海城です。
戦国時代に山口の戦国大名大内氏がこの海城を攻めていますが、その時に誰がどこを負傷したのかを報告する古文書が残っています。
その古文書によると、「水夫(かこ)」二人が矢を受けて、一人は右足を、もう一人は腰を負傷しています。痛そうですね!「水夫」とは船を漕ぐ人のことですので、船を漕ぐ人が戦闘中に負傷しているというのが、海城での戦いらしいですよね。痛そうですが、、、
続きまして、山の城・国分山城!
今治市国分にあったこのお城、実は村上海賊が普請(工事)を行っていたお城なのです。村上海賊は、かなり張り切って普請したのでしょうか、当時の古文書には、村上海賊が国分山城の普請を始めたため、今治のあたりが騒然としている!とのことが書かれています。
なぜ村上海賊は、こんなに張り切って普請を始めたのでしょうか?目下調査中です!
この他にも、色々な海城・山城を企画展では紹介しております。
海城・山城を発掘するとどんなものが出てくるのか!?
企画展で是非ご覧下さい!!
そして、企画展を観覧して、紹介されているお城に行くと、楽しさも2倍になるのではないでしょうか!!
学芸員 O
そんな冬と言えば、そう!!
山城の季節です!!
世のお城マニアたちは、草木が枯れる冬場に山のお城を歩きまわると言います。
ここ村上水軍博物館でも、山城歩きの季節・冬にピッタリな展示が始まっております!
それがこちら!
企画展「海の城と山の城~今治の中世城郭~」
戦国時代に海賊が活躍していた今治市域のお城と言うと、能島城などの「海城」が思い浮かびますが、実は「山城」、山に築かれたお城もあります。今回の企画展では、今治市域の海城・山城を、発掘調査で見つかった出土品を中心に紹介します。
今回の企画展では出土品、つまり考古学の成果が主に展示されていますが、私の専門である古文書から分かることも色々とあります。本日は、企画展で紹介しているお城について、古文書から分かることを少し紹介します。
まずは、海の城・甘崎城!
大三島の対岸に位置する、現在では古城島と呼ばれる島全体を城郭化したお城です。
戦国時代には海賊の城として使われたこのお城は、江戸時代には、藤堂氏によって改修され、その時の石垣が現在も残っていて、現在では大潮の干潮時に大三島から歩いて渡ることができるという激アツな海城です。
戦国時代に山口の戦国大名大内氏がこの海城を攻めていますが、その時に誰がどこを負傷したのかを報告する古文書が残っています。
その古文書によると、「水夫(かこ)」二人が矢を受けて、一人は右足を、もう一人は腰を負傷しています。痛そうですね!「水夫」とは船を漕ぐ人のことですので、船を漕ぐ人が戦闘中に負傷しているというのが、海城での戦いらしいですよね。痛そうですが、、、
続きまして、山の城・国分山城!
今治市国分にあったこのお城、実は村上海賊が普請(工事)を行っていたお城なのです。村上海賊は、かなり張り切って普請したのでしょうか、当時の古文書には、村上海賊が国分山城の普請を始めたため、今治のあたりが騒然としている!とのことが書かれています。
なぜ村上海賊は、こんなに張り切って普請を始めたのでしょうか?目下調査中です!
この他にも、色々な海城・山城を企画展では紹介しております。
海城・山城を発掘するとどんなものが出てくるのか!?
企画展で是非ご覧下さい!!
そして、企画展を観覧して、紹介されているお城に行くと、楽しさも2倍になるのではないでしょうか!!
学芸員 O
2015年12月10日木曜日
もうすぐクリスマス!来島村上氏はキリシタンだった?
もうすぐクリスマスですね!
子供の頃はイイ子にしていると毎年サンタさんがプレゼントを持ってきてくれたものですが、
年をとってからというもの、貰える機会がめっきり少なくなってしまいました。
大人になったから貰えなくなったのか
それともイイ子にしてなかったから貰えなくなったのか
恋人がサンタクロースなのか
心が薄汚れたのか
謎は深まる一方です。
とにかく、サンタさんはいる絶対!
・・・・ということで、
村上水軍博物館でも
クリスマスツリーを出しましたよ^^
じゃん。
豪華!
クリスマスといえばキリスト教の行事のイメージが強いですが、
日本においてはもはや国民行事の一つだといっても差し支えなくなってきていますよね。
ちなみにですが、来島村上氏(来島通総)はキリシタン大名という記述が残っています。
黒田官兵衛と来島通総を結びつけたのがキリスト教だとか、、、
興味のある方は調べてみるのも面白いかもしれません^^
※宣教師フロイスの記述、『日本史』を参照
黒田官兵衛のハンコなんかは今見てもスタイリッシュでかっこいいですよ!
来島通総も軒先にクリスマスツリーを飾っていた・・・かどうかは定かではありませんが(笑)
とにかく
皆様に素敵なクリスマスが訪れますように。
2015年12月5日土曜日
潮に関するよもやま話
個人的なことですが、周りは今、おめでたいニュースだらけです。
年齢のせいもあるのかもしれませんが、結婚・出産ラッシュ。
高校卒業したのがつい2、3年前な気がしていましたがもう10年近くたっているなんて。
時間が経つのは早いものです。
さて、つい最近も出産のおめでたいニュースがありました^^
いつ生まれるんだろうとみんなでわくわくしていたんですが、
館長をはじめ、島生まれのスタッフが不思議なことを言い始めたのです。
「○○日の満潮っていつ?」
「○○時ごろなのでそれくらいですね」
不思議に思って詳しく聞いてみると
なんと、満潮の時間に子供が生まれる確率が高い!
との事。
どうもこのあたりでは常識のようです。
個人的には衝撃でした。
山で生まれ育ったせいか、潮の満ち引きが出産の時間に関係あるだなんて聞いたことが無かったんですよね・・・。
実際どうなのかgoogle先生に聞いてみました。
すると、
でるわ、でるわ。
私が知らなかっただけで結構有名な話だったみたいです。
特によく出てくるのが大潮と出産の関連性。
皆さんご存知の通り、そもそも大潮になるのは、月の引力が大きい時です。
確かに海の満ち引きが月の引力の影響を受けるのなら、人間も80%は水なのだから多少は月の引力の影響を受けたとしてもおかしくないかもしれません。
しかし化学的に分析したり、統計を取っているようなものは結局見つけられず・・・
もしかしたらただの迷信かもしれません。
でも、昔からずっと言われているのならもしかしたらなにかあるのかも!
なんて思ったり。
ちょっとスピリチュアルな話になってしまいましたが(笑)
ちなみに月の満ち欠けと潮の関係については昔の人も知っていたらしいです。
(月の周期(28日)で読んだ暦が太陰暦ですね)
特に瀬戸内の海に生きる海賊にとっては最も大事な事柄の一つ。
村上水軍には潮汐早見表なんかも伝わっているんですよ。
それがコレ。
操潮時図
当館学芸員が復刻したものです。
旧暦の日にちに合わせると、
何時に干潮で、満潮か分かるようになっています。
例えばこの画像なら、
旧暦の14日だと、未の刻(午後2時)と丑の刻(午前2時)に満潮を迎えて
辰の刻(午前8時)と戌の刻(午後8時)に干潮を迎える。
という感じ。
昔の人ってかしこい!
海と生きる人達は、こうやって昔から潮と関係深い生活を送っていたのかもしれません。
そう思うと出産と潮の満ち引きの関係に気付いても、おかしく無い気がしますね。
・・・・と、まあ、さんざん語ってはきましたが。
最近子供が生まれた人に聞いてみると、出産時刻は大潮にも満潮にも全く関係ありませんでした(笑)
やっぱりみんな一概にそうとは言えないようです。
スタッフYでした!
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