この期におよんで、ヒントの画像です。
昭和の時代に、ここ今治市宮窪町の漁師さんが使っていたものです。
同じようなものがついています。
もうおわかりですよね^^
そう答えはこちら。
② 魚をとる網につけるおもり
でした。
これを、私たちは土でできた錘(おもり)なので、土錘(どすい)と呼んでいます。
もう一度この写真。
この写真は43個がまとまって出土していますが、土の中で「網」の部分だけ腐って無くなってしまい、土錘だけが残ったということでしょう。
能島城跡では、総数で500個以上が発見されており、その出土数は、全国の城跡で最多クラス。
海辺なので当然と言えば当然かもしれません。
ただ、海賊たちが能島城で漁をしながら暮らしていたことがわかります。
海賊たちのエネルギーの源はやはり宮ノ窪瀬戸の新鮮な魚だったのでしょう。
そして、№2で紹介したように、新鮮な魚介類をお歳暮として大名に送ることもありました。
ひとつひとつを手にとると、とても小さな遺物なのですが、海賊たちの暮らしぶりを物語る大切なものなのです。
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