2021年4月30日金曜日

「#おうちでバリミュ⑦」 「古文書」を楽しもう!(2)古文書の形をくらべてみよう!

前回の「毛利輝元書状」、折っていただけましたか?


完成するとこんな感じになるはずです。


Mの母が折ったもの


前回の答え


①右下の部分だけ色が違うのはなぜでしょう?

→折りたたんだ時に一番外側になる部分でしたね!

一番触られる部分でもあるので、汚れや毛羽立ちがあったりします。

古文書を見た時、どこが汚れているか探してみると、折られ方が分かるかもしれませんね!




②下半分の文字が逆さまなのは、どうやって書いているからでしょう?

→文字が書ききれなくなったのを、裏返して続きを書いていたからです。




改めて前回折ったものを見てみてください。



半分に折ったものを横方向にひっくり返すと、下半分の文字の方向も上→下になりますね!


そもそもなぜ半分に折って書いているのでしょうか……🤔??



お手紙を書いて、一枚で終わってしまったとき、白紙の二枚目を一枚添えると丁寧だと言われていますよね。

この古文書は、半分に折ることで、白紙を添えることを省略しているのです。




このように、半分に折って書かかれたものを「折紙(おりがみ)といいます。


毛利輝元書状(個人蔵・村上海賊ミュージアム保管)


一方、紙一枚全体を使って書かれたものを「竪紙(たてがみ)といいます。


毛利輝元書状(個人蔵・村上海賊ミュージアム保管)


この「竪紙」の方が基本の形で、「折紙」よりも丁寧な形式です。


「竪紙」「折紙」以外にも、さまざまな形の古文書がありますが、長くなるので今回はここまで😅


こんな形のもあります


今回のブログの内容もまとめています。

コピーされる方はご利用ください😊



次回は、いよいよ古文書の中身を見ていきます!


しかし、次のM担当はまだ先(5月14日・15日予定)なので、お時間のある方は先に中身を見ていてください!


☆★☆レッツくずし字チャレンジ☆

(問題をつくったので、暇つぶしにどうぞ)





M





2021年4月29日木曜日

「#おうちでバリミュ⑦」 「古文書」を楽しもう!(1)古文書を折ってみよう!

#おうちでバリミュ」第7回目 は再び村上海賊ミュージアム!

※今までの「#おうちでバリミュ」はこちら


今回は、古文書担当のMがお送りします。


ぐにょぐにょな読めない文字がたくさん書かれているため、興味のない方には割とスルーされがちな古文書😿

ちょっとでも親しんでいただけたらいいなぁと日々試行錯誤しながら展示をしています。


そこで、「#おうちでバリミュ」M担当回(全4回)は、

「古文書」を楽しもう!

というテーマでやっていきます。


まず最初は、




ということで、村上海賊ミュージアムにある「毛利輝元書状」を折っていただこうと思います!


毛利輝元書状
(個人蔵・村上海賊ミュージアム保管)

詳しい内容については、次回以降見ていくので、とりあえず折ってみましょう!



まずはこのワークシートをダウンロードして印刷してください。

事前に切り取り線で切り抜いてくださいね。


あとはワークシートの①~➃の指示に従って折るだけ!


……なのですが、折りながらぜひ考えてみてほしいことがあります。


①右下の部分だけ色が違うのはなぜでしょう?

②下半分の文字が逆さまなのは、どうやって書いているからでしょう?


実際に折ってみると謎が解けると思います。








一応動画も載せておきます。



①②の答えはまた明日!!

折った書状を次回以降も使っていくので、捨てずに持っていてくださいね!!



今回のブログの内容をまとめました。

PC見ながらだとやりにくいという方は、こちらをコピーしてお手元にどうぞ😊





M

2021年4月23日金曜日

「#おうちでバリミュ①」答え 来島村上氏の末裔、久留島武彦さんの手紙

昨日の記事をご覧いただき、ありがとうございます。

来島村上氏の末裔で、児童文学家の久留島武彦さん。青少年教育に尽力され、全国の子どもたちに童話の読み聞かせを行った武彦さんは、村上海賊のふるさと今治市宮窪町も訪れました。

宮窪小学校の校長だった故矢野勝明先生は、武彦さんと親交を深め、来訪のお礼として地元の産物を送りました。

その産物とはいったい何でしょう?

①山ほどの瀬戸貝

②見事な大鯛

③桶に入った蛎(カキ)

④干したヒラメ

というのが昨日の問題でした。


日本遺産村上海賊公式Twitterで回答の投票を行いましたが(Twitterのみご覧になった方は、わかりにくかったかな??回答数は多くありませんでした😢)意見が割れていたようですね。


答えの前に、手紙の一節をご覧ください。



魚はまだつきませぬが…とありますので、これで2つに絞れますね。

矢野勝明先生は、読み聞かせのお礼の手紙と品を武彦さんに送ったようです。手紙は届いたようですが、品はまだ届いていなかったのでしょう。まだつきませぬ、とあります。

答えのなかで「魚」は、②の見事な大鯛と、④の干したヒラメ。
注目できるのは、「骨をたゝく」(骨をたたく)という食べ方。
鯛は骨を叩いて食べる??


瀬戸内、しまなみ界隈の方はもうお分かりかと思います。



答えは④干したヒラメでした!
こちら↓↓↓



このあたりでは「でべら」と言います。「でびら」という地域もあるそうですね。
タマガンゾウビラメが正式名称だとか。

骨を叩いて柔らかくして、炙(あぶ)って食べるのがよくある食べ方で、すごく美味しいです。
写真は我が家の冷凍庫にあるでべらのストック。

「骨をたたく」「香ばしい」という手紙の表現から、「干したヒラメ」つまり「でべら」だとわかりました。干されたでべらが整然と並ぶ漁港の風景は冬の風物詩。お雑煮の出汁をとるご家庭もあるそうですよ。瀬戸内名物の一つですね。

ちなみに、②の見事な大鯛は、村上海賊が小早川隆景に送ったもの。
③の蛎一桶も、村上海賊から毛利輝元へのお歳暮です。


詳しくは昨年のブログ「おうちで村上海賊」をご覧ください。



「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦さんは、出身地である大分県玖珠町でも知らない人はいないというほどの著名人。その活動や名言の数々は、久留島武彦記念館で詳しく知ることができます。



久留島武彦記念館は、最近では初代藩主の来島康親が普請(築城や改修のこと)したと考えられている角牟礼城跡(国指定史跡)のふもとの三島公園(森陣屋跡)にあり、その山側には、旧久留島氏庭園(国指定名称)や、久留島武彦氏の偉業を記念して昭和25年に建てられた「童話碑」があります。



その久留島武彦記念館ではこのような企画展が開催されています!
(いきなり告知ですいません^^)

昨年度、村上海賊ミュージアムで開催された「KURUSHIMA」展を一部を、来島村上氏ゆかりの地、大分県玖珠町へ巡回しています。先ほど紹介した、「矢野勝明さん宛の久留島武彦さんの手紙」は、村上海賊ミュージアムでは展示していませんが、この度、初めて武彦さんの生まれ故郷で展示されることになりました。

戻ってきたら、当館でも展示しようかな。

会期は7月25日まで。
それまでに、玖珠町へ安心して行けるようになることを祈っています。
10回?は玖珠へ行っている私ですが、とても素敵なところです。何度でも行きたい!!

k





2021年4月22日木曜日

「#おうちでバリミュ①」 愛媛県美術館コレクション「伝久留島家甲冑」

今治市立のミュージアムは、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、本日から5月19日まで臨時休館となってしまいました。とても残念ですが、収束した後、みなさまのおでかけ先がミュージアムであったら良いなぁ、という思いで、情報発信を続けたいと思います。


今治市立ミュージアムの学芸員による




♪始まり始まり👏👏


第一弾は、村上海賊ミュージアムからお届けします。


昨日、突然の最終日を迎えた「愛媛県美術館コレクションによるおでかけ美術館」

ご覧いただけなかった方が多いと思いますので、展示品の一つを紹介させていただきます。


今回の展示のテーマは「海」「瀬戸内海」をテーマとする作品でしたが、中央でひときわ異彩を放つ甲冑。「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)(あるいは「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる))と呼ばれるこの甲冑がなぜ村上海賊ミュージアムで展示されたのでしょうか。


その理由は簡単。久留島家に伝わったとされる甲冑だからなのです。


久留島家(来島家)は、戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上海賊の一つ。能島村上氏とともに「日本最大の海賊」(ルイスフロイス談)の座を競い合った一族で、今治市波止浜沖に位置し、来島海峡を望む「来島城」とその周辺に本拠がありました。


江戸時代になると、豊後森藩の1万4千石の大名になります。豊後森藩は、現在の大分県玖珠町。玖珠は山間の町ですが、少し離れた現日出町や別府にも領地をもっていましたので、海とかろうじてつながっていました。村上→来島(初代藩主康親)→久留島(2代藩主通春)と改称していきます。



つまり、大名家に伝わったとされる甲冑、ということになりますね。


では少しくわしく見ていきましょう。

甲冑がお好きな方はご存じだと思いますが、パーツの名前は難しいですよね。

こんな感じ↓↓↓



ミュージアムや神社の宝物館などで甲冑を鑑賞する際のポイントは、まずキャプションと呼ばれる小さな解説に書かれた「名称」をご覧ください。


この甲冑は、「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)という名前がありますが、研究者のなかには「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる)と呼ぶ方もいらっしゃいますので、分かりやすい「紫絲威胴丸」で説明しますね。


宝物館などで甲冑をご覧になると、「大鎧」「胴丸」「腹巻」「具足」などいう言葉が並んでいると思います。


なかでも「胴丸」や「腹巻」は、室町時代(村上海賊の時代!)の甲冑で良くみる名称ですが、この違いを本当に簡単に説明すると、胴丸は、胴の右側をパカっと開けて体を入れるタイプのものです。


もう一度、伝久留島家甲冑の名称解説を見てください。胴の右側に「引合緒」(ひきあわせのお)というものがありませんか?これが胴の開いている部分を引き合わせて締めるための緒(紐などのこと)です。


これに対して「腹巻」は、背中が開いているものになります。

村上海賊ミュージアムが所蔵・展示している甲冑の解説はこちらの動画をご覧ください^^


次に「紫絲威」の意味。

「紫の絲で威した」に分解し、さらに「威(おど)した」は、「緒を通した(緒通(おど)した)」と考えてください。


つまり、紫の糸の緒を通した胴丸という甲冑なので、「紫絲威胴丸」ということになります。袖や垂れ、草摺りなども同じ作りになっているのもポイントです。


緒は、紐のこと。室町時代の甲冑だと、小札という小さな鉄や革(かわ)でできた薄い板に穴をあけ、この緒を通して繋いでいます。


少しでも見どころがわかると、甲冑の鑑賞が楽しくなりますよね。


この甲冑のもうひとつ見どころのが、かぶとや胴、袖に据えられたこの家紋です。


「折敷(縮)三文字」(おしきに(ちぢみ)さんもじ)などとよく呼ばれる、久留島家の家紋です。

ん?河野氏や大山祇神社の紋と似てる?と、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、家紋の話は長くなるのでまたの機会にm(__)m


では、この甲冑はいったい何時代のものでしょう??


「胴丸」という名称から、室町時代、戦国時代をイメージさせますが、専門家の見立てによると、中世の様式に習って製作された「江戸時代の甲冑」と考えられるそうです。

実戦用ではなく、儀礼もしくは観賞用と考えられ、剣と龍の豪華な前立てを見ると、なるほどなぁと思います。決して後世の研究者を悩ませてやろう、という意図ではないようです^^


ところで、このような立派な甲冑を伝えた久留島家ですが、その末裔には、とても有名で偉大な人物がいます。

その名は

久留島武彦(くるしまたけひこ)さん

1874~1960年


久留島武彦さんは児童文学者。子どもたちに童話の読み聞かせを行いながら、全国を旅しました。また日本のボーイスカウトの基礎作りにも携わるなど、青少年教育に尽力したその姿から「日本のアンデルセン」と呼ばれました。


みなさんもご存じの言葉でしょう。

「継続は力なり」

じつは久留島武彦さんの言葉なのです。


全国を行脚した武彦さんは、村上海賊ミュージアムのある今治市大島も訪れ、地元の小学校でも童話の読み聞かせを行いました。その際、宮窪小学校の当時校長だった矢野勝明さん(今治市名誉市民)が、久留島武彦さんにお礼の品としてある地元の海産物を送っていたことが、のちの手紙のやり取りでわかりました。


ここで問題です。

矢野勝明さんが、久留島武彦さんに送った地元の産物とはいったい何でしょうか。


①山ほどの瀬戸貝

②見事な大鯛

③桶に入った蛎(カキ)

④干したヒラメ


答えは明日のブログで!

お楽しみに!!


k

2021年4月13日火曜日

【開催中!】愛媛県美術館コレクションによる「おでかけ美術館」 in 村上海賊ミュージアム +α

ブログを書くのが遅くなってしまいましたが、4月10日(土)から

愛媛県美術館コレクションによる
「おでかけ美術館」
 in 村上海賊ミュージアム

開催中です!

(※5月9日(日)まで)




愛媛県美術館所蔵の
」「瀬戸内海
をテーマとした作品14点を展示中!


東山魁夷野間仁根智内兄助
などの著名な画家の描いた作品が企画展示室にズラリ✨


キラキラ



いつもの企画展示室とは違う、美術館のような雰囲気です😊


詳しいリストは下記のリストをご確認ください↓



野間仁根は、村上海賊ミュージアムのある大島出身の洋画家で、バナーにも載っているような故郷を描いた作品がたくさん残っています。



この作品は、しまなみ海道ができる前の景色で、大島側から今治方面を見て描いたものです。

この作品の景色が見える場所は「火内鼻」。能島村上氏の拠点の一つ「姫内城」があったところです。

そして、中央に見えている島は「武志島」といって、ここも能島村上氏の拠点の一つ「務司城」がありました。


現在の景色はこんな感じ。来島海峡大橋があると雰囲気は変わりますが、同じ景色ですね。

📷T学芸員撮影


野間仁根を生んだ大島の吉海町にある

(吉海郷土文化センター)

では、「おでかけ美術館」と連携して

4月20日(火)から

野間仁根が描く瀬戸内海
ー風景を描くなら故郷を描けー

を開催!!




村上海賊ミュージアムと同じ大島内にある「野間仁根バラのミュージアム」を併せて見ることで、野間仁根の瀬戸内海を描いた作品がさらに楽しめます!!!


そして、チラシに載っているこの作品…




「おでかけ美術館」のこの作品と見比べると…?




同じ景色!!!


併せて見たいですね😊




そして、絵画に囲まれて中央に展示されている甲冑



これは

豊後森藩主 久留島家

伝来のものです。

久留島家は、村上海賊3家のうち「来島村上家の末裔です。


昨年度の企画展「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」では

海賊来島村上氏が「大名久留島氏になるまでをご紹介しました。


この展示の一部が豊後森藩久留島家の御膝元

大分県玖珠町の

久留島武彦記念館

で展示されています!!!



(7月25日(日)まで)

「過所船旗(複製)」や昨年度新収蔵した「久留島通春書状」も出張中!

大分県の方はぜひ行ってみてくださいね😊




⚠愛媛県は現在感染対策期になっています。

お越しの際は、以下のような感染対策にご協力お願いいたします🙏





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