2014年1月19日日曜日

冬の能島。島から城へと変貌中!

毎朝1ケタの外気温度にも次第に慣れてきて、つくづく陸よりも海沿いの方が暖かいことに気づき始めました。



冬まっただ中で、広葉樹の木の葉はすべて落ち、枝が多くあったのですが、伐採が進み、御覧のように城として丸見えの状態になりつつあります。


本丸・二の丸・三の丸・出郭の水平ラインが遠くからでもはっきりとわかる状況です。

能島の整備事業は平成30年まで続けられる予定で、本年度(平成25年度)は最後と思われる発掘調査(城内通路の把握を目的とした調査)と、3か年計画で予定されている雑木伐採整備事業が主に行われています。



今年、実施する部分は最も本数が多く、面積も広い宮窪側。

                    伐採終了時、黄金色に輝く能島。
 

 
 『変貌した能島』


 
 こちらは伐採中の作業状況。


大きなクヌギの木は傾斜のきつい所に多く茂っているため、伐採作業はとにかく大変な作業です。


能島周辺は潮流の流れがとても速く、周辺で漁をされている漁師の方がいらっしゃるので、大木を海に落とすということはできません。

すべて、検出された遺構や能島の花見にかかせない桜の木に影響がないよう、慎重に伐採を行い、ワイヤーで釣り上げます。

人力で行うため大変な作業なのです。。

 
こちらは伐採前の能島。島としてはわかりますが、城としてはわかりにくく、どう見ても普通の島にしか見えません。。
 
◎伐採前の樹種調査はコチラのブログ↓

伐採後、木々は搬出され、能島内をちゃんと整理します。

今年4月の能島の花見は遠くからでも、能島城内からもきっときれいに見えるに違いありません。(D)

2014年1月16日木曜日

村上水軍ゆかりの地 探索 Vol.2

年末年始にしては比較的暖かく過ごしやすい元旦となり、大分県天ケ瀬温泉でゆっくりしたものの、この日は一路博多を目指しました。

この日のお目当ては、「博多の長浜ラーメン」。

繁華街の福袋も気になりましたが、急遽進路を西から東に変更し、地元漁師さんの産地直送市がTVなどで一躍有名になっている「道の駅 宗像」に夜中着陣。

ここは玄界灘からの季節風が強く吹き抜けるところで、この日も大きくハンドルを取られるほどの横風でした。

本日休館日の看板が気になりましたが、翌日朝になってもあまり人が集まってきませんでした。
結局、この日は休館日のようで、格安の食材GETには至らず、あえなく帰路に。。


広島経由で帰りますので、門司港のクラッシックな建物を横目に、関門トンネルをくぐります。


その昔、よく訪れた街で、門司から下関まで歩いて渡れる海底トンネルがあるところでもあります。


 
 
そのままトンネルを潜り抜け、長州は誉れ高い湯田温泉にGO。

山口県は歴代の首相を多く送り出している土地柄なのか、一般国道が四国では考えられないほど自動車専用道路として整備されています。

私のようにのんびり走りたい人間には、有料高速道路よりもとっても走りやすく安心感があります。

湯田温泉でマッタリした後、
目指すは訪れたことのない長州は周防大島。

ここは能島村上氏の海賊王「村上武吉公」終焉の地です。

地図で見ると細長い島で、実際に走ってみるとかなり距離感を感じるところです。所々ビーチがあり、夏場などは瀬戸内リゾートと化する場所なのでしょう。


下調べもせずに標識や感を頼りに狭い街路をうろうろと散策します。
バス停と「村上武吉公記念碑」の看板を見つけ、やっとのことでたどり着きました。
その場所は内入(うちのにゅう)地区の元正寺に所在します。


前に広がる島は能島に比べるとかなり大きく見えますが、鯛崎島・能島・鵜島となんとなく面影があるところです。

私は宝篋印塔に詳しくありませんが、風格や墓台や墓壁など、歴史を感じさせるしっかりとした造りであることに武吉公の偉大さを痛感させれられました。

その昔、自営の手伝いの傍ら、南北朝から戦国武将好きな父に無理やり連れまわされ、墓巡りした記憶がよみがえってきましたよ。。

このあと、ナビの地図を見ると、島のトン先に陸奥野営展示と書かれている場所があり、行ってみることに。。

高台の上に、多くの乗組員とともに原因不明の爆沈を遂げた帝国海軍の戦艦陸奥の引き揚げ部品が野外展示されていました。艦首・副砲・スクリューなど。


職業柄、鉄そのものを保存処理等行っているのか心配してしまいますが、純度の高い「陸奥鉄」なので心配は無用なのかもしれませんね。。

 
高台から下を眺めると資料館らしき建物が…
夕方近く、閉館時間ギリギリ前に飛び込み入館しました。時間はあまりありませんでしたが、じっくり見てみたい内容のものが多く展示されています。


野外には、海上自衛隊の退役飛行艇が展示されています。


実は私、レシプロエンジンを有する飛行機が大好きで、しかも4発タイプのものをこれだけ近くで舐めるように見渡すことができるのは初めて。大変感動しました。


特に水陸両用の飛行艇は大好きで、日が暮れるまでずいぶん眺めていました。


ここは日本一小さな「なぎさ水族館」や野外キャンプ地もあり、3組の家族連れやライダーの方が颯爽とテントを張り、通が好む冬キャンプを堪能されていました。

今後の進路をナビと対話すると
 
 
自宅のある四国まで、目と鼻の先まで近づいていることに気が付きます。
 
勝手気ままで計画性のない旅好きな私は、当初予定していた広島周り(しまなみ海道経由)の帰路をあきらめ、より楽な海路を選びました。
 
近くの伊保田という港から、一日4便ほど愛媛県松山市の三津浜港までカーフェリーが就航していることをネットを頼りに乗船予約。
 
 
この船は山口県柳井市から途中、寄港する船のようで、乗船時はバックで侵入します。(バックでの乗船は初めてです)。
 
最短ルートで愛媛に帰ってきましたが、三津浜は武吉公因縁の地。なんとも不思議な気分です。
 
新年になって当水軍博物館内を改めて見回ってみると、武吉公の次男 村上景親公の墓地も同じ、周防大島に所在することを知ってしまい、ろくに下調べ(勉強)をせずに気ままな旅を続けてしまった自分に対する後悔の念がありました。
 
周防大島は、伊予大島の約3倍の大きさがあるようで、次回訪れた時は毛利家とゆかりの深い防府市内の散策も含め、より計画的な旅にしたいと思います。
 
今年の年末年始も休みが取れれば、温泉地巡業と史跡巡りは行ってみたいものです。(D)

2014年1月12日日曜日

村上水軍ゆかりの地 探索と温泉巡り Vol.1

温泉が恋しくなる季節となり、年末年始の長期連休を利用させていただいて、毎年恒例の温泉地巡礼旅に行ってまいりました。


とりあえず紅白が始まるまで、まだ巡回したことのなかった別府八湯を巡回。
一部の市営温泉では、年末年始と春休みのみ無料入湯の所もあります。


一番多く通ったのが、伊予の守護 河野氏とゆかりの深い一遍上人が開いたとされる鉄輪(かんなわ)温泉のど真ん中に位置するココです。

とにかく内部が広く、滝のような打たせ湯が20基近く配備され、全身をマッサージできます。中庭を散策するとこのような喉を潤す設備もあります。


別府温泉の源泉温度は90度以上ということで、特産の竹を利用した源泉の冷却方法が知られています。

必ず立ち寄り食するものは大分名物「とり天」。九州味のラーメン店などなど。。



3日ほどマッタリゆったりさせていただきました。
が、さすがに温泉に入りすぎもすぐ眠くなり、「村上海賊の小説本」もなかなか前進しません。。


今回の年末年始は、比較的暖かい日が多く、山間部の道路凍結の心配がないため、元旦の湯始めの後、湯布院を越え、一路天ケ瀬温泉へ。。


ここは別府と違い、今治の鈍川温泉と同じアルカリ性のPH濃度が高い美肌の湯です。

天ケ瀬温泉に到達する手前、大分県玖珠町に入ってきました。


この地は、来島村上家が江戸末期まで豊後森藩1万4千石を切り盛りした所です。
恥ずかしながら私はまだ一度も訪れたことがありません。ネット情報を頼りにしても土地勘がなく、街中を何度も周回することに。。


中世の山城のような地形を頼りに、ナビの地図と照合。
山の中腹にある赤と白の陣旗を目指し、菩提寺「安楽寺」を尋ねました。このあたりはお寺がたくさんあり、2件ほど訪れたところ別のお寺で、詳細な地図がなければ、私ではいとも簡単にたどり着けません。。


ここは改名した「久留島家」初代康親公から十三代通簡公までのお墓が集積されています。ただ順番よく並んでいるわけではないので、解説板がないと誰のお墓かわかりません。玖珠町教育委員会さんの解説板はとても丁寧でわかりやすく設置されていました。

-過去の関連ブログはコチラです。-

◎ 久留島家ゆかりの地、玖珠町からのお客さま
  http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/11/blog-post_16.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて①-豊後森藩主・来島康親-
   http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/11/blog-post_29.html



このお墓から赤と白の陣旗が翻る「つのむれ城」がよく見えます。その旗に刺激され、地元の人の情報を頼りに登城口である末廣神社へ。。

元旦そうそうでしたので、初詣客がたくさん参られていましたね。

まずこの階段に閉口気味。。


途中、立派な穴太積(石垣)や懐かしい石垣の解体調査状況も見ることができました。


やっとのことで本丸へ登頂。結構な面積規模を誇る本丸です。展望台に近寄るとどこかで見たような風景が広がります。

-過去の関連ブログはコチラです。-
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて②-国史跡 角牟礼城跡-
     http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて③-三島神社と栖鳳楼-
     http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/12/blog-post_11.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて④-国指定名勝旧久留島氏庭園-
   http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/01/blog-post_24.html 
  


数年前に、今治市波方町養老という所の発掘調査を行ったのですが、そこも周囲を山に囲まれた谷で地形や風景がどこか似ているんです。

そう今治市波方養老は、来島村上氏の隠居屋敷があったと伝わる「養老館跡」が所在します。もしかするともともとの故郷を偲んで陣屋の選定を行ったのでしょうか。

登城の帰り道、天ケ瀬温泉の湯が恋しくなってきました。。(D)

2014年1月9日木曜日

村上水軍が好きすぎて…

年末に卒業論文の下調べと進路相談?で来館されていた学芸員志望の大学3年生、М子さんから素敵な年賀状が届きました。



身につけたくなるほど、食べたくなるほど村上水軍が好きなのでしょう^^

本人の承諾を得て載せています。転載はご遠慮ください。K

2014年1月7日火曜日

水軍バリィさん 凛々しくお正月バージョン!

2014年 みなさんにとって大切な1年になりますようにお祈り申し上げます。(水軍バリィさん)

本年は、昨年以上の来館者増加が見込まれます。

その訳は…

村上水軍関係の「映画の新公開」・「ベストセラー小説本」などを始め、いつもの年よりもイベントが多く予定されていることから、今まで以上みなさまに博物館へ感心を持っていただける年になる予感がするのです?!





いうことで、みなさんにお越しいただけますようスタッフ一同(水軍バリィさんも含め)努めてまいりますので

村上水軍博物館をよろしくお願いいたします。(D)

2014年1月4日土曜日

しまのわ2014に向けて

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
年末年始はどう過ごされましたか?博物館は12月29日~1月3日まで休館しておりました。もしこの間にご来館いただいたお客様がおられましたら、大変申し訳ございませんでした。

さて2014年がスタートしました!
今年は水軍博物館にとって節目の年、開館10周年を迎えます。

また、なんといってもこのしまなみ海道沿線を舞台に行われる博覧会“しまのわ2014”が開催される年です。忙しくなるような予感・・・といいますか、すでに10月頃から当館でも準備が始まっており、忙しさを実感する日々。年末年始はつかの間の休息でした。はぁ。。


しまのわ2014公式ホームページhttp://www.shimanowa2014.jp/


さて、しまのわ2014に関連した当館の企画展第一弾が3月21日(しまのわ2014の開幕日)から始まります。題して『昭和のみやくぼ写真展』。

村上水軍博物館が多く所蔵している昭和30年代の写真をガイダンスホールに展示します。しまなみ海道に多くの人々が集まるこの機会に、地域の過去を振り返り、現代に活かしながら未来へと伝えていく、そんな試みです。

ただ、私は宮窪生まれではありませんし、昭和30年代はまだこの世に生を受けていません。
よし、では地域のお年寄りの方にお話を聞こう!ということで、昨年末に、宮窪公民館の高齢者教室で、写真を見ながら大いに昔を思い出して語ってもらおう、という、なんとも他力本願な教室?を開きました。


 
 
この企画が意外と好評で、「懐かしかった」「たまにはこんなのもいいねぇ」と喜んでおられました。
そこで教えていただいたことを少し紹介しましょう。
 


 この写真はなんだと思いますか?私が初めてみたときはバナナだと思いました。見えません?
後にこれが大量の“瀬戸貝”だということがわかるのですが、それにしてもすごい量ですね。近年ではその数が激減し、多少の回復傾向は見られるそうですが、めったに口にすることができない宮窪を代表する海の幸。

これは身抜きの作業だそうです。殻はどうするんですか?と尋ねたところ「宮島に持っていって牡蠣の養殖に使うんじゃ」と、思いもよらぬ答え。みなさん「うんうん、そうじゃそうじゃ」と。初めて聞きましたね。


これは今の宮窪小学校あたりから、石切場のある方向。右側に見える大きな建物が海南寺ですね。いまは家が密集していますが、昔は一面田んぼだったそうです。丁場(ちょうば)と呼ばれる大島石の石切場の範囲もまだ部分的。



これは秋祭り。神輿を船に乗せた「お旅」と呼ばれる海上渡御のようすです。祭りに関してはいまもほとんど変わっておらず、いまの若い人達も伝統を受け継いでいるということで、大変嬉しいお話でした。ただ担い手が少なくなっていて、とくにやぐらに乗る子供たちの数が少なくなっているので、寂しいと言われていました。


一方、ほとんどみなさん記憶に残っていなかった写真もあります。これです。“キッチンカー”。
場所は、みなさんが即答で、今のAコープの近くということがわかりました。写真の上の方に伸びているのが戸代鼻。

車には愛媛県と書いてあるので、おそらく県の事業で、料理講習を行っているのだと思います。たくさん人が集まっていますが、そんなに頻繁に行われていなかったのでしょうか。まったくというほど、これに関するエピソードは出ませんでしたね。

このように、昭和30年代の写真を40枚ほど見ていただき、写っている場所やそれに関するエピソードをいろいろ教えていただきました。この内容をもとに、展示の解説を作りたいと思っています。

2014年。忙しい年になりそうです。K