2013年5月22日水曜日

『東寺百合文書』と村上水軍



京都市の東寺に伝わる国宝『東寺百合文書』が、2015年の登録を目指して、ユネスコの世界「記憶遺産」に推薦される、という今日の新聞記事を読みました。

この文書には、中世の時代に東寺の荘園であった「弓削島荘」に関する書状が含まれていることもあり、とくに上島町とゆかりの深い史料として有名です。新聞記事によると、塩文化を活かしたまちづくりに取り組む地元ではこの動きを歓迎されているそうですね。

『東寺百合文書』
 じつは、村上水軍の歴史を紐解くうえでもとても大切な古文書です。といいますのも、現在確認されている村上氏の存在を示す最も古い古文書が、この『東寺百合文書』の中にあるからなのです。

それは、1349(貞和5)年、東寺から弓削島へ派遣された使節にかかる経費を記した「伊予国弓削島荘串方并鯨方散用状」という書状で、その中に次のような記されています。

「一 野嶋酒肴料 三貫文」

これは一部ですが、全体の内容からは、使節の航海の安全を確保するために、「野嶋」に酒肴料が支払われたということが読み取れます。そして、この「野嶋」という人物がつまり、能島(のしま)村上氏である、と考えられているのです。

村上水軍研究において、この古文書の価値は単に能島村上氏の存在を示す最古の史料であるということにとどまりません。この頃にはすでに使節の船を警固する働きをしていることもわかる大変貴重な史料と言えます。

最後に。
源平の合戦と村上氏の関係を知りたい、という問い合わせがよくあるのですが、いまご紹介したように、もっとも古い史料は1349(貞和5)年。確かな記録に基づくならば、南北朝時代よりも前の村上水軍の歴史を語ることは、いまの段階ではとても難しいのです。(K)