2014年2月8日土曜日

雪島 能島城 完成

都心でも大雪警報が出ている本日(2月8日)。

今日は、朝から四国内の高速道路がほぼすべて通行止め。出勤日ではなかったものの、明日の出勤が心配です。

多少の雪であれば、タイヤを冬タイヤに交換しているので、大丈夫なのですが、橋が通行止めになると、交通の手段が限られますからね。

凄い大雪。普通に5~10cm積もっていて、かき氷のような重たく湿った雪です。

こんなに雪が積もり、溶けにくいのは25年ぶりぐらいですね。

てなことで、砂遊びや雪遊びが得意は私は、子供たちとエイリアン風の雪だるまを作成。。

定番の「雪城 能島城」を。




湿った雪は粘土のように楽しく工作できます。但し、ゴム手袋と手袋は必修ですね。(D)

2014年2月6日木曜日

能島城 上陸作戦

朝一番に、館長から今日(1月31日)の潮は速いよとの一声。

能島城へ目と鼻の先にある宮窪港から、いつものように出航。

第1便はすでに出航し、私が乗り込んだ漁船は第2便。

この日は最速9.5ノット(時速約18km)。かなり早かったよう…

潮流体験船とは違い、地元の漁師さん兼、発掘作業員兼、ミュージアムパートナーでもあるMさん所有の小型船なので、より潮の速さを体験できます。

潮の速さを見て、大きく迂回。潮の流れに対し、横滑り(ドリフト)しながら能島を目指します。

能島に近づくにつれ、鯛崎島にぶつかるような錯覚と、自分たちの乗った船が動いているのに、まるで能島城が動いているかのような錯覚になっちゃいます。


この日の帰り道は、行きと違い引き潮。鯛崎島沖で激しい潮流に逆らいながら宮窪港を目指しましたが、HDビデオと写真を撮りすぎた私の携帯は、バッテリー残が1%。残念ながら撮れずじまい。

博物館に帰ると、カバンの中の予備カメラの存在を忘れていて後悔しました。

めったに遭遇することのできない潮流。

この日(1月31日)の能島は、終始「 潮騒(しおさい)能島 」でした。(D)

2014年2月3日月曜日

水軍バリィさん 節分「鬼バリィさん」Version

本日、2月3日は節分。明日は立春。暦の上では春ですね。。


 ちょっとかわいい鬼ですが、水軍バリィさんも七変化していますよ。


今年も、宮窪幼稚園で恒例の豆撒き行事が行われ、博物館の事務職員も青鬼として参加いたしました。


 大きな青鬼、赤鬼に豆をぶつける園児たち。
途中、多く豆をぶつけてしまい、球切れになった子は大変困っていたようです。(青鬼談)


鬼退治が終了しても、怖くてしょうがない子も。。


でも最後には、鬼退治完了。今年一年、みんな元気で幼稚園に通えるかな??


今日は少し帰宅を早め、豆まきですね。

私は最近、豆まきよりも恵方巻きの方が楽しみで仕方ありません。


今年の方向は「東北東やや右」だそうです。(D)

2014年2月2日日曜日

企画展『ここまでわかった能島城』今日まで!

今日が最終日!
お見逃しなく!





能島城の最新研究成果を学ぶチャンス!
当時の生活の道具がズラリ。

ぜひご覧ください! K

2014年1月31日金曜日

宮窪の特等席

1月下旬にも関わらず、小春日和の日が何日かありました。

能島での発掘調査も残すところあと 2ヵ月余りとなり、この風景を毎日観察できるのもわずかとなってまいりました。


能島城跡の雑木伐採も進み、周辺からの眺めだけではなく、能島城からの眺めも素晴らしいんです。

発掘調査の合間、お昼休みは南受けの暖かい所で、一休み。

発掘調査に従事してくれている作業員さんの中には、おのおの、日当たりのよい場所でお昼寝。

私にとって、この季節。宮窪の特等席はココ↓↓です。(D)

 

2014年1月29日水曜日

28日7時25分の能島城

体感ではおそらく1~2℃だったでしょう。
ガチガチに凍った車のフロントガラスにお湯をかけるために外へ。
すると・・・


天空の城・竹田城とまではいきませんが、海上でありながら雲に浮いているかのような光景。
寒さを忘れてしばらく眺めてしまいました。

ああ、カレイ山で見たい・・・。でも、登っていたら遅刻だな・・・。

(K)

2014年1月27日月曜日

鵜島ダック part 2

先日、能島の東部海岸に鵜島ダックがまたご来島。

前回のブログはコチラ ↓
◎ http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post_13.html


いつものように調査トレンチのシートをめくり、遺構状況の写真を撮る準備をしていた時、何気なく東部海岸を見るとアヒル達が、いつものポイントでお食事中。

前回も、ちょうどこれぐらいの潮時に来ていたので、ちゃんと体の中に潮汐表がインプットされているのでしょう。


この時の潮の流れは引き潮。でも比較的穏やかでした。私たちが能島に上陸して、気づいたのが、朝9時頃。

以前のように3時間ぐらいゆっくりして、鵜島にかえるのかと思いきや。。


ちょうど私たちが調査トレンチの写真撮影をする直前。列をなして鵜島ダック艦隊が、島を離れていく様子。あわてて、望遠レンズカメラで撮影するも木の影で撮影できず、急いで東部海岸に降り立ちました。そのtimeはわずか1分ほどの出来事。
コチラは今回鵜島に帰還した時のアヒル達の航路。
やや強くなり始めた引き潮をもろともせず、直線的あっという間に対岸の鵜島岩礁近くに移動。
私たち人間が泳ぐよりも早い??




途中、地元の漁師さんたちの船にぶつかる危険性もありましたが、
なんなく通過。もう一隻の漁師さんは何かアヒル達に話しかけているような様子でしたよ。。


その後、観察を続けると縦一列で鵜島の岩礁を添うように移動。
岩場の鼻を大きく急迂回し、そのターンの姿は伊予水軍の末裔「名参謀 秋山真之」が「能島流水軍戦法」などの古文書を参考に考案したとされる「丁字戦法」のようにも見えました。
コチラは以前、帰還した時の航路の様子。
前回は満ち潮でしたので、今回とは違いますが、ちゃんと潮の流れを読み、海を安全に航行していることが上から見るとよくわかります。


この日の東部海岸は、だいぶ引いてきていました。良質なヒジキが多く岩礁表面に生えているにも関わらず、海中にずっと頭を入れっぱなしにしていることから、アオサなどの海藻を食べているのでしょうか。そのスポットは東部海岸の中でも限られています。


鵜島ダックたちは、きっと潮と天候を見計らい、ちゃんと計算して能島に渡って来ているのでしょう。

この日、博物館からの帰り道、もっとすごい珍獣と遭遇しました。その名は「イノシシ」。宮窪のど真ん中を走る国道でも、仕切られた歩道を颯爽と石文化公園方面へ歩いてましたよ。

写真を撮るにもETC割引の時間帯には間に合わないので、ドライブレコーダーに撮影されているものだろうと信じ込み、そのまま帰ってしまいました。後で確認してみると、私の驚いた声だけで、残念ながら真っ暗。。

ゴールデンレトリバーの成犬ほどの大きさで低重心。しかも光る牙付。あれはブタではなくイノシシだったのでしょう。

宮窪は、鵜島ダックや宮窪ネコなど愛嬌ある動物たちがたくさんいる自然豊かなところです。皆さんもぜひ博物館に来られる間、宮窪のまちなかを散策してみてください。(D)

2014年1月23日木曜日

能島城内通路に 轍(わだち)? それとも溝?

今年も能島城最後とみられる発掘調査が進んでおり、今年3月までの事業なので、最後の追い込みにかかっています。


合計10箇所のうち7箇所は調査に着手していて、残り3箇所の調査区設定と詳細な調査、記録作成作業が主な内容です。


今年は補助金の関係で、着手が遅れ、例年に比べ雨が多いこともあり、慎重かつ迅速に調査しないといけません。時間切れが一番困りますからね。。


こちらは以前紹介したブログ(東部海岸の大穴から伸びるとみられる登城路)
http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post_25.html に設定したトレンチです。

まだ調査中なので、小さな写真でしかご紹介できませんが、赤い点線の部分は傾斜しながら伸びる通路の跡と考えられています。


この斜面に限らず、能島の岩盤は非常にもろく崩れやすい花崗岩です。でもちゃんと通路側面の岩盤をほぼ垂直、人為的に加工しています。

通路幅は約60cm~70cm程度の大人1名が通過できる程度の幅でしかありません。これは能島三の丸 船溜まり周辺で確認されたトレンチでも、同じような幅の通路が確認されています。

この通路の土層堆積断面を見ると、まだ下に岩盤があることがわかりましたので、この状態にて写真撮影、平面図作成・標高レベル記入の後、少しずつ掘り下げてみることにしました。


すると、このようなイタリアは2000年前のポンペイ遺跡で確認されている轍(わだち)のような遺構が姿を見せ始めたのです。




 上から見ると、轍のように見えますが、実は右と左とでは底面の高低差があり、車輪としては無理があります。しかも、先行する土層堆積断面から見ても上下関係(右側の溝が先に埋まっている状況)を見ると、その可能性は極めて低くなります。

一瞬、在来馬である野間馬などの小型馬を動力とし、重い荷物を運ぶ車輪があったのではないかと想像しましたが、そうではないようですね。


 溝のようにも見え、下段の溝はわざと切立てているようにも見えます。但し、両側の壁の断面を観察すると元々の溝幅はごく狭く、現状でも少し歩くだけで、岩盤が砂状になるほどもろい地山です。これら現状を踏まえると、傾斜の低い方の岩盤が崩れた可能性も考えられるのではないでしょうか。
 
上写真の丸いピットは直径約25cm、深さが約60cm。比較的大きくしっかりとした丸底タイプです。このピットは下段の溝が1層分埋まった後、掘りこまれたものですので、上段の浅い溝? と同時に使われていた可能性も少なからずあるわけです。
 
作業員さんの説では丸太状のものを半載(半分)し、それを止めるためのピットではないか?という意見も出ていましたよ。
 
それにしても比較的深くしっかりしたピットをそれだけのためにわざわざ岩盤を掘削する必要があったのか? 疑問が膨らみます。
 
能島城では、このように通路上や通路の傾斜側面に排水溝のようなものとピット http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html が確認されています。
 
他の海城や山城に類例 があるか調べてみないといけませんね。
 
 
こちらは、次に設定するトレンチ。南部平坦地から見た状況ですが、小さな平坦面が上部に向かって上がっているように見えませんか??
 
※こちらに掲載している写真は、1/23 現在調査中であるため、転載はご遠慮願います。  (D)