市内のミュージアムや収蔵品の魅力を紹介する # おうちでバリミュ
本日からは、各館が公式ブログや日本遺産「村上海賊」公式Twitterで、不規則・不定期で情報を発信していきます!
今日は少し短い文章ですが、とても貴重な動画をお届けします。
この動画じつは1月に放送された超有名番組のリハーサルの映像です。
リハなので某有名タレントさんは映っておりません。
復元された「小早船」※を能島城跡の船だまりに着岸させるという、超貴重映像。
※水軍レース実行委員会が保管しているもので、村上海賊時代の小型の和船を復元し、毎年レース大会を行っています。
小早船 |
私が知る限り、このような試みは行ったことがなく、学術的にも意義のあるものになりました。
この時間帯、周囲は潮の流れが速く、沖へ出ると流されてしまいますが、この船だまりに入ると穏やかで一直線で砂浜に向かってきます。
能島城跡の船だまり |
海賊たちの日常の風景だったのでしょう。その再現ができ、感激しました。
(ちなみに「チョーサー」という掛け声は、この地域の「秋祭り」の掛け声なので、村上海賊時代から伝わるものではありません。漕ぎ手を盛り上げるために私の上司がアドリブで^^この後、ほうろく玉で攻撃してすいません。)
この光景を見ていて、東国(関東)の海賊たちの戦い方を思い出しました。
「敵船と出会い、勝利を得、風(富)津浦へ追い上げる」
「佐貫前で房州海賊と掛け合い、佐貫浜陸地へ押し上げ」
(『越前史料所収山本文書』)
どうやら戦国時代の海賊の戦法は、西と東で違いがあるようです。
村上海賊は「ほうろく火矢」などを用いた海上での戦法を得意としました。
ほうろく玉を用いた海戦 |
一方、東国(関東)の海賊は、砂浜へ敵を追い上げて(押し上げて)、最終的には陸地で決着をつけていたということがわかります。状況は違うかもしれませんが、砂浜へ和船が着岸する姿は、まさにこの動画のようなものだったのでしょう。
ちなみに、この「砂浜への着岸」のことを「ビーチング」と呼ぶということを、この超有名番組で共演させていただいた先生から教えていただきました。ただ、この「ビーチング」に相当する日本語の単語がなかなか無いそうです。
さすがに戦国時代の人たちは「ビーチング」とは言わないでしょうから(笑)実際は、どのように表現していたのでしょう。押し上げ?乗り上げ?のような感じでしょうか(想像)。古文書でわかると面白いですね。探してみよう。
ちなみにこの映像は私が撮影したものです。
この1本の映像からどんどん話題が広がりますね。
「ブラタモリ」と地元漁協のみなさんに感謝です。
K