そのアルバムをめくってみると、昭和35年頃と思われる島四国へんろの写真がいくつかありました。
4月28日、29日、30日の島四国へんろにあわせて、1階ガイダンスホールにこの写真を展示しました(30日までの予定)。
期間が短いため、展示をご覧になれない方のために、その写真を紹介します。
なお、写真の転載はご遠慮ください。
ここがどこだかわかりますか?
能島村上氏の本拠地があったと考えられている、菅原池周辺の写真です。池の東岸からカレイ山展望公園方面を撮影したものです。奥の山の斜面をおへんろさんが列をなして下っています。
下の写真は、現在の写真で、場所がわかりやすいように、やや引いてとっています。中央の人がいるあたりが、古い写真の人が歩いているあたりです。
じつは、これは、山の向こう側にある余所国集落の5番札所から、峠を越えて、まず9番札所のいわゆる“せりわりさん”(大聖庵)を目指しているところです。
昨日紹介した『島四国へんろ今昔』に、このことが書いてありました。海岸沿いの道が整備される前には、5番の次は、山を越えて9番へ、そして10番の鐙明寺、次いで8番海南寺、7番、6番の順に海側へ下っていき、そして11番へ向かったという話がありました。開創当初は、海岸沿いを回り、順番通りの巡拝だったそうですが、しばらくして、5番から峠を越えて9番へ行くようになったと考えられています。
そして海岸沿いの道が整備された近年では、再び番号順に巡拝するようになったそうですが、歩いて巡拝される方の中には、峠越えをされる方もいらっしゃるそうですね。
これも菅原池沿いで、先ほどの写真の位置から、50~100mほどでしょうか、9番札所方面へ歩いた位置です。お接待のようすが写っている貴重な写真です。白い大きな箱が見えますが、あれは“アイスクリン”ではないか、という話も。
先ほどの写真の反対方向、つまり進行方向を後ろから撮影したものです。現在の写真は少し引いて撮っています。古い写真の大きな松があるあたりは、城の平坦面の郭(くるわ)ではないかと言われているところです。その脇の菅原池沿いにへんろ道が続いています。
このアングルは、人工物が写り込んでおらず、昔のへんろ道の雰囲気を残している貴重な景観ですね。
道端の草むらにはひっそりと。おへんろさんを見守っているようでした。
さらに進んで、“堀切”などと城にちなんだ呼び名がついている場所あたりです。木に隠れていますが、古い写真に写っている建物は今も健在でした。
今回、急きょ思い立って、昭和35年頃と現在の景観を見比べる作業をしてみました。
小さなコーナーですが、ぜひご覧ください。(K)