8月13日で突如終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城ーかけらが語る災害の記憶―」 。見学できなかったお客さまへ企画展の内容を紹介します。第2回の今回は「豪雨の爪痕」と「なぜ斜面崩落が起きたのか」。
平成30年7月豪雨において、能島城跡は4か所6地点で斜面崩落が確認されました。
最も広範囲に被災したのは、能島北側の「船だまり」に面した斜面です。斜面の上部はオーバーハング状(下の土が流れ落ちて、地表面だけ残った地形)になり、中ほどでは表土が流出し、多くの部分で地山が露出していました。また往時の通路の土留めとして築かれた石積は、その一部が崩落、あるいは土砂で覆われています。
能島城跡船だまり 被災前 |
被災後 |
そのほか、郭Ⅰ(本丸)西側斜面、郭Ⅲ(三之丸)南側斜面が崩落し、土砂で通路が覆われてしまいました。
郭Ⅰ(本丸)西側斜面 |
郭Ⅲ(三之丸)南側斜面 |
さらに鯛崎島北側斜面の崩落は深刻で、表土とともに地山が大きく崩落し、岩盤面が露出。通路の一部が崩落し、登城が不可能になりました。
鯛崎島北側 |
この平成30年7月には崩落を免れた部分においても、その見えない傷跡は深く残り、同年9月の台風24号、そして令和2年7月の豪雨による、新たな斜面崩落を引き起こしたと考えられています。
ところで、大規模な崩落が起きた場所には共通点があります。それは、いずれも戦国時代に敵の侵入を防ぐために設けられた「切岸」と呼ばれる急斜面、あるいは同じ役割を果たした天然の崖であるという点でした。
能島城の守り模式図 (松野町教育委員会提供)※二次利用不可 |
そして、斜面崩落の最大の原因は、言うまでもなく、総雨量400mmを超える長雨です。
昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した下の表をご覧ください。
例えば、能島城跡に近い大三島のデータを見ると、平成30年7月豪雨では、日最大雨量が1.3倍、総雨量は7月5日~7日の約3日間で、年間平均の約1/3に達していることがわかります。
少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であると言えるでしょう。
(つづく)
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