2014年1月23日木曜日

能島城内通路に 轍(わだち)? それとも溝?

今年も能島城最後とみられる発掘調査が進んでおり、今年3月までの事業なので、最後の追い込みにかかっています。


合計10箇所のうち7箇所は調査に着手していて、残り3箇所の調査区設定と詳細な調査、記録作成作業が主な内容です。


今年は補助金の関係で、着手が遅れ、例年に比べ雨が多いこともあり、慎重かつ迅速に調査しないといけません。時間切れが一番困りますからね。。


こちらは以前紹介したブログ(東部海岸の大穴から伸びるとみられる登城路)
http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post_25.html に設定したトレンチです。

まだ調査中なので、小さな写真でしかご紹介できませんが、赤い点線の部分は傾斜しながら伸びる通路の跡と考えられています。


この斜面に限らず、能島の岩盤は非常にもろく崩れやすい花崗岩です。でもちゃんと通路側面の岩盤をほぼ垂直、人為的に加工しています。

通路幅は約60cm~70cm程度の大人1名が通過できる程度の幅でしかありません。これは能島三の丸 船溜まり周辺で確認されたトレンチでも、同じような幅の通路が確認されています。

この通路の土層堆積断面を見ると、まだ下に岩盤があることがわかりましたので、この状態にて写真撮影、平面図作成・標高レベル記入の後、少しずつ掘り下げてみることにしました。


すると、このようなイタリアは2000年前のポンペイ遺跡で確認されている轍(わだち)のような遺構が姿を見せ始めたのです。




 上から見ると、轍のように見えますが、実は右と左とでは底面の高低差があり、車輪としては無理があります。しかも、先行する土層堆積断面から見ても上下関係(右側の溝が先に埋まっている状況)を見ると、その可能性は極めて低くなります。

一瞬、在来馬である野間馬などの小型馬を動力とし、重い荷物を運ぶ車輪があったのではないかと想像しましたが、そうではないようですね。


 溝のようにも見え、下段の溝はわざと切立てているようにも見えます。但し、両側の壁の断面を観察すると元々の溝幅はごく狭く、現状でも少し歩くだけで、岩盤が砂状になるほどもろい地山です。これら現状を踏まえると、傾斜の低い方の岩盤が崩れた可能性も考えられるのではないでしょうか。
 
上写真の丸いピットは直径約25cm、深さが約60cm。比較的大きくしっかりとした丸底タイプです。このピットは下段の溝が1層分埋まった後、掘りこまれたものですので、上段の浅い溝? と同時に使われていた可能性も少なからずあるわけです。
 
作業員さんの説では丸太状のものを半載(半分)し、それを止めるためのピットではないか?という意見も出ていましたよ。
 
それにしても比較的深くしっかりしたピットをそれだけのためにわざわざ岩盤を掘削する必要があったのか? 疑問が膨らみます。
 
能島城では、このように通路上通路の傾斜側面に排水溝のようなものとピット http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html が確認されています。
 
他の海城や山城に類例 があるか調べてみないといけませんね。
 
 
こちらは、次に設定するトレンチ。南部平坦地から見た状況ですが、小さな平坦面が上部に向かって上がっているように見えませんか??
 
※こちらに掲載している写真は、1/23 現在調査中であるため、転載はご遠慮願います。  (D)