2022年1月26日水曜日

本日、全国放送2本で村上海賊が取り上げられます!

 本日1月26日(水)夜

全国放送2本で村上海賊が取り上げられます
 
村上海賊ミュージアムの資料や能島城跡などが紹介されます
ぜひご覧ください!
 
 
1本目
 
NHKBSプレミアム
 
英雄たちの選択
信長最大の敵・大坂本願寺~歴史を変えた11年戦争~
 
1月26日(水)20:00~21:00
 
番組概要は、ホームページをご覧ください
 
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2本目
 
NHK総合
 
歴史探偵
戦国レジスタンス 村上海賊&雑賀衆
 
1月26日(水) 22:30~23:15
 
番組概要は、ホームページをご覧ください
 
 

2022年1月1日土曜日

あけましておめでとうございます!

✨🎍 あけましておめでとうございます🎍✨

本年も村上海賊ミュージアムを

よろしくお願いいたします。






画像は蹲砲🐅

 そん ほう」と読みます。


その名の通り…


画像に書き足したような、虎の前脚のような台座が付いていたようです。


村上海賊ミュージアム保管の虎蹲砲は、文禄・慶長の役の際に村上景親が持ち帰ってきたものと伝えられています。

兄元吉の家にも別の虎蹲砲があったようですが(『防長古器考』)、現在の行方は分かりません。


虎蹲砲は常設展示室に展示しているので、ご来館の際はぜひごらんください😊


1月は4日㈫から開館です。

企画展「村上家のおもてなし」の会期は10日(日)まで

みなさまのご来館をお待ちしております!


M

2021年12月28日火曜日

年末年始の休館日とイオンモール今治新都市でのパネル展

 村上海賊ミュージアムは、

2021年12月29日(水)2022年1月3日(月)

の間、休館日となります。

2022年1月4日から通常営業いたします。

2021年もご愛顧いただき、

誠にありがとうございました。

2022年も何卒よろしくお願いいたします。


さて、

イオンモール今治新都市にて

イベント開催のお知らせ!

この度、

日本遺産「村上海賊」に関する様々な取り組みを行う

団体「村上海賊魅力発信推進協議会」が、

スポーツ文化ツーリズムアワード2021

「文化ツーリズム賞」を受賞しました!

この受賞を記念して

―よみがえる村上海賊の記憶―記念パネル展

を開催しています。


◆日 程◆

2021年12月28日(火)~2022年1月5日(水)


◆時 間◆

10:00~21:00


◆場 所◆

イオンモール今治新都市1階

Green Parks topic隣


村上海賊魅力発信推進協議会の

これまでの取り組みや、

日本遺産に認定された村上海賊ストーリーを、

パネルや映像で紹介しています。

年末年始のお買い物の際に

ぜひお立ち寄りください。



2021年10月8日金曜日

企画展「村上家のおもてなし」いよいよ明日から!

 企画展「村上家のおもてなし」

いよいよ明日からです!!



今回は、「村上海賊」時代のその後、江戸時代の村上家です。


「海賊停止令」で滅びたと思われがちな村上海賊。

海賊時代のその後はあまり知られていません。


江戸時代の村上家は、萩藩の海担当「御船手組」として、お殿様の参勤交代や朝鮮通信使の船の警護をしたり、外国からの漂流船が来た際に対応するなど、海に関する仕事で活躍し続けています。


そんな御船手組が住んでいたのは、現在の山口県防府市にある「三田尻」。

今回の展示の舞台は、この三田尻の村上家屋敷です。(今治じゃないよ)


タイトルの「おもてなし」。

これはこの資料からきています。



「重就公三田尻御住居被遊候内当家江被遊御成候節之控」

しげたかこうみたじりごじゅうきょあそばされそうろううち

とうけへおなりあそばされそうろうせつのひかえ


めっちゃ長いので、展示担当Mが毎度早口でフルネーム言おうとしてまわりに「もうええ!」って言われていました笑


萩藩7代藩主「毛利重就」は、隠居地を「三田尻」に定めて、亡くなるまで三田尻で暮らしています。

この「重就公」が「三田尻」に「御住居」している間に、「当家(村上家)」に「御成(いらっしゃった)」ときの記録がこの資料です。


つまり、村上家の元藩主への接待記録!

「村上家のおもてなし」です。


今回は図録を販売しますが、この資料の翻刻(崩し字を活字化したもの)を全文掲載しているので、気になる方はぜひご購入ください!


36ページ 300円


初出し資料もたっくさんあるので

ぜひ見に来てくださいね!



Mがおねだりして作ってもらった
おもてなしバリィさん
もお出迎えしてくれます

(あまりにもかわいい😂)


M

2021年9月13日月曜日

明日から再開!日本遺産巡回展「村上海賊と塩の荘園」開幕!

  8月14日から新型コロナウィルス感染拡大に伴い休館をしておりましたが、明日9月14日(火)から、再開することになりました。


 ただし、再開にあたっては、ご来館のお客様に次のことへのご協力をお願いします。


 ★入館時に検温と連絡先ご記入のご協力をお願いします。


 ★咳や発熱などの症状がある方は、観覧、施設利用をご遠慮ください。


 ★受付での手の消毒、マスクの着用(咳エチケットなど)をお願いします。


 ★密閉・密集・密接の状況にならないよう、各自で注意して施設を利用するようお願いします。

 

★感染拡大地域からお越しのお客様につきましては、入館の自粛にご協力くださいますようお願いします。


 なお、展示ガイド、甲冑・小袖の試着、触ることができる展示、映像コーナーは感染拡大防止の観点から中止しております。そのほかにも施設の利用にさまざまな制限がございますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



 さて、9月4日から開催予定だった日本遺産村上海賊尾道・今治巡回展「村上海賊と塩の荘園」は、再開に伴い明日から開催いたします!

 


 見どころは、国指定史跡になることが決定した「弓削島荘遺跡」の出土品や、塩田の「剥ぎ取り土層」、そして村上海賊が歴史上に姿を現すずっと前、古墳時代の塩づくりに使われた土器などです。この巡回展では、芸予諸島の塩づくりの歴史も学ぶことができます。

 会期は、10月3日までの3週間弱です。次はおのみち歴史博物館会場となりますが、今治市民の方はぜひ村上海賊ミュージアム会場でご覧ください。


K


<お詫び>

 前回の企画展「平成30年7月豪雨と能島城」の展示紹介をこのブログで行っていましたが、8月13日以降、降り続いた大雨により、再び能島城跡で斜面崩落が発生いたしました。その対応なども重なり、ブログの更新ができず、大変申し訳ございませんでした。

 平成30年7月豪雨の復旧工事に伴う発掘調査成果につきましては、またの機会に紹介させていただきます。また遺物レスキューにつきましては、チラシ裏面に文章で記載しておりますので、もしよろしければご一読ください。



2021年8月19日木曜日

◇企画展紹介◇「平成30年7月豪雨と能島城」③なぜ斜面崩落がおきたのか#おうちで村上海賊

 改めて、昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した表を紹介します。

   
 少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であることを、前回のブログで紹介しました。

 さて、平成25年度以降、能島城は台風時の倒木や樹木の根による遺構の破壊の防止、また史跡としての景観整備の観点から、専門家の指導を受けながら、斜面部の高木の伐採を行ってきました。

 しかし、その伐採が斜面崩落を誘発したのではないか、という意見を聞くことがあります。確かに、能島城跡の被災状況だけを見ると、その可能性を考えてしまいます。それを検証するためには、そこで近隣の島々の海際斜面の被災状況を確認することにしました。

伯方島の被災状況
同じく伯方島

 すると、上の写真のように、樹木が繁茂している斜面でも、大規模な斜面崩落が発生していることがわかります。能島城跡においても、斜面に樹木があった鯛崎島でも崩落が生じていることから、斜面部の樹木伐採と被災との因果関係を積極的に認めることはできませんでした。
 
 また、能島城跡の地盤は脆い花崗岩の岩盤およびその風化層で、その上に比較的浅く表土が堆積している状態であることが過去の発掘調査で確認されていました。
 岩盤を削ったり、一部に盛土をして城を形作っています。戦国時代には樹木はほとんどなく、岩盤や地山がむき出しの場所も多い状態だったと推測されます。「切岸」に加えて、城特有の地盤も斜面崩落の一つの要因になったと考えられます。

 さらに、郭(城の平坦面)の現状は、水平ではなく、中央が高く縁辺が低い地形になっています。郭Ⅰ斜面と鯛崎島、そして船だまり斜面の一部(下図の①)は顕著な谷(凹地形)となっており、そこに雨が集まります。また、浸透できず飽和状態となった雨水も地表面を流れ、これらの凹地形に集水されます。その証拠に、表面の雑草が同じ方向に倒れていました。
 
斜面側(右)に倒れる雑草。表面を雨水が流れたのでしょう。

 じつは、顕著な凹地形ではないところも崩落しています。
 よく観察すると、縁辺には樹木(ソメイヨシノ)が立ち並んでおり、その根元が盛り上がることによって、樹木間が谷状になっています。表面を流出した雨水も、この谷部分に集まったと考えられます。
 
被災箇所の地形と、樹木の位置から雨水の流れを想定しました
『史跡能島城跡―平成30年度災害復旧事業報告書ー』より

 このように、許容量を超える雨水が分散されずに特定の場所に集中してしまった結果、大規模な斜面崩落が引き起こされたと考えられています。

(以上、展示パネルより)


 現在は応急措置として、郭(くるわ)の縁辺に土のうを並べて(もちろん、瀬戸内海国立公園特別地域なので環境省の許可を得ています)、雨水が集中して斜面部に流出しないようにコントロールしています。


次回は、復旧工事の前に実施した発掘調査について紹介します。

2021年8月17日火曜日

◆企画展紹介◆「平成30年7月豪雨と能島城」②豪雨の爪痕#おうちで村上海賊

 8月13日で突如終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城ーかけらが語る災害の記憶―」 。見学できなかったお客さまへ企画展の内容を紹介します。第2回の今回は「豪雨の爪痕」と「なぜ斜面崩落が起きたのか」。

 

 平成30年7月豪雨において、能島城跡は4か所6地点で斜面崩落が確認されました。

 最も広範囲に被災したのは、能島北側の「船だまり」に面した斜面です。斜面の上部はオーバーハング状(下の土が流れ落ちて、地表面だけ残った地形)になり、中ほどでは表土が流出し、多くの部分で地山が露出していました。また往時の通路の土留めとして築かれた石積は、その一部が崩落、あるいは土砂で覆われています。

能島城跡船だまり 被災前
被災後

 そのほか、郭Ⅰ(本丸)西側斜面、郭Ⅲ(三之丸)南側斜面が崩落し、土砂で通路が覆われてしまいました。

郭Ⅰ(本丸)西側斜面

郭Ⅲ(三之丸)南側斜面

 さらに鯛崎島北側斜面の崩落は深刻で、表土とともに地山が大きく崩落し、岩盤面が露出。通路の一部が崩落し、登城が不可能になりました。

鯛崎島北側

 この平成30年7月には崩落を免れた部分においても、その見えない傷跡は深く残り、同年9月の台風24号、そして令和2年7月の豪雨による、新たな斜面崩落を引き起こしたと考えられています。

 ところで、大規模な崩落が起きた場所には共通点があります。それは、いずれも戦国時代に敵の侵入を防ぐために設けられた「切岸」と呼ばれる急斜面、あるいは同じ役割を果たした天然の崖であるという点でした。

能島城の守り模式図
(松野町教育委員会提供)※二次利用不可

 そして、斜面崩落の最大の原因は、言うまでもなく、総雨量400mmを超える長雨です。

 昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した下の表をご覧ください。

 
 例えば、能島城跡に近い大三島のデータを見ると、平成30年7月豪雨では、日最大雨量が1.3倍、総雨量は7月5日~7日の約3日間で、年間平均の約1/3に達していることがわかります。

 少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であると言えるでしょう。

(つづく)

K

2021年8月15日日曜日

★企画展紹介★「平成30年7月豪雨と能島城」①#おうちで村上海賊

突如、一昨日で終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城―かけらが語る災害の記憶―」( ノД`)シクシク…

今回、ご覧いただけなかったお客様のために、このブログで展示の内容をご紹介いたします。ぜひご覧ください。


まずはご挨拶パネル。


 さて、今日は企画展冒頭のパネルに掲載した能島城の概要を紹介しましょう。

 能島城は、大島沖(今治市)にある能島と鯛崎島に立地します。能島の周囲は約八五〇㍍、鯛崎島は約二五〇㍍で、この二つの小島全体を城郭化した、全国的にも珍しい形態の城で、「海城」などと呼ばれています。

能島城跡を北側上空から望む

 標高約二五㍍の能島は、全体を三段に削って平らにしており、上から本丸(郭Ⅰ)、二之丸(郭Ⅱ)、三之丸(郭Ⅲ)があります。そして東側と南側に張り出した鼻にも出郭があります。

 能島城には、防御性の高い山城に見られるような複雑な虎口(郭への出入口)、土塁、堀切、竪堀などは発見されておらず、切岸と急峻な崖に囲まれただけの簡素な縄張り(防御構造)です。

郭Ⅲ(三之丸)から郭Ⅰ(本丸)方向を見ています
土塁や堀切は確認できませんが、急斜面が「切岸」のようになっています

 海面や激しい潮流によって守られた「天然の要塞」とも言われていますが、約六時間おきの潮止まりや潮流の穏やかな小潮もあるため、常に完璧な守りだったとは言えません。

大潮の最強時

同じ場所の大潮時の干潮、潮止まり

 一方、海岸部には船を繋ぐための設備があり、発着の利便性を高めています。海に対して開放的な構造から、戦への備えはもちろんのこと、それ以上に、海を舞台とした海賊たちの日常活動の拠点であったと考えられます。


常時潮の流れが穏やかな、能島北側の船だまり
船の発着場と考えらえます

岩礁ピット。
使用法の一つとして、船を繋ぐための柱を立てていたと考えられます。

 その証拠に、何度も建て替えられた掘立柱建物の痕跡や、膨大でバリエーション豊かなくらしの道具が発見されています。

郭Ⅱ(ニ之丸)の発掘調査では、無数の柱穴跡が発見されました。
住居や倉庫が何度も建て替えられたのでしょう。
出土品あれこれ

出土した網のおもり。
能島城で暮らした村上海賊は、漁もしていたんですね。

 能島城は、海賊たちのナワバリの象徴として、最長で二百年あまりの間、存在感を放ち続けました。

(以上が、企画展冒頭の能島城跡紹介パネルの内容です。少し写真を追加しました^^)


 能島城跡は、昭和28年に国指定史跡になりました。地域の、国の宝である能島城跡を現代に生かしながら良好な状態で未来へ受け継ぐため、さまざまな取り組みをしています。


その最中、平成30年7月豪雨によって、能島城跡は大きな被害を受けることになります。次回は、どのような被害があったのか、またその原因などについて紹介します。

まさに今、大雨が降り続いています。地盤も緩くなっています。みなさまくれぐれもお気をつけください。


K