正解はこの方!
①小早川隆景
でした!
今回は正答率90%🎊
ちなみに、選択肢②「村上景広」(武吉のいとこ)の「景」も小早川隆景。
※『村上海賊の娘』の主人公「景(きょう)」も隆景からもらっている設定でした。
前回書き忘れましたが、将軍や大名が家臣などに自分の実名の一字を与えることを
「偏諱(へんき)」を賜う
といいます。
※「偏諱」は二字以上の名の一字のこと。「諱(いみな)」は身分の高い人の実名のこと。
日本史の人物の名前みんな似すぎ問題の一因ですね😅
さて、村上海賊ミュージアムには、№6でご紹介した「加冠状」と関係するお手紙がもう一通あります。
それがこちら。
「毛利輝元安堵状」 |
あまり崩されていないので
Let's古文書解読チャレンジ☆
暇つぶしに読んでみよう!
読めましたか?
翻刻を載せます。
❷日付:慶長18年(1613)5月21日 に❸差出:毛利輝元 から
❹宛名:「村上源八殿」 へ送られた手紙
です。
「加冠状」と❷~❹は全く同じ。
2通がセットで出されたことがわかりますね。
本文の書き下しも載せておきます。
親父三郎兵衛尉一跡の事、相違無く宛行うの間、知行有りて役儀等堅固に其の節を遂げらるべきものなり、仍って一行件の如し、
簡単に訳すと、
「親父三郎兵衛尉」(=村上景親)の所領を(「村上源八」に)確実に宛がうので、知行して勤めなどをしっかりと果たしなさい。
輝元は「村上源八」を景親の後継ぎとして認めて、
・元服する「村上源八」に自分の実名の一字「元」を与え(加冠状)、
・景親の遺領の相続を保証(安堵状)
を出したわけです。
さて、輝元から「元」をもらった「村上源八」=「村上元信」。
それから5年後の元和4年(1618)、萩藩の「御船手組頭」に命じられます。
6歳で家督を継いで5年後なので、まだ11歳!!若い!!
「御船手組(おふなてぐみ)」はどのようなことをしていたのか。
・朝鮮からの使節(朝鮮通信使)の海上警固
・藩主が参勤交代する際の送迎
・中国からの漂流船への対応
など、海上交通に関わる業務を担当していました。
日本史の教科書で習う「海賊禁止令」の後も、「村上海賊」は海で活躍しつづけたのです!!(大声)
「御船手組頭」になったのは、元信だけではありません。
景親の兄・元吉の子である元武も「御船手組頭」に命じられています。
村上海賊ミュージアムにある古文書は、景親系の「村上一学家」に伝わるものです。
景親の話が多いのはこれが理由です😊
【勝手に次回予告】このかげちかくんが持っているものは…? |
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