2021年5月6日木曜日

「#おうちでバリミュ⑫」 わぁ、くっついた!(2)海岸でひろったカケラなのに、摩耗(まもう)していないわけ

 昨日は、能島城跡で高低差15メートル以上の離れた場所でひろった、あるいは出土した陶磁器のカケラがくっついた、「奇跡の接合」のお話をしました。


くっついた中国産青磁のお皿がこちら。14世紀代のものと推測されます。



3つのカケラが接合されていますが、そのうち1つは海岸の砂浜でひろったもの。

でも海岸で拾ったものは、長い年月波打ち際を漂い、砂で研磨されて角が取れて丸くなってしまっています。しかしこの青磁は角が取れておらず、郭(くるわ)で出土したものとピタっと接合できました。


その理由は一つ。

長い年月そこにあったのではなく、ごく最近、砂浜に流れでたものだからです。


2018年7月の西日本豪雨。

能島城跡は、長時間続いた豪雨によって船だまりの斜面は大きく崩落しました。

その崩落は二之丸の縁辺にもおよび、中世の時代に海賊たちが造ったであろう、郭(くるわ)(城の平坦な面)の縁辺の一部も流出してしまいました。



海際斜面の崩落は能島城だけだろうかと思い、船で周辺の島々を観察すると、大島や伯方島の海際のあちこちで斜面崩落が発生していました。豪雨の凄まじさと被害の大きさがわかりました。


発掘調査は被害の状況を調べて、適切な復旧の方法を考えるために行いました。能島城跡は国指定史跡であり、瀬戸内海国立公園特別地域内にありますので、通常の工事とは異なり、景観にも配慮した方法が求められます。


カケラが摩耗していない。

そして、二之丸のカケラと海岸のカケラがくっついた。


これらのことは、もともとは二之丸にあったカケラが、土砂とともに海岸に流れ出てしまったという事実を示しています。


このように流れ出てしまった土器や陶磁器の数は、そのままにしておけば、砂で研磨され角が丸くなって、もともとの形が少しずつ失われてしまいます。



海岸に散乱した土器など。
どれかわかりますか??



たくさん落ちていますね。


そこで、海岸に流出した土器や陶磁器を「レスキュー」することにしました。


レスキューされた土器や陶磁器の破片数は3000点以上。

そのなかに、前回紹介した青磁の皿があったのです。


この災害の状況や考えられる原因。復旧工事に向けて実施した発掘調査成果と災害復旧工事の概要をまとめた「平成30年度災害復旧事業報告書」を昨年度末に刊行しました。



レスキューした土器や陶磁器についても、今後、展示や研究などで活用できるようにできる限り掲載しました。



「出土状況」(いつ、どこで、どのように使われたか、などを知るための情報)という大事な情報を失ってしまいましたが、とても珍しくて貴重なものや残りの良いもの(破片が大きく、割れが少ない)もたくさんあり、今後の展示で活用できそうです。


この報告書は非売品です。新型コロナウィルスの影響によって少し先になるかもしれませんが、県内の図書館や村上海賊ミュージアムでも閲覧できるようにしたいと思います。


今日は少し暗くなってしまうような話でしたねm(__)m

でもみなさんに知ってもらいたいこと、後世に語り継がなければいけないことなので、記事にさせてもらいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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