2013年4月6日土曜日

明日はみやくぼ浜のマルシェ&能島の水軍ツアー

先日お伝えしましたとおり、明日はいよいよ“みやくぼ浜のマルシェ”と、それにあわせて“能島の水軍ツアー”が開催されます。
http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/topics/054/20130407.pdf

天候が心配なのですが、能島の水軍ツアーは、荒天により“能島の花見”の渡船運航が中止されない限りは、開催を予定しております。運航中止の決定は花見主催者の判断によります。
事前申し込み不要の能島の水軍ツアーにご参加される方は、14:00頃に「能島」の桟橋に集合です。1時間程度、能島城を散策したいと思っています。ただ、雨があがったとしても、地面は大変すべりやすくなっております。ご参加される場合は、各自で雨対策や靴選びをよろしくお願いいたします。



1年前の発掘現地説明会では、大雨の予報でありながら、雨雲レーダーでは能島とその周囲だけぽっかり雨雲がかからない、という奇跡が起きました。
能島の桟橋でこののぼりを持ってお待ちしています。(K)

2013年4月5日金曜日

発掘調査報告書完成!

能島城跡の平成22・23年度の発掘調査成果をまとめた報告書が先月末に刊行されました!

書名は『今治市埋蔵文化財調査報告書第119集 史跡能島城跡-平成22・23年度郭Ⅱ(第2・3次)調査報告書』。240ページ、背表紙の幅1.5cmのやや分厚い報告書になりました。

堅苦しい書名なのですが、内容はおもに、約1年前の2012年3月、現地説明会を開催させていただき、皆さまにご覧いただいた二之丸(郭Ⅱ)の発掘調査成果の記録です。




記録とは言いましてもその内容は調査日誌に止まりません。発掘調査で得られたデータを、文章、図、写真、表などで記録したもので、さらに往時の能島城の構造や役割について、私たち調査員が考察をした成果も含まれています。専門的な内容となっており、これが全国の研究機関や図書館などに送られていきます。

将来にわたって保存されていく遺跡の記録であり、史跡の整備を行う上での基礎資料として活用されるとともに、歴史研究の進展の一助となることが求められています。
刊行部数が限られており、また非売品です。当館の海賊ライブラリーで閲覧できるようにしていますので、ぜひご覧ください。

今後、この発掘調査報告書に基づいて、展示公開や出前講座、パンフレット製作などを行って、わかりやすくその成果を皆様にお伝えしていきたいと思います。(K)


2013年4月2日火曜日

保存か、公開か

以前のブログで、今治城の城絵図の紹介をしました。
http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/02/blog-post_6.html





長年、展示公開されてきたこともあり、表装などの痛みが激しいのので、現在は温湿度が管理された収蔵庫で静かに休ませています。

先日、今治城などで活動中の今治地方観光ボランティアガイド(http://www.oideya.gr.jp/v-guide/)のみなさんが、今治城正保城絵図を実際に見ながら、城の勉強をしたいということで、私も少しお手伝いをさせていただきました。

今治城の学芸員さんや元館長さんの説明を受けながら、大変熱心に勉強されていました。

その中で、この城絵図を今治城でできるだけ早く公開してほしい、という声があがりました。今治城の至宝を来客にお見せすることができないという、ガイドとしての寂しい気持ちはよくわかります。

しかしながら、現在の保存状態のまま、しかも環境の整っていない展示ケースに戻すことは、資料の劣化を早めることになるのは明らかですので、それを行うことはできません。やはり今治城を誇りに思うみなさんですので、このことにはご納得をいただけたようです。

その上で、価値を損なわないような適切な方法での修復と、展示・保管環境の改善が第一で、さらにレプリカ(複製)を作って、それを常設展示し、本物は期間を限定して公開したらよい、といったようなご意見もいただきました。

保存か、公開か。

地域の宝を守り伝えることを第一と考えるならば、その保存が保障されて初めて、公開が可能になるというのは言うまでもございません。まったく公開しなければ、貴重な資料があることすら、将来的には忘れ去られてしまう可能性もあります。活用することによって、市民に資料の重要性を伝えることができ、結果的に保存への理解がより一層深まると思います。

まずは保存のためにできることをやった上で、可能な範囲で活用していく。このことは、お金もかかりますし、学芸員を中心に、その体制も充実させなければいけません。ハードルは高いのですが、市民の方の理解を得ながら、その道を模索する必要があると思いました。(K)

2013年3月31日日曜日

能島の環境整備に出かけました!

先週、穏やかな天気の日に、能島へ環境整備に出かけました。

今回の環境整備は草刈りをしたり、枯れ枝を取り除いたりして、
能島城跡を人々に良い状態で見てもらおうというものです。

また、定期的に島に上陸することで、
破損や崩落の箇所がないかなどを目視でチェックすることも兼ねています。



















暖かくなってきて、ひざ丈くらいまで草が生えています。(南部平坦地)




















三之丸もひざ下くらいの生え具合です…(奥から本郭、二之丸の段々が見えます)



すっかりきれいに刈り取られました。




するとちょうど潮流体験船がやってきました。

草を刈ることで、能島の郭の平坦面がより強調されて、
海から見ても城として整形された様子がハッキリします。


あとは島の周りの斜面部で近年急成長しているクヌギ等の雑木を・・

まだまだ環境整備の課題は残されています。(S)




2013年3月30日土曜日

ヤマザクラ見ごろ

少し前に紹介したヤマザクラ。あれから一気に花を咲かせ、早くも散りつつあります。
この週末が見ごろですね。




最近は、もやがすごいので、写真はうまく撮れませんでしたが、ぜひ生で見ていただきたいものです。

いろいろと回ってみましたが、県道の海岸沿い、能島対岸あたりが綺麗に見えるスポットです。
サイクリングの途中で、写真を撮っている方も多くいらっしゃいました。(K)


2013年3月29日金曜日

友浦港から佐島港へ

再び、ある会議で上島町に行ってきました。
会議の場所は佐島。生名島と佐島、あるいは弓削島と佐島を結ぶ橋がかかっていますので、フェリーなどを利用して車でも行くことができますが、私はいつも高速船を利用します。

車よりも速い気がするのもありますが、何よりも燧灘の景色と海城の姿を見るためです。





佐島方面への高速船は今治港から出ており、大島では友浦港から乗ることができます。
待ち時間が少しあったので、港周辺の景観をゆっくり眺めてみました。
やはり目についたのは、港の沖にある「九十九島」(つくもしま)。(写真)
頂部が不自然にまっすぐになっているので、よく目立ちますね。

このような形状ですので、能島城などと同様に小島全体が城であったと考えられています。郷土誌などに記された伝承によると、燧灘を見張る能島村上氏の出城で、城主は東條和泉守といい、ここで太鼓を打ち、燧灘の水軍に合図をしたので、この島の別名を太鼓島とも呼ぶそうです。

詳しいことはわかりませんが、九十九島では、過去に16世紀のものと考えられる土師器の釜、鉢、甕などの破片がひろわれています。少なくとも村上水軍の時代に、人びとが九十九島を利用していたということは言うことができるでしょう。




友浦港を出港し、次の寄港地は伯方島の木浦港。さらに岩城島の岩城港へ寄港します。岩城港のすぐ近くでも有名な海城跡を見ることができます。亀山城です(写真中央)。

亀山城は、小島ではなく、瀬戸へと延び出した鼻を利用して築かれたタイプの城です。横から見るとまっすぐの頂部には神社があります。詳しは述べませんが、往時は小さいながらも優れた防御構造を持った城だったと評価されています。

1691(元禄4)年に岩城島沖を通過したケンプェルの記録によれば、「高き岩礁の上に寺社ありて、階段にて上るべし。岸辺に立てる相重なれる二個の門はその入口なること知るべし。」とあり、寺社が亀山八幡神社で、岸辺の門は鳥居であったと考えられています。

たしかに、以前調査したときに、岩礁にあけられた2個のしっかりとした柱穴がありました。これがケンプェルの見た鳥居跡だと考えられています。

このほかにも、この「城ノ鼻」と呼ばれる先端の海岸部には、能島城と同様に岩礁にあけられた柱穴が7個ほど残っています。下は以前撮影した岩礁の写真です。岩肌に窪みが見えませんか?これが「岩礁ピット」です。


岩城島に関するある記録によれば、築城は1392(明徳3)年で、城主は村上氏であったとされています。しかし、この城についても、岩礁ピットの存在は知られているものの、発掘調査が行われていないため、年代や城の役割など詳しいことはよくわかっていません。
また、岩礁ピットにしても、鳥居跡のように江戸時代のものなのか、伝承が指すように中世の時代の城に伴うものなのかは定かではありません。

このようにこの芸予諸島には、いくつも海城跡を見ることができます。しかし、発掘調査が行われたのは能島城などごく一部の代表的な遺跡に限られていて、まだまだ多くの謎に包まれています。これらに海城についても、できることなら、まずはその歴史的な価値を明らかにして、そして将来にわたって守り伝えていければ良いなと、改めて感じさせられた船旅でした。(K)


参考文献:愛媛県教育委員会編2002『しまなみ水軍浪漫のみち文化財調査報告書』など


2013年3月27日水曜日

新名所誕生?

高取山のヤマザクラが咲き始め、日ましにピンク色の密度を増しています。
じつは知る人ぞ知る、宮窪は自生のヤマザクラの名所なんだそうです。



ヤマザクラと入れ替わりでソメイヨシノが咲くという印象がありますが、近年はそうとも言えない状況で、昨年はほぼ同時期に咲いていましたね。

地元の方は気づいているみたいですが、町外から来られる方は、このみごとなヤマザクラの存在をほとんどご存じありません。
綺麗に見えるスポットはいろいろあります。カレイ山展望公園はもちろんですが、能島対岸の海岸沿いの水場あたりが私はおすすめです(上写真)。それから潮流体験船からも絶景です。

一方、能島城のソメイヨシノは昭和初期から植栽され始め、全盛期に比べればはるかにその数は減っているものの、桜の名所と呼ばれています。いまやインターネットやテレビニュースで開花情報を知ることもできるほど。しかし、このブログでも何度もお伝えしているように、ソメイヨシノの根が史跡を壊すことが明らかになった以上、古木・枯木は徐々に撤去を進め、少なくとも新たな植栽が認められることは無いと思います。これは能島城だけの問題ではありません。桜の名所となっている多くの城跡が抱えている全国的な問題なのです。

しかし、桜の名所・能島でなくなることに、寂しさを感じることはないと私は思います。その対岸には、もっともっと雄大に自生のヤマザクラが広がっている、このことを知っていたければと思います。(K)

2013年3月26日火曜日

みやくぼ浜のマルシェ&能島の水軍ツアー

4月7日(日)は、宮窪港周辺がマルシェ(市場)になります。
ぜひお越しください。詳しくは下記のチラシをご覧ください。

http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/topics/054/20130407.pdf



そして、急きょ決まった企画!

4月7日は、「能島」への渡船が出ます。
それにあわせて、当館学芸員の案内による能島の水軍ツアーを開催いたします!

内容は・・・
①能島城の最新発掘調査成果を現地で伝える
②ソメイヨシノが遺跡に与える影響の話
③なぜ、能島城に海賊衆が拠点を築いたかを現地で考える


午前、午後の各1回行うのですが、少しややこしいので下記をよくご確認ください。



まず午前。
これは、「いよココロザシ大学」の授業の一環でガイドを行います。
こちらは申込が必要です。

いよココロザシ大学のことや、能島の水軍ツアーに関するお問合せ、お申込みは、下記のホームページをご覧ください。

http://www.1455634.jp/fsusvles.php?ini=210&PHPSESSID=fb5b395f0bf7a5662e94dd6c7f061ac9

(午前のツアーは、当館への直接のお申込みはできませんのでご注意ください。)



続いて午後。
こちらは、みやくぼ浜のマルシェ&水軍博物館企画のツアーです。
こちらは申込み「不要」です。当日、気が向いたらご参加ください!

各自、渡船を使って能島に上陸していただき、「能島」(宮窪港ではなく)の桟橋に、14:00頃にお集まりください。
学芸員が資料を持って待っております。なお、船はピストン輸送のため、時間が決まっていませんので、14:00前後に到着する船を待って、ツアーを開始します。
若干時間が前後する可能性がありますがご了承ください。


いずれも渡船料(大人往復500円)が必要になります。
また、能島城は小さな島ですが、標高約25mの山でもあります。また潮の状況によって、海岸散策を行うこともあります。服装、とくに靴にお気を付けください。


年度末の忙しさにかまけて、更新が滞っておりました。
また2~3日に一度のペースで様々な情報をアップしていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。(K)