2013年11月26日火曜日

今年最後の能島城攻略(上陸)のチャンス。

現在開催中の企画展『ここまでわかった能島城』。【観覧無料】

平成15年の調査開始からまる10年。
大好評開催中で、今までの調査成果や主要な遺物、瀬戸内海の流通に深くかかわっていた海賊衆能島村上氏らしい貴重な遺物も展示されています。

先週土曜日、最新の能島城調査研究成果がわかる水軍講座 ① 能島城の最新発掘調査成果報告には、地元宮窪の人たちをはじめ愛媛県内、県外の方も講座にご参加いただきました。【講師K】


今週土曜日11月30日には『今年最後の能島城攻略(上陸)のチャンス』である『能島城跡現地見学会』を開催します!

11月6日から受付を開始していますが、
午後1時30分~午後3時までの ★午後の便★ につきましては、まだ定員に達しておりませんので、ご応募お待ちしております!

水軍講座② 能島城跡現地見学会
 

 日時 平成25年11月30日(土)

 【1便】午前10時30分~12時 ⇒ 11/26 現在 満席
 

 【2便】午後1時30分~3時 ⇒ 11/26 現在  残り16名程度
 
 

 講師 D
 定員 各30名程度
 集合 村上水軍博物館 ガイダンスホール
 参加 無料★

 
現在開催中の企画展『ここまでわかった能島城』と現地見学の両方を組み合わせていただくと、『海城のリアルさがご理解いただけると思います。

お申し込みは村上水軍博物館(☎0897-74-1065)まで。

詳しくは、このチラシをご覧ください。↓
http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/topics/057/chirasi.pdf

(D)

2013年11月22日金曜日

最終案内!あす水軍講座!!まだ空席有り!!!




明日午後1時30分から開催される水軍講座「ここまでわかった能島城」。
まだ定員に達していませんので、興味のある方はぜひお越しください!

くわしくはこちらをご覧下さい↓
http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/topics/057/chirasi.pdf

(K)

2013年11月20日水曜日

能島城で出土した網のおもりを作ろう☆まちなか探検教室☆

宮窪小学校6年生の希望者が月に一回参加する「まちなか探検教室」。
今回は、能島城で出土した網につけたおもり作りを再現してみることにしました。

事前に、「粘土板を持ってきてください」と案内していたのですが、「粘土板ってなに?」という反応。Kが小学生の時は、図工の時間に粘土細工がありました。いまでも実家に帰ると、何を作りたかったのかよくわからない、でも見方によっては独創的で芸術的?な人形がまだ玄関にあります。

教室生に聞いてみましたが、今は粘土細工の時間はあまりないそうです。
土器作りを通して、昔のものづくりを体験しようとするこの時間は、とても貴重だというわけですね。

能島城で出土したおもり。網は腐って無くなったのでしょう。


能島城出土のおもり。実物は企画展「ここまでわかった能島城」でご覧ください!

みんなで作るのは、能島城でたくさん出土している「網につけたおもり」。
じつは現在も使っている「タテアミ」のおもりは、能島城から出土するおもりの形や材質とあまり変わりません。


昭和時代の網。漁師さんいわく「キスゴダテ」
 
能島から出土する土のおもりと大きさや形はあまりかわりません。

宮窪の子供たちは、漁師さんが網を手入れする姿を日常的に目にしています。
見慣れた風景に歴史を感じ、それを体験してもらおうと題材に選んだのが土のおもり。
考古学者はこれを「土錘」(どすい)と呼びます。


先輩たちの作品を紹介し、次は作り方の説明。
まずは問いかけます。


竹べらと矢竹の枝を切ったもの

「この道具と粘土を使って、どうやって作ったのでしょう。」

ネタバレを防止するため、くわしい解説は省略しますが、子供たちはすぐにわかったようで、さっそく製作にとりかかりました。

「冷たい」「汚い」と少々文句を言いながらも、楽しそうに粘土を練っていました。
時折、粘土が飛び交ってましたが・・・。


みんな出土品や昭和の網のようには、綺麗にできなかったようです。

確かに、出土品は形や大きさがある程度揃っていて、表面もなめらかに調整されています。中世の職人の技を感じる瞬間でした。(ねらいどおり)
 
 
最後に竹串で名前や好きな印を入れて完成です。焼いたあとに自分の作品がわかるように。
  

 
ノルマは土錘10個。作ったあとはなんでも自由に作って良いということにしました。
皿やハニワに挑戦する教室生もいました。実物より小さいものしかできませんでしたが、作り方は当時の技法を参考に。
 
 
小学生の探検教室の一貫ですが、じつは博物館の実験も兼ねています。左が大島の粘土。右が市販の粘土です。左の大島の粘土は、元左官さん(壁などを塗り上げる職人さん)でミュージアムパートナーのT頭さんが持ってきてくださったものです。目が細かく粘りがあってとても良い粘土でしたが、子供たちはやはり市販の粘土の方が作りやすいと言っていました。
 
ただ焼き上がったら本物と近いのはどちらか。それは一目瞭然です。お楽しみに。
 
実際に焼くのは2月の予定です。それまで倉庫の棚で乾燥です。
まちなか探検教室生のみなさん、お疲れさまでした!焼くのが楽しみですね。
 
ただ・・・
 
愛着や馴染みが薄いのか、粘土板、全員が博物館に忘れてますよ!
 
(K)
 

2013年11月18日月曜日

「山城サミット2013 朝来大会」 レポート

早朝、「天空の城」に登城した後、下山。
アトラクション待ちのような長蛇の列を経て、無料送迎シャトルバスに乗り10時から山城サミット総会へそのままGO。

市長さんの挨拶に始まり、参加自治体の自己紹介、新規加盟の山城の紹介、竹田城の現状と課題、来年開催される候補地の紹介などかあり、議事が進んでいきます。

加盟団体は89団体、山城の総数は133山城になりますが、全国にはこれ以上に大小さまざまな山城が存在します。全団体が参加すると凄い大会になるのでしょう。

この会議中に手渡された資料に目を通すと、平成16年頃までは年間1万人ほどの登城者数が、平成18年度に2万人、年々倍々返しで、今年は年間約40万人以上の試算に仰天!

完全にボランティアガイドの人が足りなく、養成にも苦慮しているようです。。

サミット担当者の話によると、今までは職員が、能島城跡のように毎月草刈をしていたそうですが、主要なところでは草が生えないほどの人が来場しており、最近はほとんどしていないとのこと。

午前中は、竹田城の現状を知り得るところとなりました。



午後からは、地元和太鼓、著名な先生の記念講演、各自治体の山城紹介、地元小学生による竹田城の紹介、パネルディスカッション、残りものに福来るお楽しみ抽選会、山城サミット宣言で閉会となりました。

記念講演会では「竹田城の保存と活用」 -歴史文化を活かした地域振興- と題し、歴史と地域振興、観光の3つを目玉に園田学園女子大の名誉教授T先生がご講演されました。


まず歴史を振り返り、その長所を活かすことの大切さ。
その長所とは、地元の自然景観(地理)であったり、文化蓄積(歴史)を知り、さらには情報発信(PR)すること。

最近の竹田城の爆発的な登城者の増加は、映画等の要因もありますが、FB(フェイスブック)等の情報発信が新たな起爆剤となり、口コミで知れ渡るようになったそうです。

地元関西圏のTVやラジオ等に出演されている先生ですので、わかりやすい提案性のあるご講演でした。

このあとは発表時間が3~4分と限られた「各自治体の山城紹介」。参加自治体で唯一の「海城」である能島城も私Dが説明させていただきました。少しはPRできたかな??


続いて最も印象的だったのは、地元竹田小学生による「国史跡 竹田城跡」の説明。

子供達の「なぜ・どうして視線」から見たプレゼンテーションは説得力があります。ぜひ宮窪の小学生達にも能島城を調べてほしいと思いました。




私Dも小学生の頃、学習発表会や自由研究で地元の中世城館について、図書館通いや、実際に祖父の案内で登城した記憶があります。

小中学生の頃の学習経験はおとなになっても鮮明な記憶となって残っていますね。

最後にパネルディスカッションでは、現在の市長さん (地元朝来市、大分県竹田市、滋賀県近江八幡市) が甲冑を身にまとい地元の現状と未来を熱弁。



            特に竹田市長さんは3人の家臣(市職員)を引き連れ来場。


各自治体の山城の現状、それを通じた活用方法等、地域の個性を出しながら価値観の共有化をはかり、市民の誇りとなるようにしていくということで一致。

いずれの市も言われていたのは、自分ところの市だけではなく、他の市町との史跡・観光地と連携することによって相乗効果が増える。井戸の中の蛙とならないようしっかりと地域振興をしていかなければならないようです。

来年は鳥取県鳥取市で開催予定。竹田城の最後の城主 赤松広秀公とゆかりが深いことでの開催だそうで、楽しみですね。

一番最後にこちら。

最後まで残る人が少ないことがある講演会の改善策としてお楽しみ抽選会。たのしい企画でわくわくしましたが、残念ながら当選しませんでした。。

翌日はあいにくの雨で登城中止。前日にフライングした「天空の城」登城が功を奏しました。

長いレポートでしたが、お付き合いのほどありがとうございました。(D)

2013年11月15日金曜日

水軍バリィさん七変化 Ver.11 今年も「七五三バリィさん」 登場

恒例の月別バリィさん。


本日11月15日は、七五三。

七五三は、子供の成長の節目となる 3歳・5歳・7歳の年にこれまでの健やかな成長を感謝して氏神様に祈る儀式ですね。


3歳の男女児のお祝い・5歳の男児のお祝い・7歳の女児のお祝い。D家では、先週姫が参拝。私は出張で参加できず残念。




                        代わりに少しこれを。

満年齢なのか数え年なのかわかりませんでしたが、宮司さんにお伺いすると、本来は数え年で祝うもので、現在では満年齢でお祝するのが一般的になったようです。
最近では都合のいい土日に行う方が多いそうですよ。


本来は旧暦の11月15日にお参りをしていたようです。これは、旧暦の15日が二十八宿の鬼が出歩かない「鬼宿日」にあたり、何事をするにも吉であるといわれたからだそうで、明治時代からは、新暦への改歴以降 新暦の11月15日に行われるようになったようです。(D)

2013年11月13日水曜日

「天空の城」 レポート

今治市 村上水軍博物館は「国指定史跡 能島城跡」 管理・調査・保全・整備活動を続けております。

また「海城」でありながら全国山城サミットに加盟しており、毎年大会に参加。
http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/73feae35ddb7923a473b0c79577efbde

周知・広報活動、各地域の中世城館視察等を目的に、今年はDが参加させていただきました。

初日の午前中は全国山城サミット総会。午後は山城サミット。翌日は「天空の城」竹田城での雲海ツアー等が予定されています。

総会当日の天気はまずまずでしたが、翌日の目玉である雲海ツアーの悪天候が予報されていましたので、少しフライングをすることにしました。

出張に際し、時間と距離の都合上、前日泊をいただいていましたので、早朝6時に送迎バスに乗り込み、登城。


今年10月から入城料大人300円を新規に徴収にもかかわらずあまりの人の多さに思わず閉口。

登山口からまるでアトラクション会場へ通じるひと・人・ヒトでいっぱいです。


後の山城サミット総会の資料で知ることになるのですが、平成18年度に年間2万人程度だった登城者が、ある映画等で話題になり、年々うなぎのぼりに。。今年は年間40万人が訪れるとのこと。
http://kinki.mof.go.jp/content/000061925.pdf#search='%E6%9C%9D%E6%9D%A5%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88'

 
高いところが苦手な方は少々怖いです。。


残念ながら天界は雲(霧)の中。遠くの石垣上にうっすらと浮かび上がる人影も情緒があります。



この日は朝10時から山城サミット総会で、帰りの送迎バスは朝9時が最終便ということで、初めて登城した「竹田城」の雲海を見ることはできませんでしたが、立派な穴太積の石垣遺構だけでも十分観る価値はあります。



所々大勢の人が通る関係上、通路の沈下や草が生えないなどのネガティブな問題もありますが、朝来市さんも調査保存整備を進めていかれると思います。

この「天空の城」への登城予定の方にご一報を。

雲海が見られる9月から12月、特に11月は信じられないほどの渋滞が始まります。朝8時から麓での車両規制が解除されるので、駐車場も大混雑。




歩く距離は3倍になりますが、有酸素運動にも有効ですので、竹田駅周辺の臨時駐車場や、地元のショッピングセンター駐車場から無料シャトルバスが運行されていますので、こちらを強くお勧めします。

またスマートフォンなどのネット環境が手元にお持ちでしたら、朝来市HP http://www.city.asago.hyogo.jp/ にアクセスすれば竹田城のライブカメラ情報や竹田城への無料シャトルバス情報等も更新されています。


ここにもありましたAED。最近、AEDの講習を受けていないので、今年は受けないといけません。

最後に 休みが取れれば、若と姫を連れ山城を巡りたいと思う自分がいました。(D)

2013年11月10日日曜日

ミュージアムパートナー 「せんどうさん」 研修旅行2013 Vol.2

ミュージアムパートナー 「せんどうさん」 研修旅行2013  Vol.1 に続き、同日昼からの巡業内容です。

お昼からは古い佇まいを有する「鞆の浦」を散策。

この日の一番のお楽しみは、「ホテルバイキング」です。


野菜中心のランチバイキングを堪能した後は、

鞆の浦歴史民俗資料館 http://www.tomo-rekimin.org/ に立ち寄りました。

ここも特別展「善隣友好 朝鮮通信使 -鞆の浦 新たなる新発見-」を開催中。

朝鮮通信使は、毛利長州藩(今の山口県)沖を通過する際には、能島村上氏が先頭に立ちその警固にあたっていることから、近世以降の村上氏とゆかりの深いことで知られています。

ここも館長直々の詳しい解説付。江戸時代に12回の来航があり、うち11回鞆の浦に寄港しています。中でも通信使の上級官が宿所とした「対潮楼」は、彼らに「日東第一形勝」と言わしめた名勝地でもあります。

特別展では優れた漢詩などを多く展示されており、当時の情勢を感じ取ることができます。
今は、日韓、日朝ともギクシャクした状況でありますが、交流をし続けることこそ友好の証であることを歴史は示していると言えるのではないでしょうか。

 
同資料館外から鞆の浦港を望んだ風景です。ポニョの原風景ですね。。。




江戸時代の情緒あふれる街頭では、現代のいかりや鎖など漁具が販売されています。宮窪の漁師さんたちもその昔、ここ鞆の浦まで買付にやってきていたようです。。

最後に、今年の9月まで当館で開催した『海からあがった宝物4』と関連深い「いろは丸」歴史展示館 http://tomonoura.jp/irohamarutenji.htm に立ち寄りました。


ご存じ、坂本竜馬率いる海援隊が、伊予大洲藩から1航海、半月の期間限定500両で借り受けたイギリス製の蒸気船です。1867年(慶応3年)に徳川御三家のひとつである紀州藩の明光丸に追突され、大破。鞆の浦まで相手方の明光丸で曳航中、沈没したといいます。

その後、昭和の末期に潜水調査が開始され、当館で9月1日に行った「瀬戸内海の水中考古学」講演会でご講演いただきましたNPO法人 水中考古学研究所の吉崎先生がずっと携われたことで、せんどうさんたちも興味津々。さまざまな遺留品や、実物の70%スケールの沈没状況立体再現は、図面だけでは味わえられない迫力があります。

その他、いろいろなエピソード。展示館自体が登録文化財にされているなど、竜馬ファンなら一度は訪れたい名所です。


                こちらは平成の いろは丸 渡航船として活躍中


                  宮窪にも似た原風景が広がります。


港にある「常夜灯」。讃岐(香川県)詫間沖の衝突地点から鞆の浦まで、この常夜灯を頼りに、いろは丸を曳航していたようです。20km近く離れた鞆の浦まで常夜灯の光は当時、判別できたのでしょう。

研修旅行後半は中・近世を体感できる旅でした。(D)