2018年8月2日木曜日
海賊をやめた能島村上氏が見た海~企画展「海賊から「水軍」、そして船手へ」~
(撮影:学芸員O)
早速ですが、問題です!
この海は、どこでしょうか?
ヒントは、パ・リーグの球団の球団歌に出てくる海です!
(千葉か?神戸か?それとも?)
答えは、
ソ
フ
ト
バ
ン
ク
ホ
―
ク
ス
玄界灘
(福岡)
です!
なぜ、玄界灘なのか!?
海賊禁止令を出された時期に、
能島村上氏が移り住んだのが、
玄界灘を臨む
加布里(かふり、福岡県糸島市)
とされています。
写真は、加布里から玄界灘を撮影したものです。
能島村上氏は、独自の海上での活動が禁止された
豊臣秀吉の時代に、
瀬戸内海を離れることになりますが、
能島村上氏の行くところには、
玄界灘や日本海など、
いつも海がありました。
この写真を撮ったところの近くには、牡蠣小屋がありました!
瀬戸内海を離れても能島村上氏は、
海と関わり続けます。
私がこの写真を撮った時は、
写真をご覧いただければ分かりますように、
丁度夕日が沈むころで、その風景が、
瀬戸内海を追われた能島村上氏の姿と重なるようで、
この海を能島村上氏も見ていたのだと思うと、
涙腺がほぼ崩壊しました。
(ドボォォォォーーーーー!!!!!)
それでも能島村上は海で生きた…
そのことを玄界灘で確かに感じました。
あの時、玄界灘で感じたことを、
今回の企画展にもふんだんに取り入れています!!
学芸員 O