2021年8月15日日曜日

★企画展紹介★「平成30年7月豪雨と能島城」①#おうちで村上海賊

突如、一昨日で終了してしまった企画展「平成30年7月豪雨と能島城―かけらが語る災害の記憶―」( ノД`)シクシク…

今回、ご覧いただけなかったお客様のために、このブログで展示の内容をご紹介いたします。ぜひご覧ください。


まずはご挨拶パネル。


 さて、今日は企画展冒頭のパネルに掲載した能島城の概要を紹介しましょう。

 能島城は、大島沖(今治市)にある能島と鯛崎島に立地します。能島の周囲は約八五〇㍍、鯛崎島は約二五〇㍍で、この二つの小島全体を城郭化した、全国的にも珍しい形態の城で、「海城」などと呼ばれています。

能島城跡を北側上空から望む

 標高約二五㍍の能島は、全体を三段に削って平らにしており、上から本丸(郭Ⅰ)、二之丸(郭Ⅱ)、三之丸(郭Ⅲ)があります。そして東側と南側に張り出した鼻にも出郭があります。

 能島城には、防御性の高い山城に見られるような複雑な虎口(郭への出入口)、土塁、堀切、竪堀などは発見されておらず、切岸と急峻な崖に囲まれただけの簡素な縄張り(防御構造)です。

郭Ⅲ(三之丸)から郭Ⅰ(本丸)方向を見ています
土塁や堀切は確認できませんが、急斜面が「切岸」のようになっています

 海面や激しい潮流によって守られた「天然の要塞」とも言われていますが、約六時間おきの潮止まりや潮流の穏やかな小潮もあるため、常に完璧な守りだったとは言えません。

大潮の最強時

同じ場所の大潮時の干潮、潮止まり

 一方、海岸部には船を繋ぐための設備があり、発着の利便性を高めています。海に対して開放的な構造から、戦への備えはもちろんのこと、それ以上に、海を舞台とした海賊たちの日常活動の拠点であったと考えられます。


常時潮の流れが穏やかな、能島北側の船だまり
船の発着場と考えらえます

岩礁ピット。
使用法の一つとして、船を繋ぐための柱を立てていたと考えられます。

 その証拠に、何度も建て替えられた掘立柱建物の痕跡や、膨大でバリエーション豊かなくらしの道具が発見されています。

郭Ⅱ(ニ之丸)の発掘調査では、無数の柱穴跡が発見されました。
住居や倉庫が何度も建て替えられたのでしょう。
出土品あれこれ

出土した網のおもり。
能島城で暮らした村上海賊は、漁もしていたんですね。

 能島城は、海賊たちのナワバリの象徴として、最長で二百年あまりの間、存在感を放ち続けました。

(以上が、企画展冒頭の能島城跡紹介パネルの内容です。少し写真を追加しました^^)


 能島城跡は、昭和28年に国指定史跡になりました。地域の、国の宝である能島城跡を現代に生かしながら良好な状態で未来へ受け継ぐため、さまざまな取り組みをしています。


その最中、平成30年7月豪雨によって、能島城跡は大きな被害を受けることになります。次回は、どのような被害があったのか、またその原因などについて紹介します。

まさに今、大雨が降り続いています。地盤も緩くなっています。みなさまくれぐれもお気をつけください。


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