2020年5月1日金曜日

「加冠状」 おうちで村上海賊”Murakami KAIZOKU” №.6 こたえ

正解はこの方!





①小早川隆景


でした!


今回は正答率90%🎊



ちなみに、選択肢②「村上景広」(武吉のいとこ)の「景」も小早川隆景。

※『村上海賊の娘』の主人公「景(きょう)」も隆景からもらっている設定でした。



前回書き忘れましたが、将軍や大名が家臣などに自分の実名の一字を与えることを

偏諱(へんき)を賜う

といいます。

※「偏諱」は二字以上の名の一字のこと。「諱(いみな)」は身分の高い人の実名のこと。

日本史の人物の名前みんな似すぎ問題の一因ですね😅




さて、村上海賊ミュージアムには、№6でご紹介した「加冠状」と関係するお手紙がもう一通あります。

それがこちら。

「毛利輝元安堵状」

あまり崩されていないので
 Let's古文書解読チャレンジ☆
暇つぶしに読んでみよう!





読めましたか?






翻刻を載せます。
❷日付:慶長18年(1613)5月21日 に
❸差出:毛利輝元 から
❹宛名:「村上源八殿」 へ送られた手紙

です。

「加冠状」と❷~❹は全く同じ。
2通がセットで出されたことがわかりますね。



本文の書き下しも載せておきます。


親父三郎兵衛尉一跡の事、相違無く宛行うの間、知行有りて役儀等堅固に其の節を遂げらるべきものなり、仍って一行件の如し、


簡単に訳すと、


「親父三郎兵衛尉」(=村上景親)の所領を(「村上源八」に)確実に宛がうので、知行して勤めなどをしっかりと果たしなさい。


輝元は「村上源八」を景親の後継ぎとして認めて、

・元服する「村上源八」に自分の実名の一字「元」を与え(加冠状)、
・景親の遺領の相続を保証(安堵状)

を出したわけです。



さて、輝元から「元」をもらった「村上源八」=「村上元信」。

それから5年後の元和4年(1618)、萩藩の「御船手組頭」に命じられます。

6歳で家督を継いで5年後なので、まだ11歳!!若い!!


御船手組(おふなてぐみ)はどのようなことをしていたのか。

・朝鮮からの使節(朝鮮通信使)の海上警固
・藩主が参勤交代する際の送迎
・中国からの漂流船への対応

など、海上交通に関わる業務を担当していました。



日本史の教科書で習う「海賊禁止令」の後も、「村上海賊」は海で活躍しつづけたのです!!(大声)



「御船手組頭」になったのは、元信だけではありません。

景親の兄・元吉の子である元武も「御船手組頭」に命じられています。





村上海賊ミュージアムにある古文書は、景親系の「村上一学家」に伝わるものです。

景親の話が多いのはこれが理由です😊


【勝手に次回予告】このかげちかくんが持っているものは…?



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