2021年5月5日水曜日

「#おうちでバリミュ⑫」 わぁ、くっついた!(1)能島城跡でひろった陶磁器のカケラ

こどもの日ですね!


例年ですと、たくさんの子どもたちで大にぎわいのミュージアム。

残念ながら臨時休館中ですが、子どもたちに大人気の「土器パズル」にちなんで!?今日は能島城跡(のしまじょうあと)でひろった土器のカケラの話をしましょう。


能島城跡は、村上海賊の代表的な城で、国の史跡に指定されています。村上海賊ミュージアム(旧村上水軍博物館)が調査研究はもちろんのこと、管理や整備を担当しています。


能島(周囲約850m)と鯛崎島(周囲約250m)の二つの島全体をお城にした全国的にも珍しいタイプの城。私たちはよく「海城」と呼んでいます。

そう!1月に放送されたNHk「ブラタモリ」でタモリさんが上陸した島!!

かっこいいでしょ^^



北側上空から撮影 2018年冬


この能島城。14世紀(西暦1300年代)から活発に利用され始め、16世紀の終わり頃(秀吉の時代)に廃城になります。発掘調査を行ったところ、海賊たちが生活に使ったであろう、この時代の土器や陶磁器(とうじき)がたくさん発見されました。ただし、割れていない完全な形のまま出土するのは珍しく、ほとんどが小さく割れた状態で発見されます。


この写真は、能島城の北側の船だまりと呼ばれる海岸で「拾った」もの。


船だまりといえば、タモリさん、アナウンサーの浅野さん、私K、そして海賊たちがたわむれた海岸です!

土器や建物などの壁に使った土のかたまりが多いなか、中央のツヤツヤした緑色の陶磁器がひときわ目立ちました。ほとんどが村上海賊の時代のものです。(この陶磁器、すでに産地や時代のわかってしまった専門家や焼き物好きの方もいらっしゃると思いますが、それはのちほど^^)


さて、これらの大量の土器や陶磁器を船だまりでひろったのは、2018年8月~翌年3月頃のことでした。

ちょうどその頃、この船だまりの上にある二之丸(郭(くるわ)Ⅱ)の発掘調査が行われました。発掘調査で出土した土器などを村上海賊ミュージアムに持ち帰り、作業員さんに洗浄をお願いし、かごに並べて乾かしてもらいました。


(あいかわらず、たくさん出土品の多い城だな…。珍しいものはないかな??)


そう思いつつ調べていると、緑色でツヤツヤし、表面がボコボコと波打った形の陶磁器のカケラを発見。



どこかで見たな…
時々、妙に勘が働くときがあります。時々です。




あれだ!



ならべてみるか




ほらね、そっくり…



!!!






わぁ、くっついた!


出土品のカケラ同士がくっつくことはよくありますし、遺跡から出土する土器などは、だいたいバラバラになっているので、「接合」という作業を経て、形が復元されていきます。

博物館などで見る出土品の多くは、カケラが接合され、パーツの足りない部分を石膏で補修されたうえで、展示されています。


ただ、今回びっくりしたのは、それぞれのカケラが発見された「位置」です。写真で見るとわかりづらいかもしれませんが、高低差は15メートル以上あります。

こんなに離れた場所で偶然発見された小さなカケラ同士がくっつくなんて、奇跡⁈



(じつは、数十メートル、数百メートル離れた場所の土器がくっついた!なんて話を聞くこともありますので、「奇跡」は大げさかもしれませんが^^;)


さらに、私の勘は働き^^
二之丸の同じ調査地点で出土したもう一つのカケラがくっつきました。

さらに大きくなったものがこちら。



小さなカケラだと器の種類や産地、時代などを判別するのも難しくなりますが、大きくなればなるほど、さまざまな情報を読み取ることができます。

これだけカケラが大きくなると、もともとの形の推定も可能になってきます。
縁の部分や高台と呼ばれるそこの部分が残っていると、直径など、大きさを復元することもできるんですよ。

「あ、この部分のカケラなんだ」というのがわかってきます。こんな感じ↓




口の部分の直径が20㎝ほど。部分的ですが上から下まで残っているので、高さが4.5㎝の大きめの皿だということがわかりました。

この皿は、中国の龍泉窯(りゅうせんよう)というところで作られた「青磁」(せいじ)で、表面には蓮(はす)の花弁のような模様があります。しかも花弁は少し浮き出るように立体的で丁寧なつくりに仕上げられています。

この蓮の花弁のような模様のことを私たちは「蓮弁文(れんべんもん)」と言いますが、時代が新しくなるにつれて、蓮弁が立体的なものから、細い線だけで描かれるものに変化していくという特徴があります。

16世紀頃の青磁の碗
蓮弁は細い線で描かれるだけ


器の形、蓮弁の特徴、釉薬の色、高台の厚さ…

長くなるので細かいことは述べませんが、これらの特徴を捉えたうえで、現在の研究に照らし合わせると、この青磁の皿は14世紀代のものではないか、と推測することができます。

14世紀といえば村上海賊が活躍し始めたころ。そして能島が利用され活発に始めたころです。そのころに中国龍泉窯で作られた青磁の皿であり、その後、輸入され、能島城にもたらされたものということがわかるのです。


とても貴重なものなので、今年度中にはみなさんに見ていただけるように展示したいと思います。お楽しみに。


ところで、能島城跡の海岸では、いまでも土器や陶磁器のカケラが落ちていることがありますが、ほとんどが長い年月、波打ち際を漂い、砂で磨かれて角が取れて丸くなってしまっています。

能島城跡の海岸で採集された青磁(常設展示室)

貝類が付着しているものも。

角が取れて丸くなったうえに貝類が付着

でも、先ほどの青磁の皿の一片は船だまりで採集されたにもかかわらず、角も取れていませんし、貝もついていません。

それは、いったいなぜでしょうか。
離れた場所のカケラがくっついたというのもヒント。
そして、海岸でたくさんの遺物を拾ったのは、平成30年8月から3月。

もうおかわりかもしれません。その背景には悲しい事情があったのです。

続きは明日。

k

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