改めて、昭和51年~平成29年の降水量と平成30年7月豪雨時を比較した表を紹介します。
少なくとも過去42年間においては経験したことのない豪雨が「切岸」やその役割を果たした天然の急斜面に長時間降り注いだことが、斜面崩落の最大要因であることを、前回のブログで紹介しました。
さて、平成25年度以降、能島城は台風時の倒木や樹木の根による遺構の破壊の防止、また史跡としての景観整備の観点から、専門家の指導を受けながら、斜面部の高木の伐採を行ってきました。
しかし、その伐採が斜面崩落を誘発したのではないか、という意見を聞くことがあります。確かに、能島城跡の被災状況だけを見ると、その可能性を考えてしまいます。それを検証するためには、そこで近隣の島々の海際斜面の被災状況を確認することにしました。
伯方島の被災状況 |
同じく伯方島 |
すると、上の写真のように、樹木が繁茂している斜面でも、大規模な斜面崩落が発生していることがわかります。能島城跡においても、斜面に樹木があった鯛崎島でも崩落が生じていることから、斜面部の樹木伐採と被災との因果関係を積極的に認めることはできませんでした。
また、能島城跡の地盤は脆い花崗岩の岩盤およびその風化層で、その上に比較的浅く表土が堆積している状態であることが過去の発掘調査で確認されていました。
岩盤を削ったり、一部に盛土をして城を形作っています。戦国時代には樹木はほとんどなく、岩盤や地山がむき出しの場所も多い状態だったと推測されます。「切岸」に加えて、城特有の地盤も斜面崩落の一つの要因になったと考えられます。
さらに、郭(城の平坦面)の現状は、水平ではなく、中央が高く縁辺が低い地形になっています。郭Ⅰ斜面と鯛崎島、そして船だまり斜面の一部(下図の①)は顕著な谷(凹地形)となっており、そこに雨が集まります。また、浸透できず飽和状態となった雨水も地表面を流れ、これらの凹地形に集水されます。その証拠に、表面の雑草が同じ方向に倒れていました。
じつは、顕著な凹地形ではないところも崩落しています。
よく観察すると、縁辺には樹木(ソメイヨシノ)が立ち並んでおり、その根元が盛り上がることによって、樹木間が谷状になっています。表面を流出した雨水も、この谷部分に集まったと考えられます。
このように、許容量を超える雨水が分散されずに特定の場所に集中してしまった結果、大規模な斜面崩落が引き起こされたと考えられています。
(以上、展示パネルより)
現在は応急措置として、郭(くるわ)の縁辺に土のうを並べて(もちろん、瀬戸内海国立公園特別地域なので環境省の許可を得ています)、雨水が集中して斜面部に流出しないようにコントロールしています。
次回は、復旧工事の前に実施した発掘調査について紹介します。
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