御覧のように本丸、二の丸、三の丸の人工的にまっすぐに削平された面は、より一層はっきり見えるようになりました。もうすぐ咲くであろう桜の花もより際立って見えるに違いありません。
昨日3月14日の夜中午前2時07分頃、伊予灘を震源とする地震が発生しました。気象庁の発表では震源の深さは約80km、マグニチュードは6.1と推定されており、愛媛県西予市では震度5強と、2001年3月の芸予地震の次に大きく感じる地震でありました。気象庁の発表では、震源が深いことから直接的に南海トラフ大地震へ直接結びつくものではないとしていますが、いつ来てもおかしくない大地震に備えるためにも常に1週間分の食料備蓄と正しい心構えをもつ必要があることを考えさせられる地震であったのではないでしょうか。
今治市や宮窪では幸い人的、物的な被害は報告されていないようですが、前回の芸予地震の時は、今治市内でも今治城の石垣が一部崩壊したり、市内の文化財が傾いたり、一部倒壊するなど文化財の被害が確認され、調査巡回に出かけたりもしました。
能島城は国指定史跡であることや現在調査中でもあるため、年度末の期限が迫る中、島内を一応に巡回、海上からも斜面岩盤の様子を観察いたしました。
今年度は、島内の雑木を伐採している関係上、遠景近景それぞれの写真を撮っていますから、特に大きく感じる崩壊等は見られませんでした。
(調査報告書未刊につき不許転載)
ただ、今年行った城内通路確認のための発掘調査でも確認されたことなのですが、傾斜面の岩盤が非常にもろく風化の激しい花崗岩なのです。
(調査報告書未刊につき不許転載)
当時の住人も苦労していたようで、使用していた通路が崩落したためか、崩落によって欠如した部分を補うため、岩盤の傾斜面を再度切り取り、法面に沿った溝を新たに設け、前段階の溝を埋め立て盛土を行っていたと思われるような遺構も検出されています。
(調査報告書未刊につき不許転載)
この地点の他にも岩盤が崩壊したとみられる部分も存在することから、14世紀から16世紀の能島も、もろい岩盤とうまく付き合いながらカイゼンをしていたのでしょう。
特にひどいのが海岸部分の切り立った場所。当時はまだ崩落や波の浸食を受けずに犬走りのようなものが存在したのかもしれません。ましてやお城なので、木などほとんどなかったものと考えられ、よじ登るだけでも岩盤が崩落しかねない場所がいたるところに存在します。
今回の雑木伐採は主に「クヌギ」が主となっており、急傾斜しかも岩盤がもろい部分に多く樹勢しています。これ以上、大木となって岩盤もろとも崩落しても史跡破壊が進むことから、景観向上と合わせて今の段階で伐採することになったわけです。
これほどの大木を支えるには、岩盤の奥深くまで侵入しているに違いありません。
新年度からは新たに伐採した切り株から出てくる新芽のメカケをしないとイタチゴッコになっちゃいます。また管理の仕事が増えてしまいますが、安全第一で作業を行わないといけません。何しろ岩盤がもろい急斜面ですからね。
最後に鯛崎島の弁財天 市指定文化財「弁天像」も何事もなく無事でした。(D)