2021年4月22日木曜日

「#おうちでバリミュ①」 愛媛県美術館コレクション「伝久留島家甲冑」

今治市立のミュージアムは、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、本日から5月19日まで臨時休館となってしまいました。とても残念ですが、収束した後、みなさまのおでかけ先がミュージアムであったら良いなぁ、という思いで、情報発信を続けたいと思います。


今治市立ミュージアムの学芸員による




♪始まり始まり👏👏


第一弾は、村上海賊ミュージアムからお届けします。


昨日、突然の最終日を迎えた「愛媛県美術館コレクションによるおでかけ美術館」

ご覧いただけなかった方が多いと思いますので、展示品の一つを紹介させていただきます。


今回の展示のテーマは「海」「瀬戸内海」をテーマとする作品でしたが、中央でひときわ異彩を放つ甲冑。「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)(あるいは「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる))と呼ばれるこの甲冑がなぜ村上海賊ミュージアムで展示されたのでしょうか。


その理由は簡単。久留島家に伝わったとされる甲冑だからなのです。


久留島家(来島家)は、戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上海賊の一つ。能島村上氏とともに「日本最大の海賊」(ルイスフロイス談)の座を競い合った一族で、今治市波止浜沖に位置し、来島海峡を望む「来島城」とその周辺に本拠がありました。


江戸時代になると、豊後森藩の1万4千石の大名になります。豊後森藩は、現在の大分県玖珠町。玖珠は山間の町ですが、少し離れた現日出町や別府にも領地をもっていましたので、海とかろうじてつながっていました。村上→来島(初代藩主康親)→久留島(2代藩主通春)と改称していきます。



つまり、大名家に伝わったとされる甲冑、ということになりますね。


では少しくわしく見ていきましょう。

甲冑がお好きな方はご存じだと思いますが、パーツの名前は難しいですよね。

こんな感じ↓↓↓



ミュージアムや神社の宝物館などで甲冑を鑑賞する際のポイントは、まずキャプションと呼ばれる小さな解説に書かれた「名称」をご覧ください。


この甲冑は、「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)という名前がありますが、研究者のなかには「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる)と呼ぶ方もいらっしゃいますので、分かりやすい「紫絲威胴丸」で説明しますね。


宝物館などで甲冑をご覧になると、「大鎧」「胴丸」「腹巻」「具足」などいう言葉が並んでいると思います。


なかでも「胴丸」や「腹巻」は、室町時代(村上海賊の時代!)の甲冑で良くみる名称ですが、この違いを本当に簡単に説明すると、胴丸は、胴の右側をパカっと開けて体を入れるタイプのものです。


もう一度、伝久留島家甲冑の名称解説を見てください。胴の右側に「引合緒」(ひきあわせのお)というものがありませんか?これが胴の開いている部分を引き合わせて締めるための緒(紐などのこと)です。


これに対して「腹巻」は、背中が開いているものになります。

村上海賊ミュージアムが所蔵・展示している甲冑の解説はこちらの動画をご覧ください^^


次に「紫絲威」の意味。

「紫の絲で威した」に分解し、さらに「威(おど)した」は、「緒を通した(緒通(おど)した)」と考えてください。


つまり、紫の糸の緒を通した胴丸という甲冑なので、「紫絲威胴丸」ということになります。袖や垂れ、草摺りなども同じ作りになっているのもポイントです。


緒は、紐のこと。室町時代の甲冑だと、小札という小さな鉄や革(かわ)でできた薄い板に穴をあけ、この緒を通して繋いでいます。


少しでも見どころがわかると、甲冑の鑑賞が楽しくなりますよね。


この甲冑のもうひとつ見どころのが、かぶとや胴、袖に据えられたこの家紋です。


「折敷(縮)三文字」(おしきに(ちぢみ)さんもじ)などとよく呼ばれる、久留島家の家紋です。

ん?河野氏や大山祇神社の紋と似てる?と、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、家紋の話は長くなるのでまたの機会にm(__)m


では、この甲冑はいったい何時代のものでしょう??


「胴丸」という名称から、室町時代、戦国時代をイメージさせますが、専門家の見立てによると、中世の様式に習って製作された「江戸時代の甲冑」と考えられるそうです。

実戦用ではなく、儀礼もしくは観賞用と考えられ、剣と龍の豪華な前立てを見ると、なるほどなぁと思います。決して後世の研究者を悩ませてやろう、という意図ではないようです^^


ところで、このような立派な甲冑を伝えた久留島家ですが、その末裔には、とても有名で偉大な人物がいます。

その名は

久留島武彦(くるしまたけひこ)さん

1874~1960年


久留島武彦さんは児童文学者。子どもたちに童話の読み聞かせを行いながら、全国を旅しました。また日本のボーイスカウトの基礎作りにも携わるなど、青少年教育に尽力したその姿から「日本のアンデルセン」と呼ばれました。


みなさんもご存じの言葉でしょう。

「継続は力なり」

じつは久留島武彦さんの言葉なのです。


全国を行脚した武彦さんは、村上海賊ミュージアムのある今治市大島も訪れ、地元の小学校でも童話の読み聞かせを行いました。その際、宮窪小学校の当時校長だった矢野勝明さん(今治市名誉市民)が、久留島武彦さんにお礼の品としてある地元の海産物を送っていたことが、のちの手紙のやり取りでわかりました。


ここで問題です。

矢野勝明さんが、久留島武彦さんに送った地元の産物とはいったい何でしょうか。


①山ほどの瀬戸貝

②見事な大鯛

③桶に入った蛎(カキ)

④干したヒラメ


答えは明日のブログで!

お楽しみに!!


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