久しぶりに休みが重なったため、自転車で実家に立ち寄り、番犬「カイ」のお散歩。
川沿いの散歩コースをそれ、温泉がある山の裏側方向へ。
とついでに、思いつきの中世城館めぐり。
愛媛県内には「〇ヶ森城」という城が数多く存在しますが、比較的規模の大きな遺構が残る
「〇ヶ森城跡」へ約30年ぶりに登城チャレンジ!!
昔といっても30年前は普通に登れたところの道が。。ところどころ「いのしし」の痕跡があることからこちら裏コースからの登城は断念。
正面から攻め込むこととし、今回は、いつものお散歩コースからややそれ、近くのお寺を周回の後、ミカン山を回るコースに変更。
実はこのミカン山。昭和30~40年代の農業構造改善によって、本丸近くの井戸から城外に脱出できたと伝わる「抜け道」が閉じ込められたと聞いています。父親が幼少の頃、その狭いトンネルをくぐっていったものの、途中で行き止まりだったよう。
城の真正面(平野側から攻める方面)に抜け道があったというのも?
よくある抜け道伝説でしょうか。
こちらの正面側も「いのしし」の痕跡が多く確認できました。もしもの時の番犬カイくん。期待がかかります。
小学生の頃、毎日のように遊びまわっていた里山も、今では「いのしし」と「さる」の山になりかけているよう。
とりあえず母の忠告に従い、「いのしし罠」と「さるの集団」に注意し、ミカン山から2ノ丸めがけて突撃開始。
途中、番犬カイはいのししの罠におびえるものの、若の後ろで補佐。急こう配の切岸と竪堀?は上がりにくい上、谷部には湧水、いのしし泥濘に足元を奪われ、若は途中で...号泣。。
なんとか登り詰めると、小学生の時の記憶がよみがえりましたよ。
ここは、県内でも比較的規模の大きな遺構が残っている名所。市指定の史跡だけというのはもったいないなぁ。。
ちょうど番犬カイくんの後ろには丸い円形の井戸枠のようなものが。。堀切の底部にあたります。
上の写真は二の丸をめぐる土塁。能島城には見られない防御施設です。
特に二の丸は広く大きな樹もあまりなく、比較的広いスペースが広がっています。
二の丸から本丸にかけての堀切。
小学生の時には、立派で大きく見えた石積も。もっと大きく高くあったように思うのですが。。崩れちゃったかな??
石積みを横切ると本丸へ。本丸虎口か?
本丸にも土塁は巡ってます。
その昔、この上で走り回れるほど樹が少なかったのですが、今ではややジャングル状態。古い水道施設タンクがそびえたちます。
この尾根の先には「片山3号墳」なる竪穴石棺墓が調査後、そのままになっているのを知っていたので、散策後、そのまま下山をしようと試みますが、ジャングル状態で断念。
途中、林道のようなところを確認。結局、初め登ってきた菩提寺の裏側斜面。私はこの場所を知りませんでした。
ここで遊んでいたころは雑木林で、植林されておらず、その後のスギ林。
無事何事もなく下山。初めは号泣し、あきらめようとした若。次はこちらのスギ林から行きたい様子。私もそのつもりです。。
この日は涼しく軽装でしたが、マダニにかまれないよう長袖・長ズボン・軍手に羅針盤、登山用の靴などは最低限必要ですね。
また「マムシ」や「いのしし」、「さる」には注意が必要です。さらに狩猟の解禁期間には誤射防止のため、片手に「ラジオ」と番犬は必修のようです。(D)