「おうちで村上海賊”Murakami KAIZOKU”」も4回目となりました。
普段敬遠されがちな古文書に親しんでいただきたいと思い、№2に引き続き、村上海賊ミュージアムの古文書の紹介をします!
今回はこちら。
※画像の二次利用はご遠慮ください🙇
№2の復習。
「古文書(こもんじょ)」というのは、
誰かから誰かへと意思を伝えるために書かれたもの
でしたね。
今回は誰から誰へ書かれたものなのでしょうか。
どこに名前が書かれているか分かりましたか?
❸と❹のところが差出と宛名です。
❷年月日は「慶長六年八月廿日」
❸差出は「村上三郎兵衛尉景親」=村上景親
❹宛名は「福原越前守殿」=福原広俊
慶長6年(1601)8月20日に、村上景親が毛利氏の家臣である福原広俊宛に出したお手紙です。
※前回、花押はサインと言いましたが、今回の書状では景親の花押がなく、出したはずの手紙が相手の元ではなく、出した側の村上家に残っているので、原本ではなく、「案文(あんもん)」=控えの可能性があります。
さて、本文の内容に入る前に…
なんか後ろの方がごちゃごちゃしていて見にくくなかったですか??
後半部分を拡大すると…
黒い何かがたくさん描かれていますね。
ちょっと薄く見えるのは、絵が刷られている面が裏側にきているからです。
分かりやすいように一部をなぞってみました。
何が書かれているか分かりましたか?
黒い何かは、神の使いである「カラス」。
もう一つなぞってあるのは「宝珠」です。
この特徴的な紙は、カラスと宝珠を組み合わせた烏文字を刷った熊野三山(本宮・新宮・那智)の護符で、
「牛玉宝印(ごおうほういん)」
といいます。
※牛玉宝印は熊野以外にもありますが、ここで用いられているのは熊野のものなのでそう説明しています。
※牛玉宝印は熊野以外にもありますが、ここで用いられているのは熊野のものなのでそう説明しています。
現在でも熊野に行けば授与品の一つとしてあります。
三山でデザインが違います。
こちらはMの私物の本宮大社のもの。烏文字で「熊野山宝印」と書かれています。
今回の書状に用いられたものは那智のもので「那智瀧宝印」。
カマドの上(現今はガスの元栓)にまつれば火難をまぬがれる
門口にまつれば盗難を防ぎ
懐中して飛行機、船にのれば、船酔い災難をまぬがれる
病人の床にしけば、病気平癒となる
門口にまつれば盗難を防ぎ
懐中して飛行機、船にのれば、船酔い災難をまぬがれる
病人の床にしけば、病気平癒となる
など、あらゆる災厄から護ってくれると書かれています。
こんな厄除けの護符を、なぜ書状につけているのか…?
本文の内容に大いに関係しています。
ここで問題です。
Q.手紙に書かれている内容を予想してみよう!
①困ったときは神頼みですよ・
②早く病気が治るといいですね
③航海の安全を祈っています・
④神仏に誓って約束します・・
答えと本文の解説はまた明日!
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