2014年12月3日水曜日

四阪島大煙突の避雷針

まだ煙突があった頃の四阪島。どこにあるかわかりますか?亀老山展望公園から撮影。

大正13(1924)年10月の設置以降、長く四阪島のシンボルであった大煙突。老朽化が進み、惜しまれながらも平成25(2013)年7月に解体されました。

宮窪町沖約10㎞の四阪島には、住友金属鉱山の銅の精錬所が置かれました。その理由は煙害克服のためでした。その道のりは平坦ではありませんでしたが、その歴史を象徴するのがこの大煙突でした。

大煙突解体時には、2本の避雷針が回収でき、そのうち1本が住友金属鉱山株式会社別子事業所から今治市へ寄贈されました。今治市へ寄贈されたのは、四阪島の行政区分が今治市宮窪町であるなど、当市ととても縁が深いためです。
避雷針は当館2階の四阪島コーナーに、一緒にご寄贈いただいた『昭和50年頃の四阪島』写真パネルとともに展示されています。

四阪島コーナー。四阪島小学校の机や椅子、中学校閉校時の行事黒板などを展示しています。

避雷針の台座は大島石です。


このコーナーは観覧無料です。
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