2012年12月11日火曜日

久留島家ゆかりの地を訪ねて③-三島神社と栖鳳楼-

この立派な石垣が角牟礼城ですか?数年前、初めて玖珠町森をおとずれたとき、ご案内いただいた方にそう尋ねたような気がします。


まるで城の石垣
 
角埋山の麓にある、城と見間違えるほどの立派な石垣。今治市大三島に鎮座する大山衹神社を勧請した、三島神社(現在は他の神社と合併して末廣神社)の石垣なのです。


末廣神社の御神殿を覆う鞘堂(大分県指定有形文化財)

総欅(けやき)造りの立派な御神殿。鞘堂で覆われており、通常は見ることはできませんが、大分県有形文化財に指定されています。

さて、三島神社を現在の姿に改築を行ったのは、8代森藩主の久留島通嘉(くるしまみちひろ)と言われています。小大名であったため城を持つことが許されなかった森藩。城持ち大名に、という代々藩主の念願を、別の形で通嘉が実現した、とも言われています。


栖鳳楼(大分県指定有形文化財、玖珠町教育委員会提供)
平成12年から3年かけて保存修理が行われました。

三島神社の境内には、通嘉が1832(天保3)年に整備したとされる栖鳳楼(せいほうろう)があります。2階建てですが、1階から2階へと通した柱がない、また1階の屋根は瓦葺きなのに、2階は杉皮葺き、といったように、珍しい構造の建築物だということが保存修理工事によってわかりました。また天井裏には、断熱のためか籾殻が敷き詰められていたようで、修理時には忠実にそれが再現されました。


2階のようす

「紅葉の御茶屋」とも呼ばれ、茶会や迎賓に使用されたようです。2階からは眼下に庭園、そして城下の面影が残る家並み、さらに遠くは九重連山を見渡すことができます。

栖鳳楼庭園(玖珠町教育委員会提供)

2階から城下、九重連山方面を望む(玖珠町教育委員会提供)


今回の特別展では、末廣神社所蔵の「伝秀吉より拝領の具足下着」をお借りしています。

じつは、借用交渉の場として宮司さんがセッティングしてくださったのは、この栖鳳楼でした。ご快諾をいただき早々に交渉は成立。その後は、お茶をいただきながら、景色に見とれ、久留島家ゆかりの文化財談義に花が咲きました。


雪化粧が見られる季節を迎えました(玖珠町教育委員会提供)

森藩陣屋がおかれた玖珠町森には8代藩主通嘉が残した文化財が多く残っています。
三島神社の土台づくりから栖鳳楼の完成までかかった歳月は約20年。
通嘉が生涯をかけたこの大事業の裏には、厳しい財政事情の中で造営に携わった人びとの苦しみがあったのでしょう。栖鳳楼で景色を見ながら、ふとそんなことも考えました。

さらにつづく・・・。(K)