2013年7月21日日曜日

海底から縄文土器?

昭和34年、波方港フェリー着場の建設の際、海底から一つの縄文土器が引き揚げられました。

それは、現在では「波方縄文」と呼ばれる縄文時代後期の注口土器。しかも完全な形で発見されました。

あまり知られていないのですが、今治市には、じつは縄文時代の遺跡がたくさんあるのです。波方町では、七五三ヶ浦遺跡、水崎遺跡、江口貝塚、そして島嶼部では大三島の萩ノ岡貝塚、伯方島の叶浦遺跡などが代表的な遺跡。小さな湾に面した小高い場所にどうやら縄文時代の遺跡があるようです。

※波方町から出土した縄文土器は今治市波方歴史民俗資料館、叶浦遺跡出土遺物は、今治市伯方ふるさと歴史公園に展示中です。どちらの施設も観覧無料です。


代表的な旧波方町の縄文遺跡(展示解説パネルから転載) ☆転載不可
 じつは宮窪のある砂浜でも時々、縄文土器の破片が落ちているそうです。
砂浜で下ばかりを向いて歩いている人を発見したら、それは私Kかもしれません。職業病です。でも土器を見つけても持ち帰らないでくださいね。文化財はみんなの財産です。まずは情報を博物館までお寄せください。


話はそれましたが再び波方縄文。
いまでは「波方港海底遺跡」という遺跡名がついており、この「波方縄文」は今治市指定文化財になっています。

しかし普段は見ることはできません。今治市波方歴史民俗資料館にレプリカが展示されていますが、実物は厳重に保管されているのです。

現在開催中の特別展『海からあがった宝もの4 瀬戸内海・中世沈没船の謎』では、門外不出であったこの「波方縄文」、もちろん実物の特別公開を実現することができました。写真ではなく実物をぜひ見ていただきたいので、シルエットだけ大公開!

発掘された縄文土器はほとんどが小さな破片。このように完全な形で見つかることはほとんどありません。まさに海からあがった地域の宝ものです。

この波方縄文が最後に一般公開されたのがいつかは調べていませんが、おそらく実物を見られた方は地元の方であってもほとんどいらっしゃらないと思います。波方町外で展示公開されるのも、おそらく初めてのことでしょう。前回の記事にも書きましたが、業界の方は大興奮です。

では、なぜ海底から縄文土器が発見されたのでしょうか。

その謎解きはぜひ実物の前で!!(K)