風呂、水ため、秘密の抜け穴、いけす・・・みなさんは何だと思いましたか??
みなさんのご意見は、ぜひ日本遺産「村上海賊」公式Twitterでご確認を^^
これ以外にも、塩づくりの遺構ではないか、巨大な柱があったのでは、などという説も。
一つの穴と、それを取り巻く状況からその用途を推定する・・・面白いですね^^
いまだ定説はありませんが、村上海賊ミュージアムでは、
水ため説を提唱しています。
じつは能島城内には井戸や湧水地は発見されていません。
水は、対岸の大島にある「水場」(あるいは鵜島)から運んだり、最近明らかになってきたのですが、どうやら城内で雨水も溜めて利用していたようです。
海賊たちは、水の確保に苦労していたようですね。
じつは能島城だけではなく、甘崎城、来島城、武志・中途城など、海賊たちの「島の城」の対岸には「水場」という地名が残っていて、水や物資を供給する拠点だと考えられています。
この大穴は斜面の裾にあります。そして、残念ながら崩落してしまっていますが、城内から続く通路もまっすぐこの大穴まで伸びていて、通路を流れた雨水もこの大穴に溜まる仕組みになっていた・・・としたら、とても面白い工夫ですね。
というのも、この大穴。
能島城だけにあるものではなく、来島村上氏の村上吉継の城である「甘崎城」にも存在するのです。
現在は落ち葉で埋まっていてわかりにくいのですが、数メートルしか離れていない場所に2つの大穴があります。満潮ラインよりも上にあり、波浪以外では海水が入らない点も能島城と共通しています。
これが南大穴↓
数メートル離れたところに北大穴↓
20年近く前に行われた発掘調査では、あまりの深さに底まで到達しなかったようです。
そして北大穴は郭から続く城内通路の真下にあるのです。
城と海とをつなぐ場所にある遺構・・・。
通路が水路の役割を果たし、流れた水を溜めたと考えることもできるでしょう。
以上が、私たちが「水ため」説を推している根拠になります。
ただ、まだまだ確証はありません。
その理由は、能島城にあるもう一つの大穴のレプリカ。
これが現地です。
そう、浅いのです。
と言いますか、ほとんど底の部分しか残っていません。ただ、もともとこの浅さではなく、潮汐(潮の満ち引き)による浸食や波浪による崩落しなどを繰り返し、この状態になったと思います。
しかし、この立地からは、とても2m超の深さを想像することはできません。。
掘る途中で止めた?
何か別の使われ方があった??
水ため説に少し自信が持てない理由です。
そして、同じような穴が、岩城島の亀山城の近くにも・・・。これも現状では浅い。
来島村上氏の来島城では、大穴は発見されていませんが、埋め立て地が多いので、その下に埋まっているのかもしれません。
繰り返しになりますが、村上海賊ミュージアムでは能島城の2つの大穴のレプリカを展示しています。いまはまだ「謎の大穴」として展示していますが、この臨時休館中にもう少し踏み込んで解説してみようかな。
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