2021年4月23日金曜日

「#おうちでバリミュ①」答え 来島村上氏の末裔、久留島武彦さんの手紙

昨日の記事をご覧いただき、ありがとうございます。

来島村上氏の末裔で、児童文学家の久留島武彦さん。青少年教育に尽力され、全国の子どもたちに童話の読み聞かせを行った武彦さんは、村上海賊のふるさと今治市宮窪町も訪れました。

宮窪小学校の校長だった故矢野勝明先生は、武彦さんと親交を深め、来訪のお礼として地元の産物を送りました。

その産物とはいったい何でしょう?

①山ほどの瀬戸貝

②見事な大鯛

③桶に入った蛎(カキ)

④干したヒラメ

というのが昨日の問題でした。


日本遺産村上海賊公式Twitterで回答の投票を行いましたが(Twitterのみご覧になった方は、わかりにくかったかな??回答数は多くありませんでした😢)意見が割れていたようですね。


答えの前に、手紙の一節をご覧ください。



魚はまだつきませぬが…とありますので、これで2つに絞れますね。

矢野勝明先生は、読み聞かせのお礼の手紙と品を武彦さんに送ったようです。手紙は届いたようですが、品はまだ届いていなかったのでしょう。まだつきませぬ、とあります。

答えのなかで「魚」は、②の見事な大鯛と、④の干したヒラメ。
注目できるのは、「骨をたゝく」(骨をたたく)という食べ方。
鯛は骨を叩いて食べる??


瀬戸内、しまなみ界隈の方はもうお分かりかと思います。



答えは④干したヒラメでした!
こちら↓↓↓



このあたりでは「でべら」と言います。「でびら」という地域もあるそうですね。
タマガンゾウビラメが正式名称だとか。

骨を叩いて柔らかくして、炙(あぶ)って食べるのがよくある食べ方で、すごく美味しいです。
写真は我が家の冷凍庫にあるでべらのストック。

「骨をたたく」「香ばしい」という手紙の表現から、「干したヒラメ」つまり「でべら」だとわかりました。干されたでべらが整然と並ぶ漁港の風景は冬の風物詩。お雑煮の出汁をとるご家庭もあるそうですよ。瀬戸内名物の一つですね。

ちなみに、②の見事な大鯛は、村上海賊が小早川隆景に送ったもの。
③の蛎一桶も、村上海賊から毛利輝元へのお歳暮です。


詳しくは昨年のブログ「おうちで村上海賊」をご覧ください。



「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦さんは、出身地である大分県玖珠町でも知らない人はいないというほどの著名人。その活動や名言の数々は、久留島武彦記念館で詳しく知ることができます。



久留島武彦記念館は、最近では初代藩主の来島康親が普請(築城や改修のこと)したと考えられている角牟礼城跡(国指定史跡)のふもとの三島公園(森陣屋跡)にあり、その山側には、旧久留島氏庭園(国指定名称)や、久留島武彦氏の偉業を記念して昭和25年に建てられた「童話碑」があります。



その久留島武彦記念館ではこのような企画展が開催されています!
(いきなり告知ですいません^^)

昨年度、村上海賊ミュージアムで開催された「KURUSHIMA」展を一部を、来島村上氏ゆかりの地、大分県玖珠町へ巡回しています。先ほど紹介した、「矢野勝明さん宛の久留島武彦さんの手紙」は、村上海賊ミュージアムでは展示していませんが、この度、初めて武彦さんの生まれ故郷で展示されることになりました。

戻ってきたら、当館でも展示しようかな。

会期は7月25日まで。
それまでに、玖珠町へ安心して行けるようになることを祈っています。
10回?は玖珠へ行っている私ですが、とても素敵なところです。何度でも行きたい!!

k





2021年4月22日木曜日

「#おうちでバリミュ①」 愛媛県美術館コレクション「伝久留島家甲冑」

今治市立のミュージアムは、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、本日から5月19日まで臨時休館となってしまいました。とても残念ですが、収束した後、みなさまのおでかけ先がミュージアムであったら良いなぁ、という思いで、情報発信を続けたいと思います。


今治市立ミュージアムの学芸員による




♪始まり始まり👏👏


第一弾は、村上海賊ミュージアムからお届けします。


昨日、突然の最終日を迎えた「愛媛県美術館コレクションによるおでかけ美術館」。

ご覧いただけなかった方が多いと思いますので、展示品の一つを紹介させていただきます。


今回の展示のテーマは「海」「瀬戸内海」をテーマとする作品でしたが、中央でひときわ異彩を放つ甲冑。「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)(あるいは「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる))と呼ばれるこの甲冑がなぜ村上海賊ミュージアムで展示されたのでしょうか。


その理由は簡単。久留島家に伝わったとされる甲冑だからなのです。


久留島家(来島家)は、戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上海賊の一つ。能島村上氏とともに「日本最大の海賊」(ルイスフロイス談)の座を競い合った一族で、今治市波止浜沖に位置し、来島海峡を望む「来島城」とその周辺に本拠がありました。


江戸時代になると、豊後森藩の1万4千石の大名になります。豊後森藩は、現在の大分県玖珠町。玖珠は山間の町ですが、少し離れた現日出町や別府にも領地をもっていましたので、海とかろうじてつながっていました。村上→来島(初代藩主康親)→久留島(2代藩主通春)と改称していきます。



つまり、大名家に伝わったとされる甲冑、ということになりますね。


では少しくわしく見ていきましょう。

甲冑がお好きな方はご存じだと思いますが、パーツの名前は難しいですよね。

こんな感じ↓↓↓



ミュージアムや神社の宝物館などで甲冑を鑑賞する際のポイントは、まずキャプションと呼ばれる小さな解説に書かれた「名称」をご覧ください。


この甲冑は、「紫裾濃威胴丸」(むらさきすそごおどしどうまる)という名前がありますが、研究者のなかには「紫絲威胴丸」(むらさきいとおどしどうまる)と呼ぶ方もいらっしゃいますので、分かりやすい「紫絲威胴丸」で説明しますね。


宝物館などで甲冑をご覧になると、「大鎧」「胴丸」「腹巻」「具足」などいう言葉が並んでいると思います。


なかでも「胴丸」や「腹巻」は、室町時代(村上海賊の時代!)の甲冑で良くみる名称ですが、この違いを本当に簡単に説明すると、胴丸は、胴の右側をパカっと開けて体を入れるタイプのものです。


もう一度、伝久留島家甲冑の名称解説を見てください。胴の右側に「引合緒」(ひきあわせのお)というものがありませんか?これが胴の開いている部分を引き合わせて締めるための緒(紐などのこと)です。


これに対して「腹巻」は、背中が開いているものになります。

村上海賊ミュージアムが所蔵・展示している甲冑の解説はこちらの動画をご覧ください^^


次に「紫絲威」の意味。

「紫の絲で威した」に分解し、さらに「威(おど)した」は、「緒を通した(緒通(おど)した)」と考えてください。


つまり、紫の糸の緒を通した胴丸という甲冑なので、「紫絲威胴丸」ということになります。袖や垂れ、草摺りなども同じ作りになっているのもポイントです。


緒は、紐のこと。室町時代の甲冑だと、小札という小さな鉄や革(かわ)でできた薄い板に穴をあけ、この緒を通して繋いでいます。


少しでも見どころがわかると、甲冑の鑑賞が楽しくなりますよね。


この甲冑のもうひとつ見どころのが、かぶとや胴、袖に据えられたこの家紋です。


「折敷(縮)三文字」(おしきに(ちぢみ)さんもじ)などとよく呼ばれる、久留島家の家紋です。

ん?河野氏や大山祇神社の紋と似てる?と、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、家紋の話は長くなるのでまたの機会にm(__)m


では、この甲冑はいったい何時代のものでしょう??


「胴丸」という名称から、室町時代、戦国時代をイメージさせますが、専門家の見立てによると、中世の様式に習って製作された「江戸時代の甲冑」と考えられるそうです。

実戦用ではなく、儀礼もしくは観賞用と考えられ、剣と龍の豪華な前立てを見ると、なるほどなぁと思います。決して後世の研究者を悩ませてやろう、という意図ではないようです^^


ところで、このような立派な甲冑を伝えた久留島家ですが、その末裔には、とても有名で偉大な人物がいます。

その名は

久留島武彦(くるしまたけひこ)さん

1874~1960年


久留島武彦さんは児童文学者。子どもたちに童話の読み聞かせを行いながら、全国を旅しました。また日本のボーイスカウトの基礎作りにも携わるなど、青少年教育に尽力したその姿から「日本のアンデルセン」と呼ばれました。


みなさんもご存じの言葉でしょう。

「継続は力なり」

じつは久留島武彦さんの言葉なのです。


全国を行脚した武彦さんは、村上海賊ミュージアムのある今治市大島も訪れ、地元の小学校でも童話の読み聞かせを行いました。その際、宮窪小学校の当時校長だった矢野勝明さん(今治市名誉市民)が、久留島武彦さんにお礼の品としてある地元の海産物を送っていたことが、のちの手紙のやり取りでわかりました。


ここで問題です。

矢野勝明さんが、久留島武彦さんに送った地元の産物とはいったい何でしょうか。


①山ほどの瀬戸貝

②見事な大鯛

③桶に入った蛎(カキ)

④干したヒラメ


答えは明日のブログで!

お楽しみに!!


k

2021年4月13日火曜日

【開催中!】愛媛県美術館コレクションによる「おでかけ美術館」 in 村上海賊ミュージアム +α

ブログを書くのが遅くなってしまいましたが、4月10日(土)から

愛媛県美術館コレクションによる
「おでかけ美術館」
 in 村上海賊ミュージアム

開催中です!

(※5月9日(日)まで)




愛媛県美術館所蔵の
「海」「瀬戸内海」
をテーマとした作品14点を展示中!


「東山魁夷」や「野間仁根」、「智内兄助」
などの著名な画家の描いた作品が企画展示室にズラリ✨


キラキラ



いつもの企画展示室とは違う、美術館のような雰囲気です😊


詳しいリストは下記のリストをご確認ください↓



「野間仁根」は、村上海賊ミュージアムのある大島出身の洋画家で、バナーにも載っているような故郷を描いた作品がたくさん残っています。



この作品は、しまなみ海道ができる前の景色で、大島側から今治方面を見て描いたものです。

この作品の景色が見える場所は「火内鼻」。能島村上氏の拠点の一つ「姫内城」があったところです。

そして、中央に見えている島は「武志島」といって、ここも能島村上氏の拠点の一つ「務司城」がありました。


現在の景色はこんな感じ。来島海峡大橋があると雰囲気は変わりますが、同じ景色ですね。

📷T学芸員撮影


野間仁根を生んだ大島の吉海町にある

(吉海郷土文化センター)

では、「おでかけ美術館」と連携して

4月20日(火)から

野間仁根が描く瀬戸内海
ー風景を描くなら故郷を描けー

を開催!!




村上海賊ミュージアムと同じ大島内にある「野間仁根バラのミュージアム」を併せて見ることで、野間仁根の瀬戸内海を描いた作品がさらに楽しめます!!!


そして、チラシに載っているこの作品…




「おでかけ美術館」のこの作品と見比べると…?




同じ景色!!!


併せて見たいですね😊




そして、絵画に囲まれて中央に展示されている甲冑



これは

豊後森藩主 久留島家

伝来のものです。

久留島家は、村上海賊3家のうち「来島村上家」の末裔です。


昨年度の企画展「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」では

「海賊」来島村上氏が「大名」久留島氏になるまでをご紹介しました。


この展示の一部が豊後森藩久留島家の御膝元

大分県玖珠町の

久留島武彦記念館

で展示されています!!!



(7月25日(日)まで)

「過所船旗(複製)」や昨年度新収蔵した「久留島通春書状」も出張中!

大分県の方はぜひ行ってみてくださいね😊




⚠愛媛県は現在「感染対策期」になっています。

お越しの際は、以下のような感染対策にご協力お願いいたします🙏





M




2021年1月29日金曜日

明日開幕!企画展「近代海軍が学んだ「水軍」の教え―大将たる人は道を正しく行うべし―」

 

                 開催準備完了!

               おもな展示資料一覧は↑

 

みなさん、こんばんは。

NHK『ブラタモリ しまなみ海道~”瀬戸内の覇者”村上海賊はなぜ生まれた?~』

ご視聴いただけましたでしょうか。

「見たよ~」

「面白かった~」

と、たくさんの温かい声をいただいております。

ファンレター⁉まで届くという。。反響の大きさに驚いています。

ご視聴いただいたみなさま、ありがとうございました^^

 

一方で・・・

じつは放送後に、Twitterで盛り上がった話題がありました。それは・・・

「なぜ水軍ではなく、海賊なのか。」

 

決して狙っていたわけではありませんが^^

偶然にも、その疑問にお答えできるようなテーマの展示になりました。

 

日本遺産「村上海賊」公式Twitterでの解説によって、多くの方のご理解をいただいたようですが(感謝)、まだまだ丁寧な説明が必要なことを痛感しましたので、関連資料の展示を通して、さらに掘り下げた説明をしております。

 

内容は少し理屈っぽいのですが、なるべくわかりやすい解説を心がけました。

タイムリーなテーマでもありますので、会期中に、多くの方にご観覧いただけるような状況になることを願っています。

K


2021年1月13日水曜日

NHK人気番組『ブラタモリ』しまなみ海道~“瀬戸内の覇者”村上海賊はなぜ生まれた?~。いよいよ、今週末(2021年1月16日(土))の放送です!


 
NHK人気番組『ブラタモリ』しまなみ海道・村上海賊編。いよいよ、今週末の放送です!
ぜひご覧ください!!! 
 
🔷NHK(総合)「#173 しまなみ海道 ~“瀬戸内の覇者”村上海賊はなぜ生まれた!?~」
 
🔷2021年1月16日 午後7時30分~
 
公式ホームページに次回のエピソードが公開されました。
多くの方にご覧いただけますよう、ぜひNHK『ブラタモリ』公式ホームページ』をSNS等でシェア・拡散していただければ幸いです。
 
くわしくはこちら↓↓
 
(次回エピソードをご覧ください)
 
 
 

2021年1月7日木曜日

写真展「中国四国の国立公園展」開催中

 環境省中国四国地方環境事務所主催の写真展

中国四国の国立公園展

-アクティブ・レンジャーが伝える自然と活動-


令和3年1月28日㈭まで

村上海賊ミュージアム1階ガイダンスホールにて開催中です!

※ホールのみの観覧は無料





ところで、

「何で村上海賊ミュージアムで国立公園の展示🤔??」

って思われるかもしれません。



環境省ホームページの「瀬戸内海国立公園」の「公園の特徴」を引用すると


輝き続ける島と海―自然と暮らしが調和する内海多島海景観―

指定:昭和9年3月16日

面積(陸域のみ):66,934ha

大阪府、兵庫県、和歌山県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、福岡県、大分県 ※「瀬戸内海国立公園」の範囲

瀬戸内海国立公園は、昭和9(1934)年に雲仙、霧島とともに日本で最初に国立公園に指定されました。

備讃瀬戸を中心に紀淡・鳴門・関門・豊予の4つの海峡に囲まれた地域のうち、広い海域とそこに点在する島々、それを望む陸地の展望地が公園区域として指定されています。その範囲は1府10県にまたがり、海域を含めると90万haを超え、国内で最も広い国立公園です。

特長は、大小数々の島で構成された内海の多島海景観です。沿岸の陸域にはそれらを眺められる展望地が多数存在します。また、瀬戸内海一帯は早くから文化が栄え、人と自然とが共存してきた地域であり、島々の段々畑や潮待ちの港町など、自然と暮らしが一体となった親しみやすい景観であることも大きな特長の一つになっています。



なるほど、「瀬戸内海国立公園」は 多島美 が特徴なのですね。

村上海賊の活躍した芸予諸島は、まさにそれを象徴するような景観✨

村上海賊ミュージアムからのぞめる「能島城跡」も、「瀬戸内海国立公園」の「特別地域」になっています。


📷カレイ山展望公園より(大島)


しまなみ海道の通る島々にはたくさんの展望スポットがあるので、ぜひ高いところから美しい海と島々を眺めてみてください。


📷亀老山展望公園より(大島)


中でも人気の「亀老山展望公園」は、景色の美しさもバツグンですが、「中途城跡」「務司城跡」「来島城跡」「小湊城跡」「国分山城跡」「怪島城跡」などなど、たくさんの村上海賊の史跡も見えますよ!

展望スポットで、日本遺産「村上海賊」の公式お守パンフレットの最終ページの地図を見ながら、村上海賊の史跡探しをするのがオススメです😊


📷 鷲ヶ頭山より(大三島)


📷白滝山より(因島)


地図を見るだけでは分からない島々の見え方👀
地図では離れて見える島が意外と近くに見えたり、どこからどこまでが同じ島なのか分からなかったり、地図と景色を見比べてみると、新たな発見があるかもしれませんよ!


今の状況ではあまりいろいろな場所に行けませんが、コロナが治まってきたらぜひいろいろ巡ってみてくださいね😊


M


2021年1月4日月曜日

あけましておめでとうございます!

 🎍あけましておめでとうございます🎍

本年もよろしくお願いいたします。



今年は 丑 年!

かげちかくん(村上景親)の兄・元吉 は年男!


ミュージアム前の元吉の石像


村上家の系図の元吉の部分には

「慶長五庚子九月十六日討死四十八歳」

とあります。

「慶長5(1600)年庚子9月16日に48歳で討死」ということは、

逆算すると  天文23(1553)年癸丑 生まれということが分かります。

※数え年で計算



また、現在開催中の企画展

「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」

で展示している新出史料の1つ

毛利元就書状 は

年頭の挨拶 を述べている、今の季節にぴったりの内容です!!




【原文】

新春之御慶不可有際限候、仍太刀一腰・鳥目百疋令進之候、誠表慶儀計候、猶此使僧可申候、恐々謹言

  二月十日 元就(花押)

 村上越後守殿御宿所

【書き下し】

新春の御慶び際限有るべからず候、仍って太刀一腰・鳥目百疋これを進らせしめ候、誠に慶儀を表すばかりに候、猶この使僧申すべく候、恐々謹言、


宛先になっている「村上越後守」は

来島村上氏の重臣である「村上吉郷」のこと。

毛利元就は、この村上吉郷に対して年頭の挨拶を述べるとともに、

「太刀一腰・鳥目百疋」を贈っています。

「一腰」というのは一振(=1本)のこと。

「鳥目」というのは「銭」、「一疋」は「十文」のこと。

「百疋」は10文×100=1000文=一貫文。

※一貫文については以前ブログに書いたのでこちらをご覧ください


ところでこの書状、年頭の挨拶にも関わらず、出された日付が「二月十日」。

元旦から一月七日くらいまでに出す現在の年賀状から考えると、ずいぶんと遅く感じてしまいますね。

※この書状だけが遅いだけでなく、戦国時代の年頭の挨拶の書状はこれくらい遅いものも結構あります。


1月17日(日)まで 展示しています。

お越しの際はぜひご覧ください!


年末年始も全国的に感染者数が増え続けており、年明け早々大変な状況になってきています。

来館される際は、以下の感染対策にご協力をお願いいたします。





M







2020年11月13日金曜日

企画展「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」 いよいよ明日から!

 企画展「KURUSHIMA―「海賊」から「大名」へ―」

いよいよ明日開催!




こんばんは。新人学芸員Mです。

今回はMが担当する初めての企画展!

たくさんの人にご協力を賜りまして、KURUSHIMIながらも、なんとかなんとか展示が完成しましたよ😊


さて、今回は、

「海賊」の「来島」村上氏が「大名」の「久留島」氏になるまで

に焦点を当てた展示です。


「村上海賊」の三つの家のうち、来島村上氏が豊後国(今の大分県)の大名になっていることはあまり知られていないのではないでしょうか。


さて、今回はなんと、

新出資料が2点も!!でちゃいます!!!

すごい!!!


1点目は、今年度村上海賊ミュージアムが新収蔵した

久留島通春書状✨ 

久留島通春は、豊後森藩2代藩主。

今回の企画展はこの史料のお披露目も兼ねています。


そして2点目は……なんと!

毛利元就書状✨

みなさんご存知中国の雄毛利元就が、来島村上氏の重臣「村上吉郷」に送った書状です。

実はこの書状、KURUSHIMA展のチラシを関係各所にお送りしたところ、所蔵者の方に声をかけていただきまして、急遽展示することになりました!

ありがたや……🙏


さらに!

久留島氏の豊後森藩があった玖珠町(大分県)にご協力を賜りまして、村上通総、来島康親、久留島通春の3代分の肖像画の複製を展示しています。

「来島」村上氏のいた今治と、「久留島」氏のいた玖珠町。

この企画展をきっかけにさらなる交流が増えたらいいなと思っています。


展示資料一覧はこちら


ぜひお越しください!


M