2013年6月23日日曜日

旧銅精錬所 「四阪島」 大煙突が。。

四阪島をご存知ですか?

四阪島といっても実は「家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島の5つの島」で構成されており、
今治市宮窪町友浦地区の沖合、南東へ約10kmに浮かぶ島です。


行政区域は今治市宮窪町友浦になりますが、明治38年、住友(現在の(株)住友金属鉱山)が島全体を買い上げ、全島同社の管理下に置かれる私有地です。

1691年(元禄4年)新居浜市の山中に、足尾・日立・小坂など日本四大銅山の一つと言われた別子銅山が開抗しました。

銅を精錬する際には、有害な亜硫酸ガスが発生します。それは人体や環境に深刻な被害をあたえるため、銅精錬所は山から平地へと移動を繰り返しています。

やがて公害問題が深刻となり、無人島(四阪島)へと時代とともに移転して行きました。


無人島であった四阪島は、最盛期(大正時代)には、人口は5500人を越えています。島と島を埋め立てたり、専用の社宅を作ったり、商店が立ち並び、私立学校までも設立され、海底ケーブルが通り電気も使用開始。

その時煙害の克服に向けて多額の費用をかけて完成したのが、今回ご紹介する「大煙突」(直径10.5メートル、高さ64.2メートル)です。大正13年(1924)に建設され3世代目

但し、公害(煙害)はかえって広範囲に広がってしまうというという皮肉な結果を招いてしまったようです。大煙突から吐き出される硫酸ガスが止まったのは、第2次大戦前の昭和14年のことで、近代技術を注ぎ込んだ硫酸処理装置が、ようやく煙害問題を克服しました。

その後、「大煙突」の役割も終えましたが、地元漁師の方の目印や、東予地域の海の灯台??としての役割も持っていました。

私Dの通勤途中、ある場所から天気が良ければ、よく見えていました。

別の場所、来島海峡SAから撮った写真がこちらです。


デジタルズームの携帯カメラなので、見えにくいですが、ちょうど写真の真ん中あたりに僅かに見えます。6月20日現在で1/3以上解体されている状況です。

が、今年の2月に解体が決定され、以前のような面影は見られなくなりました。
http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2013/04/10ehime_shisakajima/

今では目印がなく、どの島なのか場所によっては他の島と間違えます。芸予諸島は島が多すぎ重なって見えることから、目印の必要性を感じた次第です。

四阪島は1977年(昭和52年)4月には一部の工場関係者を除いて島を離れ、それから36年以上の月日が流れています。かつては繁栄を誇った四阪島ですが、工場の一部は今も稼働中で、50人ほどの社員が会社所有船で新居浜市から通っているようで、事実上現在の人口はゼロ。

この島は全島企業所有地であり、関係者以外の方の入島は固く禁止されています。

ですが、今治市村上水軍博物館の2階では、その面影を少しでも感じることができる空間がございます。

昔懐かしい??四阪島での昭和の風景など多くの写真が閲覧できます。

「大煙突」はなくなってしまいますが、博物館にその匂いを少し感じに来てみませんか。

また当館3階では、四阪島上空やしまなみ周辺の上空をグーグルマップのように見て回れることが可能です。

ご来館お待ちしています。(D)

2013年6月20日木曜日

やっかいな植生。

毎月恒例の能島での草刈り。


今週末、天気が良ければ、前回に続き草刈りを予定していますが、あいにく台風の影響で来週以降に持ち越しになるかもしれません。。

草刈りといえば、前職場の業務の一環で、湿地性植物の環境保全作業を行っていました。その内容は、地元自治会や愛護班の協力のもと年最低2回の草刈り、そして苗草(鷺草)の定稙作業。

先々週のキャンプの帰り道、その場所に寄ると、ちゃんと草刈りが行われ綺麗になっていました。

華麗なおかけで、昆虫や指定植物の観察も木道から容易に行えます。(木道から湿地内への侵入は厳禁です。)      



このような状況にするには大勢の人数で、役割分担を行い、作業を進めます。

2サイクルの草刈り機で「ブンブン」出力を上げずに刈り上げ。まるで私Dの散髪のように。。


とある箇所に近づくと、固くシツコイ木のようなものに当たります。
ここ最近に根を張りだした、北米原産の特定外来性植物「ニセアカシア」です。草刈り機で根本まで飛ばしても、樹勢が強くすぐ張り出してきます。高木で花が咲くと、蜜が取れることから賛否両論あるようですが、湿地には必要ありませんし、一旦侵略されると大変なことになります。


この植物。能島にやってくると大変になってしまいます。前回の草刈りで一通り、見たつもりですが、あったら大変です。『今のところ見かけてはいません。

能島城跡では、専門の先生方からの意見を取り入れ、今後の保全、整備、植生を考え、発掘調査のほか整備事業が順次行われています。


本年度から一部の大きな樹木の伐採が始まる予定です。


こちらの写真は10数年前の能島城跡の様子。郭の様子や地表面がはっきりとわかります。

定期健診のように適切な管理を行うことにより、景観や遺構が保たれます。定期的な伐採、草刈りは欠かせないのです。(D)

2013年6月17日月曜日

マタグルマの旅立ち

かつて採掘した大島石の運搬に使用されたマタグルマ。


昭和30年代 不許転載 当館蔵


先日、展示してある石文化運動公園(石文化伝承館)からトラックに載せられて、千葉県へと運ばれていきました。

国立歴史民俗博物館で開催されるこの企画展に出展されるためです。


大切な資料の旅立ちということで、学芸員の私Kは、インターンシップ中の伯方高校生を連れて、搬出の立会に行ってきました。
通常の宅配便とはちがって、今回は美術品輸送。専門のスタッフによって、エアキャップ(プチプチ)などで厳重に梱包され細心の注意を払って運搬されます。


運送屋さんの誤算?は、マタグルマの上に石が積んであったこと。借受先の担当者から事前に聞いていたということですが、実物を見て、ため息をついている瞬間を私は見逃しませんでした。


だって、ひとつ約50kgのものが、十数個のっているんですから。
でもさすがは運送のプロですね。返却後に積み直すことも考えて、手際よく作業を進めていきます。他の資料の梱包も含めて約2時間の作業が終わり、マタグルマは無事、千葉へと旅立っていきました。

宮窪町の採石道具も展示される企画展『時代を作った技-中世の生産革命-』は、7月2日~9月1日まで、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開催されます。そしてなんと、その後の9月13日~11月4日には、この展示が広島県立歴史博物館(広島県福山市)でも開催されます。

いま宮窪町の産業を支えてきた大島石の伝統と技術、そして文化に光があたろうとしています。(K)




2013年6月15日土曜日

しまなみを堪能。。

しまなみ海道周辺は言わずと知れた瀬戸内海の多島美で有名なところ。


今ではサイクリストの聖地とまで言われ、その名は海外まで知れ渡るほどです。たしかに気候の良い日など、しまなみ沿線にサイクリストを多く見かける機会が増え、博物館でも5月の連休中は新しく寄贈されたサイクルスタンドが大活躍していました。

なぜ楽で早いクルマを使わずに自転車で散策するのか。本四連絡橋の中でも人や自転車・原付バイクなどが渡れる唯一のルートであることはご承知のとおりでありますが、ひとえに多島美という景観と、自転車というややスローな乗り物から見た風景が、移動手段であるクルマからだけでは味わえない風景や「風」を味わえることにも一因があると言えます。


1999年に来島海峡大橋が開通してまもなく、Dも自転車で今治から尾道まで「尾道ラーメン」を食する目的と美術館巡りで、数回往復した経験があります。さすがに少し若いころでしたので、なんとか完走。あの時も「風」を感じながら走っていました。

それから10年以上、自転車通勤ができるはずもなく??自転車からは遠ざかっていましたが、最近は健康増進??のため、近場などは使うように心掛けています。

が、今年のGW(ゴールデンウィーク)は自転車を母艦に載せて宮窪まで。。


例年GWは年間入場数の1割に達するかきいれ時です。ということでほぼフル出勤。妻子は休みで実家に里帰りでしたので、片道40km通勤よりは久しぶりにしまなみを堪能しようと約1週間大島、大三島を中心に滞在しました。

博物館はいつもより圧倒的に多く人ヒト人で、結構大変でしたが、しまなみの多島美に癒されていました。
 

アフター5は地元グルメを堪能。宮窪では新鮮な海産物とゴボ天に舌鼓。伯方島では地元名物のお好み焼き。大三島の名所は大渋滞を予想していたので、多多羅温泉で温泉三昧。

しまなみには多数の施設があり、とても一日では回りきれません。ゆっくり堪能するには地元の民宿やキャンプ場を転々とすることで、よりしまなみを堪能できます。
http://www.go-shimanami.jp/index.html


とにかくゆっくり、四国霊場を回るように一度でなく何回か足を運んでいただいて、多種多様な文化施設、風景、自然を堪能していただきたい。。


★最後に今治市村上水軍博物館に気軽に立ち寄れる方法をお伝えします。★

村上水軍博物館には、入館無料で館内を堪能??できるコーナーがございます。
水軍関係の書物を多く蔵書しているミニ図書館での閲覧(貸出不可・館内閲覧のみ)
鎧の試着体験。
〇 特別展などを除いた企画展示。
〇 3F展望室しまなみ空中散歩。


特に6月30日まで開催中の「来島海峡の旧版海図展」は入場無料です。

来月中旬からは特別展が開催される予定ですので、企画展示室への入場は常設展示室と同じ、観覧券の購入が必要です。

なお、一般の方でも65歳以上の方、JAFカード等お持ちの方であれば、団体割引が適用され、大人一人300円が240円に割引されます。さらに高校生以下は無料です。

ご来館お待ちいたしております。(D)

2013年6月13日木曜日

宮窪小学生 来館学習

今日は地元宮窪小学校の3年生15名が総合的な学習の時間、校外学習で朝早くからやってきました。

いつもと違い、少数精鋭の団体。


その目的は、村上水軍博物館内を見学し、質問したりして地元の水軍について理解を深めることです。

事前の質問事項を伝えられていたので、4月からの新人Dは多くの質問をかたっぱしから調べる必要がありました。

質問内容は
◎ 村上水軍は何人いたのですか。
◎ なぜ、村上水軍は小さな島に住んでいたのに有名になったのですか。
◎ なぜたくさんの人が船で戦うようになったのですか。
◎ なぜ丸上のマークなのですか。
◎ 潮流体験や水軍レースはだれがやり始め、なぜ行うようになったのか。
etc。。。

特に一番初めの質問は「河野分限禄」などの文献を調べないとわかりません。
よくよく調べると来島村上氏・能島村上氏・因島村上氏は河野家18将の一員で、御軍役30騎前後、先御船手260~300騎と他の将に比べ圧倒的に多く、3島合わせて村上氏は900騎と合計1000隻近くの船をもっていた??
また戦闘員のほか漕ぎ手の必要ですから、島内の成人男性など相当数が駆り出されていたのではないでしょうか。

また水軍レース、潮流体験など地域振興と町おこしを目的に、地元のグループが発案、開始したのですが、詳細をあらためて学習できた次第です。


伯方高校の生徒も職場体験3日目。博物館業務の一環として参加。

で、さっそくその質問を回答とはいきません。
まず伝えることは「人の話をよく聞くこと」・「必ずメモを取ること」。
Y館長の注意事項を聞いて子どもたちは一路館内の展示室へ。。


先生も同行し、子供たちは事前の質問を自分たちなりに再整理。


館内散策後の質問回答。。

みなさんも童心に立ち返って博物館内を散策されると新たな発見があるかもしれません。(D)

2013年6月12日水曜日

インターンシップ・・・伯方高校生の奮闘日記

伯方高校の2年生3名がインターンシップ(就業体験)で村上水軍博物館にやってきました。
3日間、多種多様な博物館の仕事を体験してもらいます。

出身を聞くとみんな地元宮窪の生徒さん。小学生の頃から何度も博物館に来ています。宮窪には藤本さん、矢野さん、村上さんが多すぎて、なかなか名前までは覚えられませんが、たしかに顔は見覚えがあるような・・・。

宮窪の子たちは、小学生の頃から村上水軍の勉強をしているので、展示室の説明は省略。初日は受付の仕事やよろいの着付けを体験しました。

お互いに着せ合って練習

完成!

別バージョン

 午後は、小学生向けの「はくぶつかん探検シート」のリニューアル作業。そろそろ作り直したいと思っていたのでちょうど良い、と、高校生の若きセンスに期待しました。3人があーでもない、こーでもない、と、2時間ほどかけて知恵を出し合ってできた原案がこちら。


旧バージョンをベースに、なかなかすっきりとしたデザイン案が出てきました。問題案も提示され予想以上の構想発表にびっくり。そこで2日目はこれをデジタル化する作業の一部を見てもらうことにしました。夏休みまでには完成させて、子どもたちに使ってもらいたいと思っています。


2日目。今日は松山市の湯築小学校5年生のみなさん100名余りが来館されました。体験生にもクイズの採点や展示室の案内などを手伝ってもらいましたが、恐る恐る小学生に声をかける高校生^^。その姿がなんだかほほ笑ましくも見えましたね。



午後はこれまでとは全く異なる裏方の仕事。
体験生が小中学生の頃に何度も渡った能島城で出土した土器の整理作業です。

まずは注記(ちゅうき)。
注記とは、土器の破片の片隅に遺跡名、出土地点、日付などの情報を書き込む作業のこと。小さくて読みやすければOK。博物館でもっとも細かい仕事です。

いきなり本番とはいかないので、石を使って練習です。
自信がついたら土器に書いてみましょう、と目標を掲げたのですが・・・。

通常は極細の筆を使うのですが、うまくいかなくて竹串を使ってみたり、それをカッターで細く削ってみたりして悪戦苦闘。それでもなかなかうまく書けません。ため息ばかりついています。私Kも注記が一番苦手で、いつも作業員さんにまかせっきり。気持ちはよくわかりますね。


難しいと言いつつも、初めてにしてはなかなか上手。
新聞の字よりもはるかに小さい字が書けています。

「こんな仕事もあるんですね。」
これぞインターンシップ。ふさわしい言葉が出ていました。

注記のあとは、接合。土器の破片をくっつける作業です。
「頑張って一つの器を復元しましょう。そうすれば展示室に飾られますよ。」


体験生を鼓舞したつもりだったのですが、悪戦苦闘した注記のダメージを引きずったのか、一つを接合するのがやっとでした。もう時間だよ、と伝えた時の悔しそうな顔が印象的でした。

「博物館に展示されている土器を見ることがあると思うけど、誰かがこの復元作業を行っているんです。地道な作業で大変ですが、これも大事な仕事。」と締めくくり、2日目の仕事を終えました。

博物館の仕事は、展示やガイドだけと思われがちですが、さまざまな作業を経てようやく形になってお客さんに紹介することができます。そのことを高校生にも知ってもらい、将来への可能性を広げてほしいと願って、とにかく色々な仕事を体験してもらっています。

明日は何をしてもらおうかな・・・。
よし、展示やガイド以外の学芸員の仕事を体験してもらおう。(K)




2013年6月10日月曜日

砂城 能島城完成!!

先週は振替連休でしたので、今年初めてのキャンプに出かけました。

Dの自宅からクルマで10分。いつもの「休暇村T」。15Aの電源付サイトで、しかも目の前はプライベートビーチが広がっていながら、結構リーズナブルな料金(博物館と同じJAF割あり)で楽しめます。
 

まだ本格的なシーズンに入っていないので、難民キャンプ状態ではなく、ほどよい環境。
いつものようにバーベQテントを設営し、一路ビーチへ。

この日は外気温25度とまずまずでしたが、海水は冷たく泳ぐには勇気が必要です。

でビーチテントを片手に砂遊び。子供たちは砂のトンネルに熱中するも、私は砂城を作りました。

名付けて「砂城 能島城」完成!! このあと怪獣ゴジラに所々踏みつぶされた部分はありましたが。。

このビーチの沖合には、「来島村上水軍の出城」と伝わる「平市島」と「小平市島」があります。標高は前者が96m、後者が52mと結構な高さがあり、そこからの見晴らしもよいことがうかがえます。

で、この島。このビーチからの眺めがどこかに似ていませんか?? 上の砂城を横から望むと、高さこそ違いますが、



国指定史跡 能島城跡」によく似ています。いかにも平坦部がありそうな状況。まるで、平市島が能島で、小平市島が鯛崎島のようです。

この島は無人島ですが、私Dが小学生の頃、母方の実家の漁船やモーターボートで3家揃ってこの島に泊まり込みのキャンプによく行っていました。能島のように南側には平坦地があり、ヒトが住んでいた痕跡を子供ながらに覚えています。また平市島と小平市島の間はメバルメッカだったこともあり、釣りを楽しんでいました。

なんてここに来ると、つい過去や青春時代を思い出したりしますね。。。

とか思っているといつの間にか鯛崎島が半分以上消えていました。潮はまだまだ引いていく過程でしたので、犯人は??

でビーチテントで気持ちよく昼寝をしていると突然頭上をモーターパラグライダーが。。。




 
モーターパラグライダーが2台通過後、この後5~10分程度旋回し、楽しんでいました。
おおっと。長男の海パンが合わなくなってきている。。。

夕方はテントに戻り、特選バーベQ。

最後は「いかゲソ」で締め。。このつまみがあるものを一層味わしてくれます。



海ではもうシーズン到来ですね。。(D)