ミュージアムパートナー 「せんどうさん」 研修旅行2013 Vol.1 に続き、同日昼からの巡業内容です。
お昼からは古い佇まいを有する「鞆の浦」を散策。
この日の一番のお楽しみは、「ホテルバイキング」です。
野菜中心のランチバイキングを堪能した後は、
鞆の浦歴史民俗資料館 http://www.tomo-rekimin.org/ に立ち寄りました。
ここも特別展「善隣友好 朝鮮通信使 -鞆の浦 新たなる新発見-」を開催中。
朝鮮通信使は、毛利長州藩(今の山口県)沖を通過する際には、能島村上氏が先頭に立ちその警固にあたっていることから、近世以降の村上氏とゆかりの深いことで知られています。
ここも館長直々の詳しい解説付。江戸時代に12回の来航があり、うち11回鞆の浦に寄港しています。中でも通信使の上級官が宿所とした「対潮楼」は、彼らに「日東第一形勝」と言わしめた名勝地でもあります。
特別展では優れた漢詩などを多く展示されており、当時の情勢を感じ取ることができます。
今は、日韓、日朝ともギクシャクした状況でありますが、交流をし続けることこそ友好の証であることを歴史は示していると言えるのではないでしょうか。
同資料館外から鞆の浦港を望んだ風景です。ポニョの原風景ですね。。。
江戸時代の情緒あふれる街頭では、現代のいかりや鎖など漁具が販売されています。宮窪の漁師さんたちもその昔、ここ鞆の浦まで買付にやってきていたようです。。
最後に、今年の9月まで当館で開催した『海からあがった宝物4』と関連深い「いろは丸」歴史展示館 http://tomonoura.jp/irohamarutenji.htm に立ち寄りました。
ご存じ、坂本竜馬率いる海援隊が、伊予大洲藩から1航海、半月の期間限定500両で借り受けたイギリス製の蒸気船です。1867年(慶応3年)に徳川御三家のひとつである紀州藩の明光丸に追突され、大破。鞆の浦まで相手方の明光丸で曳航中、沈没したといいます。
その後、昭和の末期に潜水調査が開始され、当館で9月1日に行った「瀬戸内海の水中考古学」講演会でご講演いただきましたNPO法人 水中考古学研究所の吉崎先生がずっと携われたことで、せんどうさんたちも興味津々。さまざまな遺留品や、実物の70%スケールの沈没状況立体再現は、図面だけでは味わえられない迫力があります。
その他、いろいろなエピソード。展示館自体が登録文化財にされているなど、竜馬ファンなら一度は訪れたい名所です。
こちらは平成の いろは丸 渡航船として活躍中
宮窪にも似た原風景が広がります。
港にある「常夜灯」。讃岐(香川県)詫間沖の衝突地点から鞆の浦まで、この常夜灯を頼りに、いろは丸を曳航していたようです。20km近く離れた鞆の浦まで常夜灯の光は当時、判別できたのでしょう。
研修旅行後半は中・近世を体感できる旅でした。(D)