2015年3月31日火曜日

2年間の修行

街中の桜が満開に近くなってきました。

明日からは4月。新年度のスタートです。私事ですが、2年間 村上水軍博物館での修行を終え、
異動となりました。

まだやり残した事業、業務が多く、他の職員にもいろいろ迷惑をかけてしまいましたが、この2年間、博物館イベント、発掘、事務といろいろなことを勉強したつもりです?!。

ただ能島の発掘には、まだやって来ますので、引き続き時より現況をアップしていきたいと思います。

今日しおさい能島さんで定番の鯛塩焼きをごちそうになりました。(D)

2015年3月28日土曜日

せんどうさん研修旅行in竹原市③

乃美宗勝ゆかりの忠海、村上武吉・元吉ゆかりの鎮海山を散策して、次に向かったのは長生寺でした。


どこかで見た家紋・・・。そう、いわゆる「折敷に縮三文字」の紋で、大山祗神社の神紋、そして伊予の大名河野氏と来島村上氏がこの紋を使用しています。

それもそのはず、この長生寺は、河野氏最後の当主・河野通直(幼名は牛福丸)の菩提寺なのです。湯築城を本城とする河野氏は、永く伊予の大名でしたが、豊臣秀吉が四国を平定すると、伊予は小早川隆景に与えられます。その後、秀吉が九州を平定すると、小早川隆景は九州へと国替えになります。小早川隆景のもとで道後にとどまっていた河野通直は、この時、竹原に渡り、ほどなく24歳の若さで亡くなりました。小早川隆景が、河野通直の菩提を弔うために建てたのがこの長生寺と言われています。

長生寺に隣接する墓地には、河野通直の墓と伝えられる石塔が残っています。


いわるゆ宝篋印塔の基本構成は、上から、相輪、笠、塔身、基礎の4つの部分からなります。尾道から今治にかけてのしまなみ海道沿線では、基礎と塔身の間に請座と言われるパーツが入る場合もあり、これを越智式などと呼ぶそうです。しかし、この写真を見ていただいたらわかるように、この石塔は特殊で、宝篋印塔の「笠」の部分が重なった状態です。なぜでしょうか。


江戸時代の記録によると、元々の墓塔が山崩れによって埋まってしまったそうです。そこで、通直の墓石が埋まっているあたりから発見された墓石を重ねて、供養塔としたという話があるそうです。

石造物に詳しいせんどうさんK島さんとО田さんに解説をしてもらいました。長生寺からは、村上武吉・元吉ゆかりの鎮海山が良く見えました。

次に訪れたのは、国指定の文化財になっている竹原の町並み保存地区。正式には「竹原市重要伝統的建造物群保存地区」です。
この町並み保存地区には江戸時代から昭和にかけての建築物が建ち並び、その変遷も見ることができます。竹原は、近世以降に入浜式塩田を導入して栄えました。作られた塩は全国へと送り出されます。このことによって廻船業も発展を遂げました。この町並みは、これらの産業に携わった人々によってつくられていきました。

竹鶴政孝さんの生家 『竹鶴酒造』


右の建物は歴史民俗資料館。昭和初期に図書館として建てられた洋風建築です。
あちこちに竹細工。
竹細工で覆われた公衆電話

町並みの見学の際、観光協会のガイドさんに解説をお願いしました。
約1時間30分。終始、流暢な竹原弁?で、わかりやすく、なじみやすく解説してくださりました。
能島城のガイドを行うせんどうさん男性陣は大いに刺激を受けたようです。
わしらも宮窪弁で・・・いや、宮窪弁でガイドをすると、おこっとるように思われらい・・・。
心配をしていました^^

せんどうさんの女性陣は、町並みのあちこちで飾られていた竹細工や、手作りひな人形を興味津々でした。博物館に飾る新しい作品の構想でも練っていたのでしょう。

充実した町並み散策でしたが、少しだけ気になったこともありました。
参加者の何人か同じ感想を持っていましたが、それは町並み散策の多くの観光客がいる中で頻繁に車が通ることです。平日だったので、業者さんの車などがとくに多かっただけなのかもしれません。実際に保存地区の中で生活や商売をしておられる方が多いので、仕方がないことというのは理解できました。ただ、ふと現実に、ふと現代に戻ってしまう瞬間が少しもったいない気もしました。

そのような感想も含め、今回の研修は、内容が盛りだくさんで、充実した研修旅行でした。自己学習にとどまらず、今後の博物館活動に活かすことのできる内容であったと思います。

そしてなんといってもよく歩きました。
万歩計をつけていたせんどうさんのK島さんによれば、この日は12000歩。
70歳以上のせんどうさんが多いのですが、みなさん元気によく歩いたなとびっくりしました。

この元気が活発なボランティア活動に結びついているのでしょうね。
楽しめる範囲でもちろん結構です。せんどうさんのますますのご活躍を期待しています。

当館のせんどうさん活動に興味がある方は、ぜひ博物館をおたずねください!

(完)

K



2015年3月26日木曜日

せんどうさん研修旅行in竹原市②

忠海を後にし、向かったのは竹原市の町並み保存地区周辺でした。
道の駅にバスをとめ、そこで待っていたのは、鎮海山の山岳会のみなさんでした。

研修会の数日前の出来事。偶然にもこの山岳会の方から、
「鎮海山城に村上水軍の幟を作って立てたいと思っている。色や寸法など、実際のものは、どのようなものか教えてもらえませんか。」
と問合せがありました。対応をした当館の村上武吉ことTが、
「参考までにサンプルをお送りしますね。ちなみに、今度、研修旅行で竹原に行きますよ。」
とお伝えしたところ、
「では我々がご案内します。一緒に登りましょう。」
と。

忠海を案内してくださった忠海地域文化伝承協議会の新本さん達もご一緒してくださりました。
本当に親切な方ばかりですね。地域の方の粋なおもてなしに、せんどうさんも刺激を受けたようでした。


伝村上元吉墓は、道の駅のすぐ近く、鎮海山の中腹にあります。
山岳会の方が綺麗に草刈などを行ってくださったようで、道の駅からもその場所がよくわかりました。

ただ、予期せぬ残念な出来事が、前日の夜に起こっていたようです。
写真は掲載しませんが、墓の周辺には土が荒された痕が・・・。そう、イノシシです。
イノシシによって周辺が荒らされ、一部の石造物が原位置から動いてしまっていました。
また十数年前の芸予地震の際も大きな影響を受けたようで、私が持っていた数十年前の写真と比べても、様子が変わっていました。

このお墓は竹原市指定の史跡になっているので、山岳会の方々は今回のイノシシ被害について、すぐに市役所の担当者へと連絡されたようでした。被害を受けたのは非常に残念でしたが、このようにボランティアで地域の方が巡視や維持管理をしてくださるというのは、非常にありがたいことです。


せんどうさんは、かつて村上元吉も喉を潤したであろう、宮窪の水を持ってきました。村上水軍博物館ができ、そして今盛り上がっているのは、元吉さん達のおかげです。供養塔に線香とお花を供え、皆で手を合わせました。

「元気な方は鎮海山へ登りましょう!」
山岳会の方のサポートを得て、約10名が標高約90mの鎮海山の登頂に成功しました。

鎮海山は、村上武吉・元吉が竹原に居を構えた際に築城した山城だと考えられており、市指定の文化財になっています。
 

賀儀城と比べても、頂部の平坦面はとても狭く、居城というよりは、見張り場などの施設があったのだろう、と地元の方はお考えのようです。頂部には遺構を傷つけないように、竹組によって砦(とりで)を模した施設が作られていました。ここに、村上水軍の幟を作って立てたいということでした。

これぞ山城、という明確な城の遺構は残存していませんが、たしかに頂部からは、竹原の町が一望できました。
竹原は、近世以降に塩田で栄えた町でもあります。山岳会の方に、往時の塩田の広がりなどを教えていただきました。

下山後、山岳会の皆さん、そして忠海地域文化伝承協議会の皆さんに厚くお礼を述べて、お別れしました。丁寧にご案内をいただき、本当に感謝をしております。

次はお待ちかねの昼食とお土産を買う時間。そして午後は、河野通直(幼名は牛福丸)の菩提寺である長生寺と、町並みの散策です。

K


2015年3月24日火曜日

せんどうさん研修旅行in竹原市①


“せんどうさん”こと村上水軍博物館ミュージアムパートナー(ボランティアスタッフ)の研修旅行を開催しました。年に1度のバス旅行です。

この研修の目的はおもに3つ。
①村上水軍ゆかりの地をめぐり、知識を深めていただくこと。
②各地で活躍するボランティアの活動を視察すること。
③会員の親睦を深めること。

自己学習とともに、日常の博物館活動に活かしていただくための研修です。
今年の目的地は、広島県竹原市。
NHKの朝ドラ『マッサン』ブームに乗って・・・、というわけではありません^^

竹原市は、関ケ原合戦の前に村上武吉・元吉父子が毛利輝元の命を受けて、居を構えた場所。村上元吉の墓とされる石造物など関連の文化財が残っています。

さらに『村上海賊の娘』に登場する小早川隆景の家臣、乃美宗勝が城を構えた場所でもあり、宗勝さんの菩提寺で、肖像画を所有する勝運寺や、お墓と伝わる宝篋印塔があるのも竹原市なのです。『村上海賊の娘』の大ヒットで、竹原市にも多くの歴史ファンが訪れているそうです。

午前中はその乃美宗勝ゆかりの地をめぐる旅。竹原市の忠海周辺の散策です。

 
 
今回はしまなみ海道を利用してバスで移動しましたが、忠海港は今治市大三島(北端)の盛港から船で最短約20分。じつはとても近いのです。武吉と元吉は、能島を離れて九州へと行きます。その後、日本海側で暮らしたこともありましたが、豊臣秀吉の死後、毛利輝元の命で広島城近くに帰り、その後竹原へと移ります。能島のすぐ近くまで帰ってきていたのです。
 
忠海港近くの広場に到着。そこで待っていてくださったのは、忠海地域文化伝承協議会の新本さんほか2名の方でした。当館のボランティアスタッフが研修で訪れるのを聞きつけ、ご案内をしますよ、と、わざわざお電話をくださりました。とてもありがたいお話です。
 
最初の目的地は乃美宗勝の居城と言われる賀儀城(かぎじょう)です。
ちなみに『村上海賊の娘』の作者、和田竜先生がお好きな城は、能島城と賀儀城なんだそうです。
 
賀儀城は、忠海港から歩いてすぐ。瀬戸内海につきだした鼻の頂部を城郭化した「海城」です。似たような景観は、芸予諸島でもよく見かけます。例えば、岩城島の亀山城跡。

賀儀城跡。西側から撮影。城跡の向こう側が忠海港。
岩城島の亀山城跡。同じように瀬戸に突き出した鼻の頂部に城が築かれています。
 
賀儀城には、郭(くるわ)と呼ばれる城の平坦地が大きく3つあります。
東側の一番標高の低い小さな郭が3、その西側に2、そして鼻の先端に1と番号が付けられています。
 
郭3から説明を聞く参加者を望む
郭2。この向こう側に下りたところに郭3。先端の土盛は、土塁の痕跡だそうです。
能島城には土塁は確認できないので、海城でも特徴が異なりますね。
郭1。城の頂部です。能島城のようにソメイヨシノやクヌギなど大きな木はなく、
低いマツとウバメガシが目立ちました。
 
この日はあいにくの天気でしたが、賀儀城からは、松山方面、芸予諸島方面が一望できるそうです。乃美宗勝は、毛利・小早川家と村上家をつなぐキーパーソンでした。この場所から芸予諸島はもとより瀬戸内海をめぐる情勢を眺めていたのでしょう。
参加者は、新本さんのお話を熱心に聞きながら城跡を散策しました。
 
 

 
 
新本さんのご案内で、次に訪れたのは勝運寺。乃美宗勝さんの菩提寺です。
乃美宗勝さんのお父さんは、浦家の養子になっていましたが、旧姓である乃美を名乗っていました。そこで宗勝さんも乃美を名乗ります。
 
勝運寺には、乃美宗勝さんの肖像画が保管されています。写真は掲載できませんが、この日は、ご住職様のおはからいで、特別に参加者に見せていただけました。実物を見られると思っていなかった私Kも大変感動しました。ご住職様からは丁寧に説明もしていただき、美味しいお茶までごちそうになってしまいました。
 
宝篋印塔の左側に見える、海に突き出した鼻が「賀儀城」
 
勝運寺に隣接する墓地には、乃美宗勝さんのお墓と伝わる宝篋印塔があります。
宝篋印塔が望む先には賀儀城と瀬戸内海。
雑誌などで時々見るこのアングルの写真。ぜひ自分でも撮ってみたかったので、大変満足です。空と海が綺麗に見えるときに、また来たいと思いました。
  
賀儀城から勝運寺までは歩いて移動しましたが、途中、JR呉線の踏切を渡ります。
その時の出来事。ガイドの方が大声で叫びました。
 
「マッサン列車ですよ!」
 
 
 
シャッターチャンスを逃して申し訳ありませんが、この列車は、「マッサン列車」なんだそうです。
竹原市は、『マッサン』のモデルとなった竹鶴政孝さんの出身地。その効果もあり、竹原市は盛り上がったいるそうです。
 
忠海周辺を散策した後は、竹鶴酒造などがある町並み保存地区(竹原市重要伝統的建造物群保存地区)の周辺に移動。いよいよ村上元吉の墓と伝わる石造物が残る鎮海山(ちんかいざん)へ向かいます。
 
K
 
 

2015年3月21日土曜日

送別会 and お誕生日会

送別会の季節ですね。

村上水軍博物館でも先日、Y館長の送別会 and お誕生日会が宮窪の名店で開催されました。

美食もさることながら、宮窪の見近島や船折瀬戸がよく見え、見晴らしもよい所です。

私は初めての来店でしたが、食もプラスα も進み、有意義な会でしたよ。


博物館の女性職員がナイショで自作したバースディ○の盛り合わせ。そして かげちかくん入りの感謝状が贈呈されました。

Y館長は10年と4ヵ月、館長職をまっとうされ ( 最近の激務お疲れ様でした。 )、4月からは新しい館長が就任します。

平成27年3月31日までは、写真似顔絵のY館長が在職しておりますので、名物館長 逢いに博物館へお越しください。(D)

2015年3月5日木曜日

宮窪幼稚園・宮窪保育所の子どもたちが作ったひな人形を展示しています

宮窪幼稚園の子どもたちの作品
宮窪保育所の子どもたちの作品

『村上家伝来のひな人形』展にあわせ、宮窪幼稚園・宮窪保育所の子どもたちの作品を展示しています。展示期間などは下記の通りです。

【展示会場】
村上水軍博物館 2階 企画展示室  観覧無料

【展示期間】

☆宮窪幼稚園☆
3月5日(木)~3月19日(木)※月曜休館

☆宮窪保育所☆
3月5日(木)~4月5日(日)※月曜休館

展示室がさらに華やかになりました。子どもたちが一生懸命つくった作品が並んでいます。
企画展示室の観覧は無料ですので、ご家族、ご親戚、ご近所の皆様、お誘いあわせのうえ、ぜひご覧ください!

K

2015年3月3日火曜日

ひな人形 水軍バリィさん

早いもので、本日3月3日は桃の節句ですね。


今年も2階 企画展示室では『村上家伝来のひな人形』展が開催されています。
 http://suigun-staff.blogspot.jp/2015/02/blog-post_27.html



「みキャン」と「かげちかくん」も衣装替え。
 

これから約1ケ月間、ひな人形水軍バリィさんがお出迎えです。(D)