中央に大きな穴が開いていますね。
さて、これは何でしょう?
という問題ではなく、みなさんにこれは何かを考えていただこう、というのが今回の趣旨。
これは、能島城跡の岩礁部にある「謎の大穴」の「レプリカ」です。
こちらが現地の写真↓
写真ではピンとこないかもしれませんが、穴の入口の大きさは、直径128㎝。
このサイズの大穴が、能島城には、東部海岸と南部海岸に1か所ずつあります。
能島城跡の説明を聞いたことがある、紹介記事を読んだことがある、という方はご存じかと思います。いわゆる「岩礁ピット」ですね。
海岸部に海賊たちがあけたと考えられる「穴」です。
通常は、直径20~40㎝のものが多く、潮間帯と呼ばれる干潮ラインと満潮ラインの間や、満潮ラインのやや上、海に浸からない部分にたくさんあります。
通常の岩礁ピットはこんな感じ↓↓
この岩礁ピットは能島城跡の北側、「船だまり」と呼ばれる場所で、唯一潮の流れが穏やかな海岸にあります。城の船着き場と考えている場所ですが、この穴にマツの木を立てて、船を繋いでいたのでしょう。
次の写真は満潮時です。満潮ラインよりも少し高い位置に、約2mの間隔で3個の岩礁ピットが並んでいます。ここに木を立て、船を繋いでいた姿が想像できますでしょうか。
このように、村上海賊の城にある「岩礁ピット」のメインの使用方法は、「船を繋ぐための柱穴」と考えています。その他にも護岸用や土留め杭穴などがあったのでは?と、最近の研究で指摘されています(・・・指摘しているのは私Kですが^^;)
さて、話を大穴に戻しましょう。通常のものより大きいので「大型岩礁ピット」と呼んでいます。
じつはこの大穴、昔からその存在は知られていましたが、その深さや構造などはまったくわかっていませんでした。昔、ピンポール(金属の細い測量用の棒)を刺してみたことがある、という地元の方の話によると「1m以上はあるよ」とのこと。
平成27年度の調査で、初めて発掘調査が行われ、穴に埋まっていた土を掘り下げました。
すると、深さはなんと2m超。そして、底近くには海側とは反対に横穴が1mほど掘られていることがわかったのです。
写真だとわかりづらいので、断面図を作ってみました↓
この穴は、大潮時の満潮ラインよりも高い位置にあるので、台風の時などは入るかもしれませんが、日常的には海水は入りません。
埋まっていた土からは、「かわらけ」と呼ばれる素焼きの土器の皿がたくさん発見されました。その年代は16世紀のものだとわかったので、つまりこの穴が埋まったのは、16世紀よりも後、ということになります。16世紀はまさに村上海賊の全盛期!
先日紹介した土錘(どすい)も出土していました^^
みなさん、覚えていますか?魚をとるための網につけたおもりです。
さらに、これもまた近年の調査でわかってきたことですが、この大穴の近くから、城内の郭(城の平坦面)へとつづく通路状の遺構が発見されました。
さて、このような状況がわかってきたのですが、ここでみなさんにアンケート。
この穴は何に使われたと思いますか??
① 風呂 ・・・疲れた海賊たちが汗を流し、城へと登っていく!
② 水ため ・・・島ではとくに水が貴重。この穴に船内で使う水などをためた!
③ 秘密の抜け穴 ・・・を掘りかけて途中でやめた。
④ いけす ・・・新鮮な魚を生かしておきます
K