2012年12月25日火曜日

古文書研究のプロが集結①-第61回四国中世史研究会

12月22日・23日、第61回四国中世史研究会が当館で開催されました。

集まったのは四国内だけではなく、東京、大阪、九州からの参加も含む、古文書研究の専門家、約30名でした。

恥ずかしながら私は古文書が読めません。土器や石器は見慣れているのですが・・・。
当館には『村上家文書』がありますので、せっかくプロが集まるこの機会に、いろいろと教えていただこうと思い、会場を提供させていただきました。

初日は最新研究成果の発表の場。
私がよく参加する考古学の研究会とは違って、レジュメには文字がビッシリ。慣れない私は目で追っていくのがやっとでしたが、「なるほどな、こういう解釈もできるんだ。」と思うところも多々あり、とても勉強になりました。

研究会初日のようす


じつは私も会員の藤本誉博さんとの連名で(といっても専門外の私は、お手伝いさせていただいた程度です。)、「史料紹介 新出史料「村上元吉書状」について」と題して、研究発表の場を与えていただきました。

これは、今年2月に当館が入手し、4~6月に企画展『新発見!村上元吉の手紙』でみなさまにご覧いただいた新発見の古文書を紹介するものでした。

この古文書からは、関ヶ原合戦(1600年)直前の、毛利氏と能島村上家の緊密な関係を読み取ることができ、また、これまで発見されている村上元吉の古文書を改めて集めてみると、年代によって元吉のサイン(花押)の形が変化していることがわかりました。


文禄3(1594)年の村上元吉書状(部分、個人・当館蔵)
「元吉」の名前の下に花押(サイン)が書かれます。
☆要不許転載

慶長4(1599)年の村上元吉書状(部分、当館蔵)
左の5年前に出された手紙とは形が違います。
☆要不許転載


 
 



















現在の手紙にも、〇月〇日としか書かないことが多いように、古文書にも〇年まで書かれていないことも多くあります。花押(かおう)の形の特徴をつかむことによって、年号が書かれていない古文書の年代を推定することができるかもしれませんね。元吉の場合は、少なくとも、3~4段階の花押の変化がありそうです。

そもそも、なぜ、元吉は、花押の形を変えたのでしょうか?その理由が知りたいところですが、いまはまだわかりません。みなさんはどう思われますか?
花押以外にも、たとえば朱印の位置、紙の質の違いなども年代を推定するポイントになるそうです。おもしろいですね。
これらの研究は、モノの形の変化から年代を読み取る考古学の手法と通じるものがあるのかな・・・。親近感を覚えました。

2日目は古文書見学と来島城散策でした。その様子は後日紹介します。(K)