2015年12月14日月曜日

冬にピッタリな企画展が始まりました!!

みなさんですね!!私は毎日温かい鍋を食しております、、、

そんなと言えば、そう!!

山城の季節です!!

世のお城マニアたちは、草木が枯れる場に山のお城を歩きまわると言います。

ここ村上水軍博物館でも、山城歩きの季節・にピッタリな展示が始まっております!


それがこちら!


企画展「海の城と山の城~今治の中世城郭~」


戦国時代に海賊が活躍していた今治市域のお城と言うと、能島城などの「海城」が思い浮かびますが、実は「山城」、山に築かれたお城もあります。今回の企画展では、今治市域の海城・山城を、発掘調査で見つかった出土品を中心に紹介します。


今回の企画展では出土品、つまり考古学の成果が主に展示されていますが、私の専門である古文書から分かることも色々とあります。本日は、企画展で紹介しているお城について、古文書から分かることを少し紹介します。



















まずは、海の城・甘崎城

大三島の対岸に位置する、現在では古城島と呼ばれる島全体を城郭化したお城です。
戦国時代には海賊の城として使われたこのお城は、江戸時代には、藤堂氏によって改修され、その時の石垣が現在も残っていて、現在では大潮の干潮時に大三島から歩いて渡ることができるという激アツな海城です。

戦国時代に山口の戦国大名大内氏がこの海城を攻めていますが、その時に誰がどこを負傷したのかを報告する古文書が残っています。
その古文書によると、「水夫(かこ)二人が矢を受けて、一人は右足を、もう一人は腰を負傷しています。痛そうですね!「水夫」とは船を漕ぐ人のことですので、船を漕ぐ人が戦闘中に負傷しているというのが、海城での戦いらしいですよね。痛そうですが、、、





















続きまして、山の城・国分山城

今治市国分にあったこのお城、実は村上海賊が普請(工事)を行っていたお城なのです。村上海賊は、かなり張り切って普請したのでしょうか、当時の古文書には、村上海賊が国分山城の普請を始めたため、今治のあたりが騒然としている!とのことが書かれています。
なぜ村上海賊は、こんなに張り切って普請を始めたのでしょうか?目下調査中です!


この他にも、色々な海城・山城を企画展では紹介しております。

海城・山城を発掘するとどんなものが出てくるのか!?
企画展で是非ご覧下さい!!


そして、企画展を観覧して、紹介されているお城に行くと、楽しさも2倍になるのではないでしょうか!!

                                          
                                                学芸員 O