2020年4月27日月曜日

おうちで村上海賊”Murakami KAIZOKU” №.4 こたえ

正解は…



神仏に誓って約束します




でした!



さっそく本文の内容を見てみましょう。

翻刻してみると…



漢字ばっかり!!
でもところどころひらがなの助詞があって日本語であることが分かると思います。

翻刻だけでは内容がよく分からないと思いますが、

なんとなく

●前半部分は「一、〇〇…」というような箇条書きで書かれている
 ※「一」は「ひとつ」と読みます。こういう箇条書きを「一つ書き」といいます。

●後半部分には、神仏の名前がいくつか挙げられている

ということはわかるでしょうか。




では、書き下してみましょう。


  敬白す、起請文の事、

一、去年、殿様より御書の砌、ただ今までの儀は、私の覚悟少しも二心存ぜず候、最前豊前表の入組の儀は、各奉行衆へも申し上げ候、その外の儀は、至って何方にも我等申し調え仕らざる事、

一、武吉の事も殿様に対し奉り疎略に存ぜざる事、

右、偽申すに於いては、日本国中大小の神祇・天満大自在天神、別して八幡大菩薩・愛宕白山氏神、御罰を罷り蒙るべきものなり、よって起請文件の如し、


現代の言葉に直してみると


謹んで申し上げます。起請文のこと。

一、去年、殿様(=毛利輝元)から御書(をいただいた)時、ただ今までのことについては、私(=村上景親)の覚悟に少しも(輝元に対する)裏切りの心はありません。この間の豊前方面での問題については、各奉行衆へも申し上げました。その外については、まったくどこにも私は仕官することはありません(という)こと。

一、武吉も殿様に対して疎略には思っていない(という)こと。

右(の2点について)、(私が)偽りを申していたのであれば、日本国中大小の神祇・天満大自在天神、とりわけ八幡大菩薩・愛宕白山氏神(から)御罰を受けるでしょう。よって起請文は以上の通りです。


前半部分に箇条書きで書かれている内容(①私・景親は輝元を裏切りません、②父・武吉も輝元を疎略に思っていません)について嘘偽りがないことを、「神仏に誓って約束」していることが分かります。


今回の書状のように、自分の言っていることが嘘偽りではないことを神仏に誓い、相手に表明する「宣誓書」のような手紙のことを、

起請文(きしょうもん)

といいます。

文章中にも出ている言葉ですね。

誓約する内容を書いた前半部分を「起請文前書(きしょうもんまえがき)
誓約に嘘偽りがあった場合神罰を受けるという後半部分を「神文(しんもん)

といいます。


この「神文」部分を書く料紙として、「牛玉宝印(ごおうほういん)」がよく用いられています。
※必ず牛玉宝印を使っているわけではありません。


「神文」の部分には、起請文の当事者の信仰している神仏が書かれます。

村上海賊の信仰は…?

他の起請文と併せてみてみると面白いかもしれません。


村上武吉の起請文に出てくる「三島大明神」は村上海賊の氏神として崇めた大山祇神社か




さて、

今回の内容は、村上景親(と父・武吉)が輝元を裏切りません!と誓う内容でしたが、なぜこんなものを出す必要があったのでしょうか🤔?


文章中に「最前豊前表之入組之儀」という部分がありましたね。

「豊前」というのは、今の福岡県・大分県の一部。

「入組」というのは、『日本国語大辞典』で引くと、「人と人との関係が、面倒な事情などのため、すっきりしないこと。なかなか解決しないごたごた。でいり。いざこざ。」とあります。

豊前での問題とは…?

この手紙が出されたのは、慶長6年(1601)8月20日。

関ケ原の戦いの翌年です

関ケ原の戦いでの敗戦後、毛利氏は領国を中国地方11か国から防長2か国(今の山口県)に減封されてしまいました。

大幅な領地替えと、石高の減少。

多くの家臣が毛利氏のもとを去っていきました……😢

一方この頃の「豊前」には、関ケ原の戦いで徳川方につき、その軍功によって豊前国に入封していた「細川忠興」がいます。

小さくなった毛利家とは対照的に大きくなった細川家。

大きくなった分、それに見合った家臣団を整える必要があります。

そこで細川忠興はいい人材をヘッドハンティングしていくわけですが、その中に、村上海賊や小早川氏の水軍などの人物もいました。

たとえば、村上武吉のいとこ・村上景広や、小早川氏の重臣である乃美宗勝の子・乃美景嘉、来島村上氏系の村上吉郷村上景房などが細川家に召し抱えられています。


この書状を書いた村上景親も豊前の細川忠興による勧誘を受けたのでしょう。

しかし、景親はその勧誘を断り、他家には仕えないということを毛利氏に誓ったのです。





この書状に関係する起請文がもう一通、村上海賊ミュージアムにあります。



こちらは、先ほどと同日付の慶長6年8月20日に毛利氏の重臣・堅田元慶(かただもとよし)から村上景親に出された起請文。

堅田元慶は、景親が毛利氏のもとに留まったことを称賛し、今後も変わらず親交することなどを誓約しています。


毛利氏を去っていく家臣がいる状況…
今回の景親の起請文のように、他の毛利氏の家臣による「輝元を裏切りません」と誓う起請文が「毛利家文書」の中にいくつか残っています。
(が、今回長くなってきたのでそろそろカット!気になったら調べてみてください!)


”指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます!”

のような「起請文」。

ぜひ皆さんも何かを誓うとき、「起請文」を書いてみてください😊





【おまけ】

本文をよく見ると



文章の途中にスペースが。

このスペースには意味があります。

この部分が文章のどこにあたるかというと


「去年 殿様
「奉対 殿様


両方とも、「殿様」の前にスペースがありますね。

「殿様」というのは「毛利輝元」のこと。

「殿様」の前に一文字あけることによって、輝元に対して敬意をはらっているのです。

このように、敬意を表すべき文字の前に一文字あけることを

闕字(けつじ)

といいます。

この他にも、
  • 敬意を表すべき文字の前で改行して、その文字が行の一番上に来るようにする「平出(へいしゅつ)
  • 改行+他行より高い位置に書く「擡頭(たいとう)
など、いろんな敬意表現があります。



※開催中の企画展「さらば、村上水軍博物館~なぜ村上「海賊」なのか?~」で展示中の「村上元吉書状」に見える「平出」の敬意表現


文章の途中に不自然な改行とかスペースとかがあれば、敬意表現かも!


古文書っておもしろい😊

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