能島に3辺ある船着場の中でも船溜まりは、船の繋留に最適の海岸とされ、主要な航路にもっとも近い場所であるため、重要な入口であった可能性は高いと考えられています。
また平成17年度、初めて城内にトレンチ調査のメスが入ったところで、今年度の調査は追加調査の意味合いもあります。推定される登城路の確認と、石垣状遺構の構造やその構築時期の解明に期待がかかっています。
前回の調査で、石垣状遺構周辺には岩盤を人工的に成形し、平坦面を造っています。その上に硬質の盛土を多層することによって、斜面に多くの平坦面を造り出していることもわかってきています。
そのためか、所々みず道のところが大きく崩落し、当時の登城路の把握を困難にしています。
船溜まりの海岸には、石積にも使えそうな石材が土器片とともに干潮ラインに多く散乱しています。もしかしたら崩落したかもしれない石垣状遺構の石材が他へ流されず、堆積しているのかもしれません。。
以前のブログで、草刈中の登城路推定ラインをご紹介いたしましたが、それからさらに地面の状況がわかるようになりましたので、想定される案は
緑の点線は崩落している可能性が考えられる部分。赤の点線が、個人的(D)に現在の地表面から想定した登城ライン。掘ってみないとわかりませんが、上の郭に両手を広げた男性付近が、三ノ丸の到達地点??
県内の中世城館では、松野町 「河後森城」発掘調査において、本郭南側に通路跡が検出されています。斜面の岩盤を削って階段状の足がかりを設けていたようです。
http://www.town.matsuno.ehime.jp/site/kagomorijou/hakkutukagomori.html
能島城内にこういった階段状の遺構が確認できるのか。期待がかかります。(D)