2014年1月16日木曜日

村上水軍ゆかりの地 探索 Vol.2

年末年始にしては比較的暖かく過ごしやすい元旦となり、大分県天ケ瀬温泉でゆっくりしたものの、この日は一路博多を目指しました。

この日のお目当ては、「博多の長浜ラーメン」。

繁華街の福袋も気になりましたが、急遽進路を西から東に変更し、地元漁師さんの産地直送市がTVなどで一躍有名になっている「道の駅 宗像」に夜中着陣。

ここは玄界灘からの季節風が強く吹き抜けるところで、この日も大きくハンドルを取られるほどの横風でした。

本日休館日の看板が気になりましたが、翌日朝になってもあまり人が集まってきませんでした。
結局、この日は休館日のようで、格安の食材GETには至らず、あえなく帰路に。。


広島経由で帰りますので、門司港のクラッシックな建物を横目に、関門トンネルをくぐります。


その昔、よく訪れた街で、門司から下関まで歩いて渡れる海底トンネルがあるところでもあります。


 
 
そのままトンネルを潜り抜け、長州は誉れ高い湯田温泉にGO。

山口県は歴代の首相を多く送り出している土地柄なのか、一般国道が四国では考えられないほど自動車専用道路として整備されています。

私のようにのんびり走りたい人間には、有料高速道路よりもとっても走りやすく安心感があります。

湯田温泉でマッタリした後、
目指すは訪れたことのない長州は周防大島。

ここは能島村上氏の海賊王「村上武吉公」終焉の地です。

地図で見ると細長い島で、実際に走ってみるとかなり距離感を感じるところです。所々ビーチがあり、夏場などは瀬戸内リゾートと化する場所なのでしょう。


下調べもせずに標識や感を頼りに狭い街路をうろうろと散策します。
バス停と「村上武吉公記念碑」の看板を見つけ、やっとのことでたどり着きました。
その場所は内入(うちのにゅう)地区の元正寺に所在します。


前に広がる島は能島に比べるとかなり大きく見えますが、鯛崎島・能島・鵜島となんとなく面影があるところです。

私は宝篋印塔に詳しくありませんが、風格や墓台や墓壁など、歴史を感じさせるしっかりとした造りであることに武吉公の偉大さを痛感させれられました。

その昔、自営の手伝いの傍ら、南北朝から戦国武将好きな父に無理やり連れまわされ、墓巡りした記憶がよみがえってきましたよ。。

このあと、ナビの地図を見ると、島のトン先に陸奥野営展示と書かれている場所があり、行ってみることに。。

高台の上に、多くの乗組員とともに原因不明の爆沈を遂げた帝国海軍の戦艦陸奥の引き揚げ部品が野外展示されていました。艦首・副砲・スクリューなど。


職業柄、鉄そのものを保存処理等行っているのか心配してしまいますが、純度の高い「陸奥鉄」なので心配は無用なのかもしれませんね。。

 
高台から下を眺めると資料館らしき建物が…
夕方近く、閉館時間ギリギリ前に飛び込み入館しました。時間はあまりありませんでしたが、じっくり見てみたい内容のものが多く展示されています。


野外には、海上自衛隊の退役飛行艇が展示されています。


実は私、レシプロエンジンを有する飛行機が大好きで、しかも4発タイプのものをこれだけ近くで舐めるように見渡すことができるのは初めて。大変感動しました。


特に水陸両用の飛行艇は大好きで、日が暮れるまでずいぶん眺めていました。


ここは日本一小さな「なぎさ水族館」や野外キャンプ地もあり、3組の家族連れやライダーの方が颯爽とテントを張り、通が好む冬キャンプを堪能されていました。

今後の進路をナビと対話すると
 
 
自宅のある四国まで、目と鼻の先まで近づいていることに気が付きます。
 
勝手気ままで計画性のない旅好きな私は、当初予定していた広島周り(しまなみ海道経由)の帰路をあきらめ、より楽な海路を選びました。
 
近くの伊保田という港から、一日4便ほど愛媛県松山市の三津浜港までカーフェリーが就航していることをネットを頼りに乗船予約。
 
 
この船は山口県柳井市から途中、寄港する船のようで、乗船時はバックで侵入します。(バックでの乗船は初めてです)。
 
最短ルートで愛媛に帰ってきましたが三津浜は武吉公因縁の地。なんとも不思議な気分です。
 
新年になって当水軍博物館内を改めて見回ってみると、武吉公の次男 村上景親公の墓地も同じ、周防大島に所在することを知ってしまい、ろくに下調べ(勉強)をせずに気ままな旅を続けてしまった自分に対する後悔の念がありました。
 
周防大島は、伊予大島の約3倍の大きさがあるようで、次回訪れた時は毛利家とゆかりの深い防府市内の散策も含め、より計画的な旅にしたいと思います。
 
今年の年末年始も休みが取れれば、温泉地巡業と史跡巡りは行ってみたいものです。(D)