昔は9区間で大島一周近くを駆けめぐるコースだったようですが、参加人数の減少などもあり、近年は、大島の北半分を中心とした、約30㎞、7区間となっています。
博物館のKとTもスタッフとして大会のお手伝いしました。
午前11時。選手たちは石文化運動公園を勢いよくスタートしていきました。
参加チームは44チーム。一般の部、高校の部、中学校の部に分かれて順位を競います。
6区では村上水軍博物館の横を選手が駆け抜けていきます。博物館のお客さんも応援してくださったようです。
主催者から提供いただいた結果は以下の通りです。
一般の部(23チーム)
1位 闘走駅伝クラブA
2位 今治クラブA
3位 鬼心陸走会A
高校の部(4チーム)
1位 如水館高等学校A
2位 如水館高等学校B
3位 如水館クラブ
中学校の部(17チーム)
1位 三原市立本郷中学校A
2位 菊間中学校野球部A
3位 三原市立第三中学校A
地元大島の宮窪中学校、吉海中学校に対しては、とくに沿道の声援が大きかったように感じました。宮窪中学校は中学部で11位でした。
正月の箱根駅伝を見ていると、CMに入る度に、昔の映像が流れていました。大会の歴史をたどる試みは良いなと感じたのをきっかけに、当館が所蔵する古いアルバムをめくり、大島一周駅伝の写真を探してみました。調べてみると、昭和30年代の大島一周駅伝の写真がありました。少しだけ紹介します。
第5回大会、小学生の部。☆不許転載 |
上の写真は、第5回大会(昭和34年頃)のようすです。小学生の部があったようで、スタートの構えをしています。 裸足かな?と思ってよくみると、わらじをはいているようです。この写真ではわかり難いのですが、選手の胸には「友浦」とか「余所国・早川」などと書いてあり、小学校対抗で健脚を競ったようです。それにしても、ここはどこなのでしょうか。古老に聞いてみないといけませんね。
→さっそく教えていただきました。友浦小学校のようです。午前中は小学生の部だったそうです。
昭和30年代後半。ゴールのようす。☆不許転載 |
こちらは昭和30年代後半のアルバムに入っていた写真です。胸には宮窪青年と書いてあります。地元宮窪町の青年団の方でしょうか。
→この写真はゴールの浜地区、つまり漁港に面した県道49沿いだそうです。
今回探してみると、昭和30年代の古い写真が意外と多く残っていました。大会にあわせて写真展などを行うと、より一層盛り上がるかもしれませんね。(K)