映画『のぼうの城』の原作・脚本で有名な和田竜さんの最新作、『村上海賊の娘』(新潮社)が10月22日に発売されました!
和田竜さんはこの小説を書かれるにあたり、村上水軍博物館にも数回取材にこられ、矢野館長が能島城のご案内もさせていただきました。
当館が取材に協力させていただき、また能島村上氏を主人公として、織田信長の水軍との戦いである「第1次木津川口の戦い」を基に書かれた作品ということで、紹介させていただきました。
私Kもさっそく読んでいます。
くわしくは、新潮社のホームページや、書店でお問い合わせください。(K)
2013年10月31日木曜日
2013年10月26日土曜日
宮窪のネコ Part 2
季節外れの台風接近と長雨の影響で、なかなか能島の調査が進んでおりません。
文化の秋到来で、博物館行事や出張等も重なり、今年中に成果が出るか少し心配していますが、11月30日(土)の能島城 現地説明会にあらたな情報がプラスできるよう期待はしています。
話は変わって、以前紹介した「宮窪名産の桜鯛をくわえたネコ」以来、久しぶりにここ宮窪でしか見られない光景をご紹介します。
私の住んでる街のネコたちは通常、クルマが通り過ぎる時は、一瞬こちらを見てサッと横切りますが、みやくぼのネコは違います。
「ゆっくりと堂々。しかもこちらを観ずに。。。」 余計に徐行運転をしないといけません。
よく道端で車に轢かれた動物を目にすることがありますが、宮窪ではあまり見かけないですね。
漁港ならではのほのぼのとした情景かもしれませんが、日ごろから車間距離はあけて安全運転を心掛けなければなりませんね。(D)
文化の秋到来で、博物館行事や出張等も重なり、今年中に成果が出るか少し心配していますが、11月30日(土)の能島城 現地説明会にあらたな情報がプラスできるよう期待はしています。
話は変わって、以前紹介した「宮窪名産の桜鯛をくわえたネコ」以来、久しぶりにここ宮窪でしか見られない光景をご紹介します。
私の住んでる街のネコたちは通常、クルマが通り過ぎる時は、一瞬こちらを見てサッと横切りますが、みやくぼのネコは違います。
「ゆっくりと堂々。しかもこちらを観ずに。。。」 余計に徐行運転をしないといけません。
よく道端で車に轢かれた動物を目にすることがありますが、宮窪ではあまり見かけないですね。
漁港ならではのほのぼのとした情景かもしれませんが、日ごろから車間距離はあけて安全運転を心掛けなければなりませんね。(D)
2013年10月22日火曜日
能島城内の通路 発見できるか !
10月初旬から4日間かけて、やっと北部船溜まり周辺の斜面の小木・竹・草刈が終了し、腐葉土以下の地面状況が目視できるようになり、いよいよ本日から試掘調査開始です。
この船溜まり周辺は、以前から斜面崩落や海蝕テラス等の浸食がひどく、平成18年度に崩落箇所の養生、浸食されている岩礁部分を新規積石で補強を行っています。
能島に3辺ある船着場の中でも船溜まりは、船の繋留に最適の海岸とされ、主要な航路にもっとも近い場所であるため、重要な入口であった可能性は高いと考えられています。
また平成17年度、初めて城内にトレンチ調査のメスが入ったところで、今年度の調査は追加調査の意味合いもあります。推定される登城路の確認と、石垣状遺構の構造やその構築時期の解明に期待がかかっています。
前回の調査で、石垣状遺構周辺には岩盤を人工的に成形し、平坦面を造っています。その上に硬質の盛土を多層することによって、斜面に多くの平坦面を造り出していることもわかってきています。
そのためか、所々みず道のところが大きく崩落し、当時の登城路の把握を困難にしています。
船溜まりの海岸には、石積にも使えそうな石材が土器片とともに干潮ラインに多く散乱しています。もしかしたら崩落したかもしれない石垣状遺構の石材が他へ流されず、堆積しているのかもしれません。。
以前のブログで、草刈中の登城路推定ラインをご紹介いたしましたが、それからさらに地面の状況がわかるようになりましたので、想定される案は
緑の点線は崩落している可能性が考えられる部分。赤の点線が、個人的(D)に現在の地表面から想定した登城ライン。掘ってみないとわかりませんが、上の郭に両手を広げた男性付近が、三ノ丸の到達地点??
県内の中世城館では、松野町 「河後森城」発掘調査において、本郭南側に通路跡が検出されています。斜面の岩盤を削って階段状の足がかりを設けていたようです。
http://www.town.matsuno.ehime.jp/site/kagomorijou/hakkutukagomori.html
能島城内にこういった階段状の遺構が確認できるのか。期待がかかります。(D)
能島に3辺ある船着場の中でも船溜まりは、船の繋留に最適の海岸とされ、主要な航路にもっとも近い場所であるため、重要な入口であった可能性は高いと考えられています。
また平成17年度、初めて城内にトレンチ調査のメスが入ったところで、今年度の調査は追加調査の意味合いもあります。推定される登城路の確認と、石垣状遺構の構造やその構築時期の解明に期待がかかっています。
前回の調査で、石垣状遺構周辺には岩盤を人工的に成形し、平坦面を造っています。その上に硬質の盛土を多層することによって、斜面に多くの平坦面を造り出していることもわかってきています。
そのためか、所々みず道のところが大きく崩落し、当時の登城路の把握を困難にしています。
船溜まりの海岸には、石積にも使えそうな石材が土器片とともに干潮ラインに多く散乱しています。もしかしたら崩落したかもしれない石垣状遺構の石材が他へ流されず、堆積しているのかもしれません。。
以前のブログで、草刈中の登城路推定ラインをご紹介いたしましたが、それからさらに地面の状況がわかるようになりましたので、想定される案は
緑の点線は崩落している可能性が考えられる部分。赤の点線が、個人的(D)に現在の地表面から想定した登城ライン。掘ってみないとわかりませんが、上の郭に両手を広げた男性付近が、三ノ丸の到達地点??
県内の中世城館では、松野町 「河後森城」発掘調査において、本郭南側に通路跡が検出されています。斜面の岩盤を削って階段状の足がかりを設けていたようです。
http://www.town.matsuno.ehime.jp/site/kagomorijou/hakkutukagomori.html
能島城内にこういった階段状の遺構が確認できるのか。期待がかかります。(D)
2013年10月18日金曜日
潮ニモマケズ
先週、季節外れの夏日の中、能島の試掘予定地周辺の草刈を実施していました。
つかの間の休憩中、いつもと違うエンジン音が鯛崎島方向から聞こえてきます。
タグボートに引っ張られた台船が満潮に逆らい、大島伯方大橋方面に向かって進行。
が、この日の通過時間はお昼にかけて、潮の流れが最強で7.8ノットと強めの巡り合せ。
1時間以上、潮ニモマケズ頑張っていたようですが、だんだんエンジン音が大きくなり始めた途端、エンジン停止。そのまま潮に流されて鯛崎島の影に隠れてしまいました。
この日は結局、宮窪港に帰るまで、タグボートと台船を見かけませんでした。潮の流れが止まる時間を狙って再チャレンジすればよかったのに。。
潮汐を知り尽くしている村上水軍であったならば、より経済的な船頭をしていたことでしょう。(D)
つかの間の休憩中、いつもと違うエンジン音が鯛崎島方向から聞こえてきます。
タグボートに引っ張られた台船が満潮に逆らい、大島伯方大橋方面に向かって進行。
が、この日の通過時間はお昼にかけて、潮の流れが最強で7.8ノットと強めの巡り合せ。
1時間以上、潮ニモマケズ頑張っていたようですが、だんだんエンジン音が大きくなり始めた途端、エンジン停止。そのまま潮に流されて鯛崎島の影に隠れてしまいました。
この日は結局、宮窪港に帰るまで、タグボートと台船を見かけませんでした。潮の流れが止まる時間を狙って再チャレンジすればよかったのに。。
潮汐を知り尽くしている村上水軍であったならば、より経済的な船頭をしていたことでしょう。(D)
2013年10月16日水曜日
黄金の陣羽織
村上家の陣羽織は「赤」なのでは?
じつは㊤の家紋が入った陣羽織は2種類が伝来しているのです。
ひとつは真っ赤な猩々陣羽織(しょうじょうじんばおり)。猩々とは、中国古来の想像上の動物とされ、中国では黄色の毛ですが、日本では赤面赤毛のめでたい動物として知られるそうです。
村上武吉や息子の景親が着用したと伝わるものですが、一方で、江戸時代の資料とも考えられています。
そしてもうひとつは、この金襴陣羽織(きんらんじんばおり)。
金襴とは、金糸で文様を織り出した織物のことだそうです。㊤の家紋が欠損しているのが残念ですが、羽織自体の文様や色は綺麗に残っています。
久しぶりに金襴陣羽織を展示したのには理由があります。
猩々陣羽織は布でできているので、常時展示しておくと、少しずつですが退色してしまいます。
少し専門的な話ですが、照度は50ルクス以下で基準よりも暗くしているので、ほとんど光の影響はありません。ただ将来に渡って良好な状態で保存することを考えると、定期的に収蔵庫で休ませた方が良い、そう判断したのです。
ただ当館の象徴でもある陣羽織が無いとさみしい。という意見が多く聞かれました。
そこでこの金襴陣羽織を展示することにしました。久しぶりの展示ですが、以前は壁面のケースに展示していましたので、前面をご覧いただくことができませんでした。今回は、独立ケース。つまり、前後両面をご覧いただけるように展示しています。
今後は、半年をめどに猩々と金襴を入れ替えようと思っています。猩々は4月~9月、金襴は10月~3月の予定です。ただ展示替えの都合により、変更する場合がありますのでご了承ください。
ただいま開催中の企画展「ここまでわかった能島城」とともにぜひご覧下さい。(K)
じつは㊤の家紋が入った陣羽織は2種類が伝来しているのです。
ひとつは真っ赤な猩々陣羽織(しょうじょうじんばおり)。猩々とは、中国古来の想像上の動物とされ、中国では黄色の毛ですが、日本では赤面赤毛のめでたい動物として知られるそうです。
村上武吉や息子の景親が着用したと伝わるものですが、一方で、江戸時代の資料とも考えられています。
不許転載 |
そしてもうひとつは、この金襴陣羽織(きんらんじんばおり)。
金襴とは、金糸で文様を織り出した織物のことだそうです。㊤の家紋が欠損しているのが残念ですが、羽織自体の文様や色は綺麗に残っています。
久しぶりに金襴陣羽織を展示したのには理由があります。
猩々陣羽織は布でできているので、常時展示しておくと、少しずつですが退色してしまいます。
少し専門的な話ですが、照度は50ルクス以下で基準よりも暗くしているので、ほとんど光の影響はありません。ただ将来に渡って良好な状態で保存することを考えると、定期的に収蔵庫で休ませた方が良い、そう判断したのです。
ただ当館の象徴でもある陣羽織が無いとさみしい。という意見が多く聞かれました。
そこでこの金襴陣羽織を展示することにしました。久しぶりの展示ですが、以前は壁面のケースに展示していましたので、前面をご覧いただくことができませんでした。今回は、独立ケース。つまり、前後両面をご覧いただけるように展示しています。
今後は、半年をめどに猩々と金襴を入れ替えようと思っています。猩々は4月~9月、金襴は10月~3月の予定です。ただ展示替えの都合により、変更する場合がありますのでご了承ください。
ただいま開催中の企画展「ここまでわかった能島城」とともにぜひご覧下さい。(K)
2013年10月12日土曜日
ここまでわかった能島城
能島城跡の国史跡指定60周年を記念した企画展が始まりました。来年2月2日まで開催していますので、ぜひご覧ください。
長年にわたる能島城の調査も、今年度で概ね終了を迎えようとしています。膨大な資料の整理と研究はこれからも続くのですが、現段階でわかっている能島城の実像を今回の企画展で紹介しています。
発掘調査が行われる前の能島城の評価は、「出城的役割にすぎない」「人が住むところではないだろう」、あるいは、周囲の潮流が注目され「自然の防備性を備えた守りの堅い城」ということばかりが強調されてきました。
しかし、城内に何があったのかはまったくわかっていなかったのです。
約10年におよぶ発掘調査で何がわかったのでしょうか。
展示室の様子を少しだけご紹介します。
数年ぶり2度目。鵜久森経峯氏作図能島城実測図(昭和13年)も展示しています。
有名な最古の能島城実測図ですね。
じつは平成14年に測量図を作成するまで、ずっとこの鵜久森図が使われ続けてきました。当時としては精巧で、情報量のたくさん詰まった図です。必見!
長年にわたる能島城の調査も、今年度で概ね終了を迎えようとしています。膨大な資料の整理と研究はこれからも続くのですが、現段階でわかっている能島城の実像を今回の企画展で紹介しています。
発掘調査が行われる前の能島城の評価は、「出城的役割にすぎない」「人が住むところではないだろう」、あるいは、周囲の潮流が注目され「自然の防備性を備えた守りの堅い城」ということばかりが強調されてきました。
しかし、城内に何があったのかはまったくわかっていなかったのです。
約10年におよぶ発掘調査で何がわかったのでしょうか。
展示室の様子を少しだけご紹介します。
数年ぶり2度目。鵜久森経峯氏作図能島城実測図(昭和13年)も展示しています。
有名な最古の能島城実測図ですね。
じつは平成14年に測量図を作成するまで、ずっとこの鵜久森図が使われ続けてきました。当時としては精巧で、情報量のたくさん詰まった図です。必見!
そのほかにも、能島城出土品の展示は200点以上、上空から撮影した能島城の映像や、発掘調査時の写真を多く使って、能島城の発掘調査最前線を紹介しています。
なお関連行事として、2回の水軍講座を予定しています。
11月23日(土)には、私Kが博物館で発掘調査成果報告と展示解説を、
11月30日(土)には、Dが能島城の現地見学会を開催する予定です。
くわしくは、県内の文化施設・観光施設などに配布しているチラシや、近々このホームページのイベント&トピックスにアップしますので、そちらをご覧ください。
今治市内の方は、広報今治11月1日号にも掲載予定です。お楽しみに!
最近Dは能島城の発掘で昼間はおらず、私Kはこの企画展の準備で忙しく、ブログ更新を怠っていました。少しずつ更新回数を増やしていきますので、ぜひご覧ください!(K)
2013年10月11日金曜日
史跡 能島城跡 最後?の試掘調査開始。
今月から 史跡 能島城跡の最後?となるかもしれない試掘調査が始まりました。
といっても、まだ調査をする前の草刈の段階です。
北部船溜まりの斜面を数年ぶりに。
薄い砂鉄層と摩滅土器片が多数見られます。
今回は能島城内の登城路の把握を目的とした調査で、能島に9か所、鯛崎島に1か所設定する予定です。
この船溜まり周辺は、冬になると寒くなるところで有名ですので、一番早く調査を入れる予定。
赤いラインが当時の登城路と推定されています。写真の真中右に見えるのが当時の石積です。
赤い線が登城路と推定されているところですが、その続きは現在、木製の階段があるあたりなのか、もっと手前に伸びて三ノ丸(写真を撮っている地点)へ登ってくるのか。現状では不明な点が多いのです。このため、今回はこのあたりに2箇所、小さな試掘トレンチを設定する予定。
新たな知見として成果に付け加えられるかどうか期待がかかります。
明日10月12日(土曜日)から始まる企画展「ここまでわかった能島城」
能島城内に入念に設定されたトレンチ調査。多くの遺物が出土し、さまざまな遺構が検出されたことによって、従来の見解とは少し違った様子が指摘されつつあります。
私Dも始めてみた原図が企画展示室入口に展示されています。
今回もこれまでの調査成果がわかりやすく展示されておりますので、是非ご来館ください。
草刈作業中、潮流体験船が船溜まりにある海蝕テラスと比較的大きな岩礁ピットを観にやってきてました。この草刈で、海から見た能島も少しは見やすくなったかな?(D)
といっても、まだ調査をする前の草刈の段階です。
草や真竹を刈る前の状況
北部船溜まりの斜面を数年ぶりに。
ここはものすごく細かく綺麗な砂で、まるで雪のように足跡がつく砂浜。癒しの能島ビーチ。
薄い砂鉄層と摩滅土器片が多数見られます。
今回は能島城内の登城路の把握を目的とした調査で、能島に9か所、鯛崎島に1か所設定する予定です。
この船溜まり周辺は、冬になると寒くなるところで有名ですので、一番早く調査を入れる予定。
赤いラインが当時の登城路と推定されています。写真の真中右に見えるのが当時の石積です。
赤い線が登城路と推定されているところですが、その続きは現在、木製の階段があるあたりなのか、もっと手前に伸びて三ノ丸(写真を撮っている地点)へ登ってくるのか。現状では不明な点が多いのです。このため、今回はこのあたりに2箇所、小さな試掘トレンチを設定する予定。
新たな知見として成果に付け加えられるかどうか期待がかかります。
明日10月12日(土曜日)から始まる企画展「ここまでわかった能島城」
能島城内に入念に設定されたトレンチ調査。多くの遺物が出土し、さまざまな遺構が検出されたことによって、従来の見解とは少し違った様子が指摘されつつあります。
私Dも始めてみた原図が企画展示室入口に展示されています。
今回もこれまでの調査成果がわかりやすく展示されておりますので、是非ご来館ください。
草刈作業中、潮流体験船が船溜まりにある海蝕テラスと比較的大きな岩礁ピットを観にやってきてました。この草刈で、海から見た能島も少しは見やすくなったかな?(D)