2013年1月31日木曜日

“せんどうさん”を募集します

船頭多くして、船、山に登る

船頭が多いと、物事が決まらなかったり、思ってもみない方向へ進んでしまうこと、だそうです。この場合は、あまり良い意味ではないようですね。

しかし、私たちは、“せんどうさん”という言葉を、あえてミュージアム・パートナー(ボランティアグループ)の愛称にしています。それには理由があるのです。

せんどうさんの活動は、まずは個人個人が楽しむため、学ぶためのもので、その結果として、博物館の成長や、何よりも地域の歴史・文化の継承につながっていって欲しい、そう考えたからなのです。

また、船で島から島へ、川岸から川岸へ渡るときには、船頭の技術と経験が必要となります。
博物館の伝えたいことを、お客さんや地域のみなさんに、地元の言葉で親しみやすく伝えてくれる、博物館とお客さんのかけはしに、そんな願いを“せんどうさん”に込めたのです。

現在の会員数は44名。とくに活動日や時間が決まっているわけではありません。暇なとき、気が向いたとき、博物館が助けを求めたとき、そんな時にニコニコしながらやってきて、楽しく活動されています。何でも自由に、というわけではなく、もちろん学芸員をはじめとした館のスタッフと相談しながら、さまざまな活動を行います。以下は活動の例です。


こんなん作ってみたんよ。飾ってもよかろか。
地元の言葉で親しみやすく。これはコソンホウゆうてね・・・。

家で育てた花を飾ろうわいね。

おにいちゃん、よう似おうとるよ。

水軍レース前やけん、きれいにしとかないかんわい。
 
地元の小学生と土器焼きの窯づくり。道具はこうやって使うんよ。

年1回の研修旅行。
昨年度は能島城でよく出土する備前焼などを勉強をしました。
これは、閑谷学校でボランティアさんの説明を聞いているようすです。


さて、平成25年度のミュージアム・パートナーの募集を開始いたします。応募期間は、2月5日(火)から3月10日(日)までです。くわしくは、このHPのイベント&トピックスに掲載しています。興味のある方は、まずはお気軽に博物館までお電話ください(電話0897-74-1065)。(K)

2013年1月29日火曜日

能島城跡出土品のその後・・



村上水軍博物館では毎年能島城跡の発掘調査を実施しています。

そして、その調査成果の速報的な一般公開の場として、

昨年も3月に郭Ⅱ(二之丸)の現地説明会を開催しました。


雨中の発掘調査説明会(2012年3月4日能島城跡二之丸にて)


それから数か月経ったいま、
その時の調査の本格的な整理作業・報告書づくりが、ピークを迎えています。

その舞台裏を少しだけお見せしたいと思います!

(リアルタイムの進行状況とは合わないと思います・・)


今回は誰もが気になる…!?
調査で出土した出土品のその後について・・・


おおまかな工程については以下の通りです!


①現地で写真や図面測量をおこなった出土品は、
 それぞれ出土した場所や日にちなどの情報を記入したラベルをつけて、
 博物館に持ち帰ります。

②持ち帰ったばかりの出土品はまだ土が付いた状態ですので、
 人の手によって1点1点ていねいにやさしく水洗いをします。

③ラベルを付けてかごに入れて、自然乾燥します。

④ラベルの中身(遺跡名、出土地点情報、日付)を出土品に書き込みます。
 これを注記といいます。
 極細の筆でポスターカラーの白色を使って1点1点書き込みます。(写真参照)

⑤注記した出土品を出土地点、さらに種類ごとに広げて、破片の接合をします。
 パズルと違って必ずパーツがそろっているわけではないので、
 どこまで粘るかの見極めが大切です。

出土品(かわらけ)を広げて接合できるものを探す


接着剤と洗濯ばさみで接合します



このあと、不足部分を石膏などで補完することもあります。

土の中でバラバラになりながら数百年眠っていた当時の生活の道具たちは、
こうして、元のかたちに近づけて復元されていくのです。

作業はごく単純に見えますが・・

出土した場所を明確に記録することと、
出土品を傷つけないように扱っていくことなど、
細心の注意が必要になります。

博物館で展示している状態の出土品も、
このような工程を経て、出来上がっていきます。

でも、まだまだ、出土品のかたちを整えただけでは
報告書を書いたり、展示することはできません。

ここまではその前提の作業に過ぎないのです。


出土品の図面を作り、写真を撮影し記録化すると同時に、
その由来や、年代など、まだまだ調べることが残されています。

いままさにその作業に取り掛かっているところです。

普段は見られない・・
こういったことも博物館のお仕事の一つです。(S)




2013年1月27日日曜日

小さなかけらから想像する

昨日は、休日を利用して、愛媛県美術館の企画展「出光美術館所蔵 文人画名品展」を鑑賞しました。

池大雅、与謝蕪村、富岡鉄斎など日本文人画の名作の鑑賞はもちろんのこと、私がこの企画展を見たかった最大の目的は、特別出品として初めて里帰りした、伝伊予松前城出土の重要美術品“青白磁渦文梅瓶”を見ることでした。同展のチラシなどに小さく載っている青白い瓶をご覧になられたことがありませんか・・・そう、その瓶です。

なぜ見たかったか。
展示解説でも紹介していただいていましたが、この青白磁渦文梅瓶の小さな破片が、能島城でも3点ほど出土しているからです(写真はその一つ)。完全な形を見ておくことで、小さなかけらから、その形を想像することができます。しっかり目に焼き付けてきました。与謝蕪村や富岡鉄斎の名作を何十分も鑑賞されている方がいらっしゃいましたが、私も負けずにこの梅瓶を15分も見てました・・・。

梅瓶(めいぴん)は、梅枝を飾るのにふさわしい形をしていることから、このように呼ばれるそうです。中国のもので、南宋~元の時代の作と考えられています。日本でいうと、鎌倉時代頃です。

能島城跡の南部平坦地から出土した“青白磁渦文梅瓶”の破片。
青白い色調で、渦のような文様が刻まれています。
伝松前城出土の梅瓶は、もっと光沢があり、緻密で、
渦文は数条の細い線で描かれていました。☆不許転載

これが、少し時代の下った室町時代の遺跡からも出土します。能島城や湯築城などがそうです。なぜでしょうか。おそらく、高い骨董的な価値があって、大名や海賊衆がそれを大事に持っていたんだと考えられています。とても貴重なものだったのですが、能島村上氏もそれを手に入れて、能島城に飾っていたのでしょう。

企画展「出光美術館所蔵 文人画名品展」は、今日(1月27日)までです。お近くの方はぜひご覧になってください。

ちなみに、昨日の午後は、愛媛大学で開催された第13回アジア歴史講演会「考古学における新年代論の諸問題」を聞きに行ってきました。最近は発掘調査報告書の執筆に追われていて、デスクワークが多かったので、勉強の一環ではありますが、刺激的な一日でした。(K)

2013年1月26日土曜日

+6.7ノット

潮汐表を見ると、満潮、干潮の時間のほかに、「最強」の項目があります。

つまり、その日のうちで一番潮流の速い時間(目安)が示されているのです。
そして、+は満ち潮、-は引き潮を表しています。

先日、学生さんを能島城にご案内した話をしましたが、その日の最強が+6.7ノット。
1ノットが1.852㎞/hですので、6.7ノットは時速約12.4mということになります。

その潮の流れがこの写真です。



潮汐表をめくってみると、最強が10ノット前後になる日もありますが、6.7ノットでもこの迫力です。

能島城周囲の潮流のベストタイムは、潮流体験船を運営する「能島水軍」(宮窪町漁協)さんのHPで見ることができます。http://www.noshima.jp/besttime
最強でも2ノット、なんて日もありますから、要チェックですね。ぜひ一度体験してみてください。


 
日本三大急潮とも称される来島海峡でも観潮船、体験船が出ています。
宮窪瀬戸とはまた表情の異なる潮流を体験することができます。

☆株式会社しまなみさんの来島海峡急流観潮船↓

☆大浜漁協さんの潮流体験(4~10月)。 魚釣りもできるそうです。
お問い合わせ、ご予約は、電話:0898-23-3737まで。

運休日や料金など、くわしくは、能島水軍さん、しまなみさん、大浜漁協さんに直接お問い合わせください。(K) 

2013年1月24日木曜日

久留島家ゆかりの地を訪ねて④-国指定名勝旧久留島氏庭園-

久しぶりに久留島家ゆかりの地を訪ねてを更新します。第4弾です。

以前紹介しました玖珠町森の末廣神社の周辺には、3カ所の立派な庭園があります。
いずれも末廣山の地形や眺望を利用して配置されていて、園路によってつながれた回遊式の庭園と考えられています。

平成24年1月24日、国の名勝に指定されました。


これは、末廣山の斜面と裾を利用した、陣屋の御殿に接する「藩主御殿庭園」の遠景です。枯瀧を中心に、バランスよく巨石が使われているそうです。


これは以前も紹介した「栖鳳楼庭園」。枯山水の石組と、その背後にある景色(借景)が組み合わさっているそうです。




最後は、「清水御門前庭」。末廣山西側の清水御門前の堀の一部を庭園化しているそうで、横からだけではなく、上から(御茶屋)からの鑑賞も考慮している、と解説されていました。

私は庭園に関してはまったくの素人ですが、そんな私でも藩主御殿庭園に配された巨石は迫力があり、また栖鳳楼から眺める景色と庭園はとてもすばらしいと感じました。ぜひ現地で一度ご覧ください。末廣神社の宮司さんのお話だと、やはり秋が一番の見ごろだそうです。

なお、この文章は、現地に設置してある解説板を参考に書きました。また、写真はすべて、玖珠町教育委員会からご提供いただき、許可を得て使用しております。転載はご遠慮ください。(K)

2013年1月23日水曜日

達筆すぎて読めんわい

以前も告白しました通り、私は古文書が読めません。しかし、地道に勉強をすれば、少しずつ読めるようになるそうです。今年こそは!と思いながら、はや何年過ぎたでしょうか・・・。

そんな腰の重い私を尻目に、当館のせんどうさん(当館ミュージアム・パートナーの愛称)たち数名は、2週間に1回、博物館に集まり、自主的に古文書の勉強会を行っています。

「達筆すぎて読めんわい。」
そう言って笑いながらも、熱心に勉強されています。


この勉強会は、当館のスタッフで唯一古文書が読める田中顧問を講師として、古文書解読の基礎を楽しく学ぼうという試みで、昨年4月から始めました。


将来的には、当館保管の『村上家文書』のうち、まだ未解読の史料が多い、近世文書の解読などにもチャレンジしたい、と意気込んでおられます。私も負けずに頑張らなければいけませんね。

さて、古文書の勉強会に関連して、私がとても感銘を受けたエピソードを一つ紹介したいと思います。

東日本大震災で甚大な被害を受けた地域のひとつ、陸前高田市。市立図書館には、岩手県指定文化財の『吉田家文書』(江戸時代)が保管されていて、地元の陸前高田古文書研究会の方々が20年以上もかけて、地道にその解読を行ってきたそうです。全95冊のうち、93冊まで解読を終え、あと少しで完了でした。

3月11日。図書館は津波で水没し、図書のほとんどは流出してしまったそうです。重要書庫に保管されていた『吉田家文書』の原本は、水に浸かりながらも奇跡的に流出を免れ、レスキューのみなさんの手によって救出されました。古文書を見つけた瞬間、会のメンバーは涙を流して文書を抱きかかえた、とある新聞に書いてありました。

厳しい現実もあったそうです。解読に携わった方のうち3人が津波で亡くなり、また20年以上かけて解読し、完成間近だった読み下し文のほとんどが流出してしまったのです。

しかし私が感銘を受けたのは、この厳しい状況でありながら、最初から解読をやり直すことを即座に決意されたことでした。これまでやってきたことを放り出すわけにはいかない、と。
地域の歴史を大事にして、後世に伝えたい、後継者を育てたい、そんな強い思いがあって、もう一度最初から、という道を迷わず選ばれたのだと思います。

陸前高田市のように、地域の歴史や文化財を愛し、伝えようとする人たちが増えるために、博物館は何をしたら良いのでしょうか。当館のせんどうさんたちが行っているこの勉強会が手がかりを与えてくれるかもしれません。(K)


☆この記事は、当時の新聞・テレビ等の報道や下記の本などを読んで書いています。

【参考文献】
国立歴史民俗博物館編2012『被災地の博物館に聞く 東日本大震災と歴史・文化資料』吉川弘文館

2013年1月22日火曜日

水軍の島を紹介

1月16日の読売新聞(夕刊・関西版)で、能島城跡が紹介されました。

紙面を大きくとっていただき、能島城、村上水軍博物館、カレイ山展望公園、潮流体験、法楽焼など、村上水軍に関わる島の魅力が紹介されています。この記事がきっかけとなって、多くの方々にお越しいただければありがたいものです。

くわしくは、ヨミウリ・オンライン「今治・水軍の島」をご覧ください。↓
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1308203483172_02/news/20130116-OYT8T00842.htm

ヨミウリ・オンラインのトップページ↓
http://www.yomiuri.co.jp/
(K)

☆ホームページのリンクは読売新聞社から特別に許可を得ています。
☆ヨミウリ・オンラインの記事は、一定期間が過ぎますと削除されますので、あらかじめご了承ください。

2013年1月18日金曜日

学生さんと能島へ

アメリカからT大学へ留学中の大学院生Mさんと能島城を散策しました。


Mさんは、中世瀬戸内海の研究をされているそうで、来月まで日本で勉強をされるそうです。
中世の瀬戸内海を語る上では、海賊史、とりわけ村上水軍の研究は欠かすことのできないということで、今回、当館に調査に来られました。

実際に能島城跡に上陸し、村上水軍の歴史を体感したいということだったので、私も同行し、これまでの発掘調査成果などを踏まえて、ご案内させていただきました。


能島城跡の最大の特徴は海岸部にあると言っても過言ではありません。
来島城散策の記事でも説明しましたが、岩礁ピットや海蝕テラスが能島城跡でも多く残っています。Mさんも、やはり海岸の遺構に興味を示されたようでした。


能島城跡をひと通り散策した後は、潮流体験船に乗って海上から見学しました。
潮汐表を見て、この日の最強の時間に見学を設定しましたので、約6ノット(時速約11km)の速さで流れる満ち潮を体験していただくことができました。能島城の散策、潮流体験には、潮汐表は欠かせませんね。

能島東側(矢櫃の下)の潮流。満ち潮、約6ノット。

Mさんは、日本語が堪能で、能島城に関する論文などをかなり勉強してこられたようですが、実際に現地を訪れてはじめて実感できたこと、わかったことが多かったとおっしゃってました。

来月には帰国されるそうですが、良い博士論文を書いていただき、その成果をいつか教えてくださいね、とお願いしました。

今回のように、研究の目的で能島城を散策したいという学生さんがおられましたら、気軽にご相談ください。業務の都合によりますが、ご希望があれば学芸員が同行し、ご案内させていただくこともできます。(K)


ちなみに、能島城跡へは定期船はございませんが、上陸は特に制限されていません。
事前の相談が必要ですが、渡船業者や宮窪町漁協が運営する潮流体験船で上陸することもできます。もちろん渡船代が必要になります。

ただし、能島城跡は国指定史跡であるとともに、瀬戸内海国立公園特別区域に位置しますので、火気厳禁はもちろんのこと、ゴミの放置や、史跡の損壊につながるような行為はおやめいただくよう、管理団体(今治市)としてお願いしております。

2013年1月16日水曜日

第59回大島一周駅伝大会

1月13日(日)、毎年恒例の大島一周駅伝が開催されました(主催:今治市教育委員会・今治市体育協会宮窪支部・今治市体育協会吉海支部)。今年で59回目。つまり、59年間続いている伝統ある大会なのです。

昔は9区間で大島一周近くを駆けめぐるコースだったようですが、参加人数の減少などもあり、近年は、大島の北半分を中心とした、約30㎞、7区間となっています。

博物館のKとTもスタッフとして大会のお手伝いしました。

午前11時。選手たちは石文化運動公園を勢いよくスタートしていきました。


参加チームは44チーム。一般の部、高校の部、中学校の部に分かれて順位を競います。



6区では村上水軍博物館の横を選手が駆け抜けていきます。博物館のお客さんも応援してくださったようです。

主催者から提供いただいた結果は以下の通りです。

一般の部(23チーム)
1位 闘走駅伝クラブA
2位 今治クラブA
3位 鬼心陸走会A

高校の部(4チーム)
1位 如水館高等学校A
2位 如水館高等学校B
3位 如水館クラブ

中学校の部(17チーム)
1位 三原市立本郷中学校A
2位 菊間中学校野球部A
3位 三原市立第三中学校A

地元大島の宮窪中学校、吉海中学校に対しては、とくに沿道の声援が大きかったように感じました。宮窪中学校は中学部で11位でした。


正月の箱根駅伝を見ていると、CMに入る度に、昔の映像が流れていました。大会の歴史をたどる試みは良いなと感じたのをきっかけに、当館が所蔵する古いアルバムをめくり、大島一周駅伝の写真を探してみました。調べてみると、昭和30年代の大島一周駅伝の写真がありました。少しだけ紹介します。


第5回大会、小学生の部。☆不許転載

上の写真は、第5回大会(昭和34年頃)のようすです。小学生の部があったようで、スタートの構えをしています。 裸足かな?と思ってよくみると、わらじをはいているようです。この写真ではわかり難いのですが、選手の胸には「友浦」とか「余所国・早川」などと書いてあり、小学校対抗で健脚を競ったようです。それにしても、ここはどこなのでしょうか。古老に聞いてみないといけませんね。
→さっそく教えていただきました。友浦小学校のようです。午前中は小学生の部だったそうです。

昭和30年代後半。ゴールのようす。☆不許転載

こちらは昭和30年代後半のアルバムに入っていた写真です。胸には宮窪青年と書いてあります。地元宮窪町の青年団の方でしょうか。
→この写真はゴールの浜地区、つまり漁港に面した県道49沿いだそうです。

今回探してみると、昭和30年代の古い写真が意外と多く残っていました。大会にあわせて写真展などを行うと、より一層盛り上がるかもしれませんね。(K)


2013年1月15日火曜日

返却の旅

先日、特別展でお借りしていた資料の返却に行ってきました。

大変貴重な資料ですので、私がカバンに入れて電車で行くわけにも、車に積んでお届けするわけにも行きません。


そこで梱包、輸送は専門業者にお任せします。ただ、任せっぱなしではなく、私は担当者としてすべての行程に責任を持って立ち会うことになります。資料の状態や取扱い方を一番知っているのは学芸員ですので、資料の弱いところを的確に伝えて、梱包が適切かどうかをチェックし、積込み、輸送中、すべてにおいて細心の注意を払わなければいけません。


ご覧のとおり、厳重に梱包が終了し、美術品輸送車に積み込みます。
さすがはプロですね。資料の状態に応じた的確な梱包方法、梱包準備から積込みまでの手際の良さは、私も大変勉強になります。

今回は大分方面と東京方面の返却でした。私は、美術品輸送車に同乗し、資料と一緒に旅をすることになりました。
  

まずは、大分県玖珠町に到着。まず、久留島氏の肖像画をお届けしました。


玄関先で、「お届けに参りました。確認のサインを。」というわけにはいきません。
資料を広げて、破損などは無いかを所蔵者の方と一緒に確認をします。
その時は、「ここの破れはもともとなかったと思う。」、「いや、前からあったはずですよ。」、「いやいやそんなことはない。」
なんて、話にならないように、借用時に資料の状態を記録した「借用調書」と見比べながらの確認になります。この資料調書の作成は返却時のトラブルを避けるためということもありますが、何よりも、資料の現状を学芸員と所蔵者が一緒に確認をし、それを記録しておくという意味で、大変重要な作業になります。

大分県玖珠町からお借りした資料は、破損などもなく、無事に返却をすることができました。

大分から一度村上水軍博物館に帰り、次は東京方面への返却に向かいます。
愛媛から東京へは、通常、新幹線や飛行機で行くことが多いのですが、資料返却の際は、やはり美術品輸送車に同乗し、資料と一緒に移動することになります。

愛媛から東京まで、12~13時間の長旅ですが、気を抜くことはできません。
心身ともにとても疲れましたが、そんな疲れを忘れる瞬間もありました。



雪化粧の富士山。東名高速道路上り、静岡から。
ドライバーさんに聞くと、富士山をきれいに見ることができるのは、5回に1回程度だそうで、今日はとても運が良いと。しかも晴天で雪化粧の富士山となると、ほとんど見ることはないですよ、とも。
しかし、富士山に見とれて、気を緩めるわけにはいきません。責任をもってお届けしなければと気を引き締め直します。

こうして、東京都の所蔵者宅に到着。資料の確認を済ませ、無事に返却が終了しました。

今回の借用先は、個人の方がほとんどであったため、資料の保存方法などもアドバイスさせていただいたり、資料の目録や写真帳を作ってお渡ししたりいたしました。また、今回の展示やシンポジウムを通じて新たにわかったこと、展示中の様子などをお話しさせていただきました。

無事返却が終わり、特別展終了時には得られなった喜びや充実感をようやく感じることができました。しかし、これで肩の荷を下ろすのではなく、将来に渡って良い状態でこれらを残していけるように、お役に立てることがあればお手伝いしていきたいと思っています。(K)

2013年1月12日土曜日

村上水軍の主要な古文書が一冊に

最近、私が手放せない史料集があります。
2012年6月に発行された『戦国遺文-瀬戸内水軍編-』(東京堂出版)です。

その名の通り、戦国時代の瀬戸内の水軍に関する古文書を集めた専門書です。
掲載されているのは応仁元(1467)年から天正14(1586)9月までに出されたもので、主要な古文書1351通が収録されています。

この本には、当館が保管している『村上家文書』もいくつか収録されましたので、このブログで紹介させていただきました。当館の資料に関する調査報告書や専門書については、今後も随時紹介していきたいと思います。

村上水軍の古文書を調べようと思った時、慣れない私は、『愛媛県史』、『山口県史』、『今治郷土史』など自治体史の資料編や、『しまなみ水軍浪漫の道文化財調査報告書-古文書編-』、『今治市村上水軍博物館保管村上家文書調査報告書』などの報告書を山積みにしていました(写真左)。




それがこの『戦国遺文-瀬戸内水軍編-』は、主要な古文書が一冊に、しかも年号順にまとめられ、さらに翻刻(くずし字を楷書にしたもの)されたものが掲載されているので、古文書の専門家ではない私でも、とても勉強しやすく、便利な史料集なのです(写真右)。

『戦国遺文』には、古文書の解説や考察、写真などは載っていないので、それらを詳しく勉強するためには、もちろん報告書や自治体史を調べなければいけませんが、まず、手がかりを得るためによく利用させてもらっています。

誤解の無いように付け加えますが、写真左の山積み書籍の内容がすべて右の『戦国遺文』に入っているのではなくて、水軍に関する主要な古文書の翻刻が年号順に収録されているということです。

とても高価な史料集なので(定価19000円+税)、現在はまだ当館の海賊ライブラリーには置いておりませんが、興味のある方はお尋ねください。研究用に一冊、私の手もとにあります。よく使うのであちこち付せんだらけですが・・・。

なお、すでに持っておられる方で、当館のブログをご覧になられている方のために、同書の正誤表を掲載させていただきました。正誤表は編集者の方からのご依頼で掲載しています。ご利用ください。(K)


『戦国遺文-瀬戸内水軍編-』正誤表はこちら↓
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/murai/setouchi/setouchiibun.html

なお、このブログの内容は、『戦国遺文-瀬戸内水軍編-』の購入を斡旋するものではございません。
購入をお考えの方は、各自でインターネットでお調べいただいたり、書店等にお問い合わせいただければ幸いです。

2013年1月11日金曜日

陣羽織風ユニフォーム完成!

以前、このブログで紹介しました当館のミュージアム・パートナーのユニフォームが完成しました!
http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5.html

ミュージアム・パートナー女性会員有志の手作りです!


左の背中を向けているのが矢野館長。右は前館長の田中顧問です。
さっそく試着をしていただきました。

「着心地が良いし、温かみを感じる。ワシらもこれを着て案内しようか。」と満足のご様子。

館内でこのユニフォームを来た人を見つけたら、当館のミュージアム・パートナーです。よろいの着付け、展示ガイド、地元ガイド、折り紙教室などで活躍されています。とくに土日は出会える可能性大です!

ぜひ声をかけてみてください。やさしい宮窪弁で接してくれるはずです。(K)

2013年1月10日木曜日

島が浮いている?



今朝のこと。宮窪港から少し北側の砂浜あたりから、燧灘(東の方角)を眺めると、遠くに見える島が浮いているように見えました。

いわゆる“浮島現象”です。

海面が暖かく、空気が冷たい時に、光が屈折して島が浮いているように見える現象で、蜃気楼の一種だそうです。

冬の寒い朝によく見ることができますが、遠くの島まではっきり見えるのは珍しいので、写真を撮ってみました。一番右が高井神島の一部、左は伯方島の一部で、その右に見える島がおそらく豊島です。

さらに遠くに見える島は、走島、宇治島、六島あたりでしょうか。地図で確認してみなければいけませんね。(K)

2013年1月6日日曜日

城跡に見える?

能島城跡の植生整備やビューポイント設定の参考にするため、今回は対岸のいくつかの場所を選び写真を撮りました。

この季節は樹木の葉が落ちているので、一年で最も城跡らしく見える絶好のチャンス・・・のはずだったのですが、思っていた以上にクヌギやセンダンなどの高木が増えているようで、ここだ!というビューポイントがなかなか見つかりません。いくつかご紹介いたします。


上の写真が以前のブログで紹介した色づいた能島です。能島南西側の対岸から撮影しています。紅葉は綺麗ですが、城跡にはなかなか見えません。


これが現在の能島。ほぼ同じ場所から撮影しました。いかがでしょうか。ほんの少しですが、てっぺんの郭Ⅰ(本丸と呼ばれています)、左手前の郭Ⅲ(三之丸)、右手前の郭Ⅳ(東南出丸)の平坦な面が見えると思います。数年前はもっとはっきり見えていた印象があります。

※郭・・・くるわ、と読みます。お城の平坦面のことです。


 つづいて、少し高いところから。同じく南西側からの撮影ですが、やや北側に移動しています。ようやく城跡のように見えたでしょうか。ただ、頂部と左手前の郭の中間に、郭Ⅱ(二之丸と呼ばれています)があるのですが、それはほとんど見えません。二之丸が見えれば、本丸、二之丸、三之丸と続く郭の段が確認でき、城跡らしく見えると思います。今後の植生整備の参考になります。

低い位置だと、背後の鵜島と重なって、わかりにくくなっています。
今回は撮影していませんが、次はカレイ山展望台から撮影してみたいと思います。鵜島と能島の間の瀬戸が見えるので、島全体を城にしていた様子がわかると思います。



再び海岸沿い。上の写真よりさらに北側に移動し、ほぼ西側から撮影しています。左側の島が能島、右が鯛崎島です。三之丸の平坦面ははっきり見えますが、斜面のクヌギ、郭のソメイヨシノによって、二之丸はもとより、本丸もほとんど見えません。


南南西、宮窪港から撮影しています。小さくてわかりにくいのですが、ここからは、左から三之丸、二之丸、本丸の段がかろうじて確認できます。うまく撮影できていないのですが、肉眼ではもっと見えます。郭の段を見るのには良いビューポイントかもしれませんね。

どこから眺めるともっとも城跡らしく見えるのでしょうか。もう少し探してみる必要がありそうです。今回は挙げていませんが、博物館の展望台もビューポイントの一つにしたいと考えています。

お客さんのお話しによると、伯方大島大橋の上もとても良いポイントだそうです。私は運転手として通ることが多いので、じっくり見たことがありませんが、運転手以外の方は、ぜひ城跡に見えるかどうかを意識してご覧になってください。

地元の方など意見も聞いて、代表的なビューポイントをいくつか設定していくとともに、少しずつですが、そのポイントから「城跡らしく」に見えるように植生整備を進めていきたいと思います。(K)

2013年1月4日金曜日

特別展を振り返る

改めまして、新年あけましておめでとうございます。
村上水軍博物館は、本日4日より新年の営業を開始いたしました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、新年を迎えるにあたり、少し昨年を振り返りたいと思います。
12月16日、特別展『海の来島・山の久留島』が終了いたしました。会期中にご来館いただいたお客さまは約8500人。多くのお客さまにご覧いただき、大変うれしく思います。ありがとうございました。


いつものことですが、会期終了の頃には、次の展示の準備や、能島城の発掘調査報告書の執筆に追われ、余韻に浸ることもできず、ああでもないこうでもないと苦労して作り上げた展示を、迷いも悩みもなく撤去する、本来なら寂しさを感じる瞬間なのでしょうが、その余裕すらありません。


久留島家文書、久留島氏肖像画を
撤収した展示ケース内。
次は、2月にひな人形が並びます。

ただ、今回は少しだけ、誰もいない展示室に一人でこもり、構想段階からの日々を振り返ることにしました。

冒頭の「開催にあたって」で公言した目的は達成できたのだろうか、お客さんに伝えたかったことは伝わったのだろうか、そもそもお客さんにとって良い展示とはなんだろうか、このスタイルを続けて良いのだろうか、自己満足になっていないだろうか・・・。

さまざまな思いが頭をめぐり、展示室の静けさと相まって、自信は揺らぎ、不安にすらなりました。





当館は、昨年、開館8周年を迎え、来館者40万人を達成することができました。これまで多くの展示を担当してきましたが、自らの展示を批判的に振り返ることは、十分に行ってこなかったように思います。

構想開始から約一年半。まずは先学を紐解き、さらに近年の能島城の研究成果をヒントに、新しい来島村上氏、来島城像が描けないか、そんな意気込みでスタートしました。

調べれば調べるほど、久留島家文書など素晴らしい文化財が今も残っていることに感動し、その一方で来島村上氏、来島城には謎が多く、意外にも研究の余地が多く残されていることに驚きました。現状ではこの2つが魅力ではないか、と。

私が感じたこの魅力をお客さまにどうやったら伝えられるのか、そのことに主眼をおいて展示やシンポジウムを行ったつもりでしたが、改めて振り返ってみると、こうすれば良かったなと、反省すべき点も多く見つかりました。

さらに地元の今治、あるいは久留島家ゆかりの玖珠町の方々であっても、来島村上氏、久留島氏の歴史や文化財の存在について、知らないことが多いということにも気づいたのも大きな収穫でした。その理由は、それを学ぶ場や、文化財に触れる機会が少なかったことが一因なのではないでしょうか。

そして思ったことは、この特別展やシンポジウムで終わりにしてはいけない、ということ。今後も情報収集や研究を進め、新しい情報を常ににお客さんに発信し続けることが重要で、海事都市今治の礎とも言える素晴らしい文化財を将来に渡って守り伝えていけるように、当たり前のことかもしれませんが、学芸員としてそんな仕事がしたい、すべきだ、と改めて思いました。

個人的な思いを並べて恐縮ですが、過去を振り返り、新たな気持ちで新年に挑みたいと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。(K)

2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます!


2013年新しい年の幕開けです

みなさまにとって素敵な1年になりますように

お祈り申し上げます。


本年も多くのみなさまが博物館にお越しいただけますよう

スタッフ一同努めてまいりますので

村上水軍博物館をよろしくお願いいたします。







・・・とバリィさんも申しております。。




 水軍バリィさんその3(お正月だよバリィさん!)



水軍博物館は1月3日まで休館させていただきまして、

1月4日金曜日から平常どおり開館いたします。(S)