🎍あけましておめでとうございます🎍
本年もよろしくお願いいたします。
今年は 丑 年!
かげちかくん(村上景親)の兄・元吉 は年男!
ミュージアム前の元吉の石像 |
村上家の系図の元吉の部分には
「慶長五庚子九月十六日討死四十八歳」
とあります。
「慶長5(1600)年庚子9月16日に48歳で討死」ということは、
逆算すると 天文23(1553)年癸丑 生まれということが分かります。
※数え年で計算
また、現在開催中の企画展
「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」
で展示している新出史料の1つ
毛利元就書状 は
年頭の挨拶 を述べている、今の季節にぴったりの内容です!!
【原文】
新春之御慶不可有際限候、仍太刀一腰・鳥目百疋令進之候、誠表慶儀計候、猶此使僧可申候、恐々謹言
二月十日 元就(花押)
村上越後守殿御宿所【書き下し】
新春の御慶び際限有るべからず候、仍って太刀一腰・鳥目百疋これを進らせしめ候、誠に慶儀を表すばかりに候、猶この使僧申すべく候、恐々謹言、
宛先になっている「村上越後守」は
来島村上氏の重臣である「村上吉郷」のこと。
毛利元就は、この村上吉郷に対して年頭の挨拶を述べるとともに、
「太刀一腰・鳥目百疋」を贈っています。
「一腰」というのは一振(=1本)のこと。
「鳥目」というのは「銭」、「一疋」は「十文」のこと。
「百疋」は10文×100=1000文=一貫文。
※一貫文については以前ブログに書いたのでこちらをご覧ください
ところでこの書状、年頭の挨拶にも関わらず、出された日付が「二月十日」。
元旦から一月七日くらいまでに出す現在の年賀状から考えると、ずいぶんと遅く感じてしまいますね。
※この書状だけが遅いだけでなく、戦国時代の年頭の挨拶の書状はこれくらい遅いものも結構あります。
1月17日(日)まで 展示しています。
お越しの際はぜひご覧ください!
年末年始も全国的に感染者数が増え続けており、年明け早々大変な状況になってきています。
来館される際は、以下の感染対策にご協力をお願いいたします。
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